鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ウィンブルドン・テニスを夜中までテレビ観戦

2023年07月17日 10時33分44秒 | テレビ・ネット・映画






テニスのテレビ中継をあまり観ないようになったが、ウィンブルドン・テニスはNHKが映すので、一昨夜の女子決勝と昨夜の男子決勝を観た。
あまり観なくなったのは、錦織と大坂が活躍しなくなったからで、ほんのわずかな間に世代交代もあったりして知っている選手が少なくなった。
一昨日の女子決勝で優勝したのは、ノーシードで勝ち上がった選手で身体に奇妙なタトゥーをしたアマゾネス系。
一昨年に続いて準優勝だった選手はチュニジア出身ということで、チュニジアというのは北アフリカのどこら辺だろう。
アルジェリアの東隣でイタリアの靴先だったのかと、これは書いている今、調べた。
今までなら女子の試合の方が楽しく観られたのに、なぜか今回の決勝があまり愉しめなかったのは好みの問題か、加齢による欲望減退か。
さて、男子決勝はジョコビッチの相変わらずの正確で憎たらしいほどのショット、プレイスメントを観て、まだまだ健在で連覇かと思われた。
ところが初めて見る若手だったけれど、すでにランキング1位なのだというアルカラスが、さすがに若いパワーと見た目からは想像しにくい頭脳的プレイで互角の戦い。
フルセットの最終セットは、どちらにどう転ぶかわからない状況だったから、もしジョコビッチが勝ったら、すぐにテレビを消して寝るつもり。
結果は、新旧交代の区切りができたという形になり、表彰式まで観てしまった。
スマホで撮ったテレビ画面をブログに使うくらいは、咎められないということを聞いたことがあるので、新旧交代のシーンを残そうと考えた。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

AC久御山で『THE FIRST SLAM DUNK』を観る

2023年04月08日 09時38分39秒 | テレビ・ネット・映画






AC のAは、昔のジャスコのイオン=AEONのAであり、CはCINEMAで映画館。
『THE FIRST SLAM DUNK』は30数年前に流行ったバスケットボールの連載漫画をアニメ映画にしたものだ。
何ヶ月も上映しているので、それならと年甲斐もなく、しばらく映画館にも行けない状況になるので決行。
漫画では桜木花道という、運動神経バツグンだがバスケットを始めたばかりの高1のやんちゃ坊やが主人公。
だが、映画では沖縄出身の宮城リョータがほぼ主役で、他のメンバーもそれぞれが脇役ではなくて、スポットライトを当てる演出。
館内は10数人しか入っていなくて、最高齢は当然のように私だと思われるが、こんな客数で採算は合うのかな。
私は喉に問題があって咳き込む心配があるのだけれど、アマオウとバター味のポップコーンを食べていたら、一回も咳き込まないですんだ。
実写映画なら、かならず俳優の個性が色濃く反映して複雑な感想も持つけれど、アニメならではの完全予定調和的漫画的世界。
WBCでの日本チームの活躍に『漫画のような・・・』という感想が聞かれたけれど、こちらは始めから漫画なので安心してどきどき出来るのであった。
3枚目画像は2,3日前に見た、野良生えのヒナゲシ(雛罌粟)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『すずめの戸締まり』を観た

2022年12月28日 11時17分11秒 | テレビ・ネット・映画


昨日は、最近評判という新海誠作品のアニメーション映画『すずめの戸締まり』を観た。
子連れやアベックや若い女二人連れなどの中で、アラフォーの娘とぎりぎり前期高齢者じじいのペアは違和感を与えたかもしれない。
客席は前後の中央に大きい通路があり、前部最後列中央辺りを選んだ。
チケット購入時に席を決めるシステムなので、よく分からなかったのだが、前部は家族席扱いで間を空けるようになっていなくて私の隣は小学生低学年男児。
後部は1席ごとに間に☓印席が設けられていたのだから、後部最前列にしたら良かったのにと少し悔やんだ。
さて、作品はといえば、ファンタジーアニメなのだから、その世界にひたったら良いのだけれど、展開に無理があるというのか、飛躍が過ぎるように思われ、ついて行き難い所もあった。
難聴気味の私にとってでも音声は十分に大きいのだけれど、方言とイントネーションに分かり難いのもあって字幕が欲しいと思った。
耳が悪くなるというのは聴こえにくいというだけではなくて聞き分けにくくなっているということで、早口のところは是非とも文字で確認したいところだ。
鑑賞中にマナーモードにしているケイタイが何回もぶるぶるして往生した。
マナーモードではなく機内モードにすべきだったなと学習した。
ぶるぶるが続けざまだったので、何か緊急事態かもしれないと思い、出口通路の客席から見えない所に行って確認した。
そうしたら、田舎でお世話になっている周囲の方々に送ったお歳暮が一斉に着いたらしくて、その人達からだった。
対応も返事もせずに映画に戻り、その数十秒のシーンを見逃したことが、しばらく尾を引いた。
終わってから娘に聞いてピースは埋まったけれど、やはり、首を傾げる所が各所にあった。
そこはファンタジーだから、受け取る側が寄り添わないといけない。
というわけで、チケットチェックの場でもらった『小説すずめの戸締まり〜環さんのものがたり〜』を読み始めたら、これがとっても面白い。
読み終わってから、ブログにあげようと思ったけれど、今日はここまで。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インド映画『RRR』を観る

2022年11月18日 08時46分00秒 | テレビ・ネット・映画


この映画が評判になっているということで、久々に映画館(イオンシネマ)に行った。
近いのはイオンシネマ久御山なのだけれど、演っているのはイオンシネマ京都桂川だったので、初めてイオンモール京都桂川へ。
ほんの数年前までなら道も間違えることなく、京都ならほぼどこにでも行けたのに、新しい道ができていたり様子が変わっていたりで迷った。
先ずはイオンモールのお洒落な造りに目をきょろきょろさせて、お上りさん状態。
チケット購入は言い出した娘が、道々車中でスマホでカードを作る申込みと同時にイオンシネマ予約をして800円割引の1000円になった。
さくさくスマホ操作だけで軽く3人分2400円得してしまうのだから驚く。
駐車料金もチケットを示して5時間まで無料だった。

インド映画は『ムトゥ踊るマハラジャ』を観て以来だ。
『ガンジー』も観たが、あれはインドとイギリスの合作。
インド映画は歌って踊ってのミュージカル仕立てが楽しいのだが、今回の『RRR』のアクションはとんでもなく大掛かりでCG技術も素晴らしいので、全く退屈することのない3時間5分だった。
今までに観た中国映画や韓国ドラマのワイヤーアクションが陳腐に見えてしまう。
「なんじゃこれ・・」という部分は一瞬あっても、突っ込む隙のないスピーディ・アクションの連続なので圧倒されっぱなしだった。
イギリスに対する積年の恨みをここぞとばかりに晴らして、インド人ではなくても痛快な鬱憤晴らしになる。
イギリスで、アジア系(先祖はインドのパンジャブ州)のリシ・スナクが首相になったのもタイムリーだ。
世界の人口は80億人になったが、インドと中国はそれぞれ14億人前後、インド系中国系も入れたら半数近くになるのかも知れないと思えば末恐ろしい。

画像はイオンモールの吹き抜けを見上げるお上りさんの目線。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外が雨ならテレビで豪華絢爛を観る

2022年03月26日 14時43分14秒 | テレビ・ネット・映画




中国テレビ・ドラマ中毒になっているかも知れない。
最初のきっかけは、サンテレビで『如懿伝』を途中からなのに、ハマってしまったこと。
それなのに、サンテレビは宇治だと雨が降ったり雷だったりすると映らなくなる。
予約をしていたのに撮れていなかったり、電波障害の状態が度々起こったりしてまともに観られないことが続いた。
その度にインターネットであらすじを読むのもつまらなくて、観るのを止め、Amazonプライム・ビデオで『宮廷の諍い女』を観た。
というわけで、『如懿伝』はプライム・ビデオで無料視聴が始まるまでお預けだ。
そうして、今は『皇貴妃の宮廷』を観始めた。
始まったばかりでは、皇帝が22歳と若いので、後宮の女達もみな若くてすばらしい。
皇太后も見た目が若くて、キャンデーズのスーちゃん(田中好子)似なのが嬉しいけれど、今後はどんな陰謀をめぐらすことになるのか、いい感じのまま善人を貫けるのか見守る気分だ。
後宮と大奥の違いを検索してみたら、後宮の管理は太官(去勢男子)が行い、大奥は正妻と側室ら女達だけで行っていたとのこと。
なにしろ大きなセットと十分な資金をつぎ込んでいる中国ならではの豪華絢爛な衣装や調度品や室内装飾や美女美女が眼の保養になる。
それに、中国の伝統だと揶揄される賄賂や汚職のオンパレードがこれでもかこれでもかと繰り出されて、権謀術数の坩堝だ。
中国で作られ世界に発信されているということも驚異で、不気味ではあるけれど、ハマって抜け出せない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『風の電話』を観た

2022年03月24日 09時45分45秒 | テレビ・ネット・映画


テレビを独占して観ている私に、返却日が来てるから、という抗議があって、仕方なく付き合って観た。
何の予備知識もなく、タイトルさえもいい加減に聞き流して、何の期待もせずに観始めた。
大げさな演技が全くなくて、映画だから当たり前だけれどカメラを意識した目線の不自然さがなく淡々と進んでいく。
ヒロインの少女に見覚えはなく、途中ででてきたおっさんに、アレ、三浦友和じゃないかと思ったり。
あーこの男は『おかえりモネ』や『とと姉ちゃん』の西島秀俊だな、おー西田敏行かこのじいさんは、と思ったりした。
広島豪雨の土石流の生々しい痕や、福島原発事故避難地区の荒廃、東北大震災巨大津波による破壊痕の生々しい光景がでてくる。
起きた当時の映像は使われていなくても、それらの事態は十分に想像させられ、殊更な象徴的なシーンはでてこない。
それでいて、それだからこそ、自然に涙がでてしまう良い映画だった。
作為的と感じられたら『泣かすなよ』と思うのだけれど、観終わってから感想を発することなく、ただ、ケースを撮った。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の問題

2021年06月17日 11時02分00秒 | テレビ・ネット・映画








コロナ禍だからこうなったということをあまり感じないで過ごしているのは、元々ツルむより独り遊びを好むから。
宇治に戻った以上はこちらでも複数の用をこなすべし、と思うのだけれど、やはりわざわざマスクをしてまで出かけたくはない。
というわけで行動範囲が狭くなっているのだが、昨日は久々に8000歩超えの散歩をした。
そこで見つけたのが最初の画像の、垂直なコンクリート擁壁に生えていたハート型のコケ。
2枚目は、田舎のキュウリの葉っぱがハート型に喰われているのをこちらに来る前に見つけて撮ったもの。
葉切り虫と呼ばれるハキリバチのことは知っているけれど、切らずに破線状に穴開けする虫がいるのか不思議だが、本来の目的の道半ばで鳥に喰われたのかもしれない。
昨年、三室戸寺に紫陽花を観に行った折、立ち止まっていた小母さんが「ハート型に咲いてますよ」と教えてくれたのが3枚目。
ハート型に心動かされたりはしないのだけれど、喜んでくれる筈と教えてくれたわけで、ハートを喜ぶようなタイプに見られたということか。
それ以来も別にハート型に関心があるということはないけれど、ハート型を観たらあの小母さんを想いだす。
暇暇にもうすぐ返すというDVDを二つ観た。
一つ目は『舟を編む』という、辞書編纂の地味地道な仕事をする人々の、しっとり暗い映画。
二つ目は『危険な関係』というフランス革命前の貴族の頽廃を描いた小説の映画化もの。
『危険な関係』のようなヨーロッパの貴族ものは、なんだか退屈してしまう。
原作の小説も読んでいないのに、前半はそのように退屈してしまい、途中でやめて次の日にやっと終いまで観た。
心理劇とは言うのだが、確かに主要人物の顔の表情、目の動かし方などが、見事に微妙に揺れ動く心理を表していた。
主役の子爵の顔が陰険過ぎて好きになれなかったのが残念で、アラン・ドロンが演ったらどんなにか良いだろうと思いながら観た。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よそのブログに載せた以前の記事をこちらに   その②

2020年04月02日 00時00分00秒 | テレビ・ネット・映画


またまたナミテントウを撮った。目付き模様にはちゃんと目玉があったのに、この頃は白眼のヤツばかり見つかる。こいつは背の赤星が小さい。お公家さんの額に描いた眉みたいに見える。バランスが間抜け過ぎる。

2011.05.18に『告白』のこと として載せたもの

ネタバレ気味・・・

この復讐には引き込まれた。この映画を観て、頷く人と首を振る人と眉をひそめる人が居るとします、さぁあなたはどのタイプですかと問われたら、頷くタイプです、わたし。生意気なガキには我慢ができません。我慢ができないけれど、目を合わせないようにひたすら避けてるだけですけど・・・。結局我慢してるわけで、だからこの映画には強く頷いてしまう。

そんなわたしにしてみれば、松たか子演じる女教師のやり切れなさや悔しさや悲しさよりも、復讐の進展に心躍らせ、追い詰め方が期待以上に過激なものだからワクワクしながら観たのであった。
そうだ、この映画はわたしにカウンセリングをしているようだ。わたしの中に何が潜んでいるか、どういう体験が少年期や思春期にあったかを想い出させてくれる。前回のブログに、柳美里について、『何と迂闊な人間であることか』と書いた。

彼女は、自分の子への虐待シーンをYouTubeで流したそうだ。病んでいる。作家だからこそ気付けなかったのか? 止めてくれる人も、聞いてくれる人もいなかったから、ネットの不特定多数にそれを求めたのか? イジメや虐待や暴力はほとんどが再生産なのだと、物書きなら何はさておき基本中の基本だろうに。自分で実践してしまうのは反則でしょうに!!

横道にそれたので戻そう。この映画で最後あたりの松たか子の顔が凄まじかった。復讐の鬼と化した醜さという演技だったのだろう。この映画を中学校教師全員に見せたいとわたしは思いますね。特に、悪ガキにいじめられてどうしようもなくなっている先生方には。
そして、たとえばそんな悪ガキが「センセ~『告白』って映画観た?」なんて小ずるい顔をして下から見上げたら、目をゆっくり逸らして片方だけ口角を上げ「観たよ。いい映画だったね」って言ってやりましょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よそのブログに載せた以前の記事をこちらに   その①

2020年04月01日 06時15分44秒 | テレビ・ネット・映画


ナミテントウを並べてみた。1匹がひっくり返って動かなかったので、ときどき立ち止まるヤツの横に並べて撮った。きょうだいに違いないだろうけれど、目付き模様が違う。しばらくしたら2匹ともいなくなっていたから、ひっくり返っていたヤツも一次的な気絶だったらしい。

もう9年も前に、よその無料ブログに載せた記事が、そのまま残っていたので、そっくりコピーすることにした。

2011.05.16 映画『悪人』のこと

ネタバレ気味・・・。
あ~こういう主人公みたいな若いヤツ、いくらでも今まで現場で見てきたな。
と思った。現場・・・そう建築現場で。わたし、現場職人ですから。
根は優しいんだけど、口下手で陰気で自己表現ができない拗ね者。
こんなのは今までどれだけ見てきたことか。
昨日、柳美里が自分の子に虐待をした経緯をテレビでやっていた。
自分が子供の時に同様の虐待を受けていたことが明かされた。
カウンセリングでそれに気付かされたと言うんだけど、何と迂闊な人間であることか。
観るに耐えなくて、テレビを消した。
この『悪人』でも愛情薄く育ったせいで、愛情表現が下手糞な男が
悪い方に悪い方に歩んで行ってしまうという不運が描かれている。
観ている方としては、ここで立ち止まれよ!と叫びたくなるし、 
それをしたらアカンやろうという方を選んでしまう主人公の愚かさ、哀しさがイタイ。
深津絵里の演技がうまい。九州弁がいい。
柄本明の演技も良かった。でもバールを持って老舗旅館の道楽息子を、窓越しに
見詰めながら言う台詞が現実離れしてクサかった。
この映画の玉に瑕はそこ。
でんでんがタクシー運転手をしているのが、はまっていた。
渋い脇役役者になったんだね。
ここ2,3日ほど話題になってる内田裕也のカミサンが、いい演技をしていた。
いつもながら上手い。今回の騒動での発言もなかなかにいい。
催眠商法にやられてしまう年寄り役がはまっていた。
この映画のいいところは、余分な描写がほとんどないところですね。
転換や展開がいい。テレビドラマなんかのくだくだしい間延びがなくて、さすがに映画だなと思った。
と、えらそうに言ってみる。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラ『スカーレット』がもうすぐ終わる

2020年03月24日 00時33分11秒 | テレビ・ネット・映画
『スカーレット』を観ていてなんとなくいつも感じた違和感の一つは、方言の語尾の強さ。
それから、ガサツさを感じてしまう言いっ放しのボキボキ感。
それに、関西のノリやらツッコミやらボケやらのビミョーなわざとらしさ。
それでもついつい見続けてしまった。
先日、稲垣吾郎演じる医師が主人公喜美子に「芸術一家なんですね・・ウチは医者一家です」と言うシーンがあった。
それを観て、『ワタシとこは、春になって虫が出てくると喜ぶ、啓蟄一家ですゎ』というギャグを思いついた。
ドラマのはじめの頃に出ていた村上ショージのギャグ並みにビミョーなのは、スカーレットを見続けたせい。


勘弁してほしい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜美子と八郎

2020年02月08日 00時10分44秒 | テレビ・ネット・映画
NHK朝ドラ[スカーレット]の喜美子と八郎は、いつか息子のためにも和解して元に戻るのだろうと思っていた。
そうしたら陶芸家として大成功してしまった喜美子の方から離婚届を八郎に送って別れたという結果。
実際のモデルがいてのドラマだということだし、以前に田中裕子がそのヒロインを演じた映画をテレビで観たこともある。
でもヒロインが白い喪服を着たまま穴窯に薪を放り込み続けるシーンしか覚えていない。
喪主だったはずだけれど、窯を焚き始めたら止められないという取り憑かれた感じが印象的だった。
[スカーレット]の喜美子の思いつめた無表情もそういうことなのだろうし、陶芸家になるんだという我の強さに、観ている方も引いてしまう。
[喜美子と八郎]の関係は、芸人の[友近となだぎ武]の関係のようなものだと思った。
私は友近も好きではあるけれど、なだぎ武の計算され尽くした芸風にはリスペクトを感じる。
モデルとなった方々の実際はどうであったかは調べたりせず、[スカーレット]がどう展開するのか、気分は引き気味だけれど、ここまできたら終わるまで観続けるしかない。
朝ドラ観ないと一日の決まりがつかないから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝ドラ「わろてんか」ヒロインのお辞儀

2018年02月10日 13時35分36秒 | テレビ・ネット・映画

(鉄橋を渡る列車の中から撮ってみた画像で本文とは関係ありません)

主人公(てん)は和服でお辞儀をするときに頭を下げながら両膝を少し曲げる。
まだ二十歳前だという女優が、今や成人した子を持つ大人を演じているわけだけれど、どうしたって若々しいのは隠せない。
そうして、そのお辞儀も笑顔もとにかく可愛いから何だっていいのだけれど少しだけ調べてみたくなった。
そのような挨拶の仕方が正式な作法なのかどうか、何かの流派の所作としてあるのかどうか。
検索してみて結論からすると、それは無いようだ。
実際に見たことはないけれど、テレビ画面で男優が同じお辞儀をしていたのも観たことがある。
揉み手まではしなくても、商売人の腰の低さを示す按配だったり、芸事の世界のシナだったりするようだ。
そうして女優がやる場合は水商売の女が客に見せる媚だったりするわけだ。
私は京都の街中に行くこともあって、舞妓や芸妓が歩いているのは見たことがある。
彼女らは畳に座っての挨拶は型がきっちりあるだろうけれど、街中での通りすがりの挨拶なんかはどんなふうにするのだろう。
あいにく贔屓にしている舞妓に道端で出くわしたことがないのでわからない。
もともと全く縁はないけれど・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓流ドラマのDVD

2017年01月28日 13時18分55秒 | テレビ・ネット・映画


BS放送のチャンネルをいじっていると、テレビショッピングと韓流ドラマをいつだってやっている。
BSは気象条件によって全く映らなくなってしまったりするので、韓流ドラマを録画していてもブツブツに切れたり録れていなかったりして具合が悪い。
借り物のDVDに、肝心な最終回が録れていなかった。
貸してくれた人が悪いわけではなく、天気の仕業だから仕方ない。
トイレに入ったのに用を足さないででてきてしまったような気分なのでレンタルにいく。
よほど体質に合わないものでもない限り、ドラマは見始めたら終わりまで観たい。
借り物の画質の悪いDVDは2倍速で観るのだけれど、お金を出して借りたきれいな映像はきっちりと観る。
裕福な上流階級に生まれた男女と、貧しく不遇な生まれの男女二組のクロス格差ペアドラマ。
わざわざお金を出してまで観るほどのものだったかと、今度は用は足したけれど全部出し切れていないような、残便な気分。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BS放送がいきなり映らなくなったこと

2015年12月05日 00時00分42秒 | テレビ・ネット・映画
電波を受信できません・・・というテロップが出るばかりで、BS放送だけが映らなくなった。
テレビ背面のアンテナ線に接続不良がないか、触ったり揺すったりしてみたけれど何ともなさそうなので、屋根に上がってみた。
昔のUHFアンテナとBSパラボラアンテナの線がプラスチックの小型ボックスに入って、そこから統合された1本のケーブルが下におりる。
ボックス(ブースター?)のフタに触ったら、蝶番部分が少し欠けて、あいてはならないところが少し開いた。
爪を外してフタを上げてみると、コイルやコンデンサーの基板が見えた。
防水仕様とはとても思われない雑な作りなので、そこから雨が入って不具合が起きたのに違いないだろうと思われた。
潤滑スプレーなんかを吹き付けたが何の効果もないので、古い付き合いの電気屋に電話してみた。
状態を言うと、地デジは映っているのだから、ブースターの故障にほぼ間違いないだろうがアンテナの場合もあるとか。
凹面の焦点の受信部分がダメになることがあるそうだ。
在庫を持ってないので今日の今日というわけにはいかない・・とのことで、次の日の夕方に来てくれた。
そうして、さっそくブースターを交換してくれたけれど、アレッ!?・・直らない。
エッ?・・っと思ったけれど、仕方がない。
ということは、パラボラアンテナが壊れてるんだろうとのこと。
そんなのありかい?・・と思ったけれど、新しいアンテナも持って来ているからと、交換してもらったら、それで映るようになった。
その際、アンテナからブースターまでのケーブルを新しいタイプにしないと結線できないそうで、ケーブルも交換した。
何だか高く付きそうで、それなら月額660円払って光ケーブルのテレビ受信にしたらアンテナも不要になるし・・という費用対効果の微妙な影。
ブースター交換は必要なかったのにと思ったが、今まで映りが悪かったり全く映らなかったKBS京都とサンテレビとテレビ大阪が、見られるようになったから、良しとしよう。
1日半のブランクで観られなかった韓流ドラマは、すぐにレンタルを利用した。
4本も必要なかったのに4本だと割安だと言われて1000円使った。
その中の1本の『アバター』を先ほど観た。
あれとあれにも似てる・・という感じだけれど、ファンタジーはどうしたって似た部分が出来ちゃうんだろうなということは置いといて、かなり面白かった。
電気屋さんの値段は、わからないとかで未払いだから、ちょっとだけ後悔したりしながら、しばらくはハラハラ。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事のこと

2011年02月13日 13時20分39秒 | テレビ・ネット・映画
2/11NHKドキュメンタリー『無縁社会 新たな“つながり”を求めて。』を観ていろいろと想うことがあった。どういう感想をもったかとか、その番組内容を説明するブログなどは膨大な量の発信が成されているだろう。

私が想った些細なことを一つ。『仕事』についてだ。仕事もなく社会とのつながりもない孤独な人が近所のゴミ拾いを始めるというシーンがあった。社会と繋がりを持つきっかけに一人でボランティア活動をするのは、実に自然な成り行きだと思った。

私は毎日、車であちこちに行っているので、そのような人を目撃することがある。複数で同じジャンパーなどのしるしを付けてやっているボランティアではなく、自分のオフィス前の清掃をやる人とも違う個人的ボランティアだろうと思われる人が原付バイクで投げ捨てられた空き缶を拾い集めながら道路端をゆっくり行くのを見たことがある。他にも善意の個人的行動をよく見るようになった。

高校生の頃、仕事という言葉が住んでいる場所によって違うことを知った。私は里山そのものの田舎に住んでいて、子供の頃から割り当てられた仕事があった。毎朝の拭き掃除や、時季に応じての薪割りや草取りや雪降ろしなどをやるのは、一人前にできなくても義務的に当たり前の役割だったので、それを仕事と呼んでいた。ところが、高校のある市の中心地に住む同級生たちにとって仕事とは金を稼ぐことだった。彼らはこじんまりした家に住み、小遣いも沢山なら、アルバイトをして賃金を得るのもいて金まわりが良かった。私の『仕事がある』と言った事について『何それ・・そんなの仕事じゃない』と馬鹿にする風だった。

話はずれるが、理科や物理でベクトルや熱量なんかを習う時に『仕事』や『仕事量』が出てくる。私は牧歌的な生活だったので素直にその言葉を受け入れることはできたが、街中で育った人らは受け入れにくかったのではないだろうか。仕事というのは経済活動をして賃金を得るものだろうに、と思ったりしなかっただろうか。

現代の世の中は、仕事というのを経済活動に狭めて使っている。「赤ん坊は泣くのが仕事だ」という言葉がある。泣くことは不満不快の自己主張だけれど泣いて肺が鍛えられるのだから、適度に泣かせておくのも必要ということなのだろう。

と、このように奇妙な羅列をしたのは『仕事』の意味を広義に使いたいからだ。自分はこの世にいても意味がないのではないか・・・社会に必要とされていないのではないか・・・と仕事のない孤立した生活をしていて絶望する人が多くいるようだ。何でもいいから、動いたらいいのに・・・動いたら、賃金は得られなくてもそれは広義の仕事になるのに・・・と想うのである。仕事とは人とのつながりを持つこと確認することだとも言えそうだ。

自分の身内のことを言えば、私の母は田舎で父の死後、独居老人となって7年間過ごした。認知症となり晩年を不幸なまま終えさせてしまった。独身を通している姉が東京で難病を抱えながらも働き独り暮らしをしている。もう一人の姉は長野県で子を成さず未亡人となり独り年金暮らしをしている。娘も東京で独り暮らしで自活している。何ということだろう。必要なときに助けを求める人が身近にいるのだろうか。

私は独り暮らしを独身時代に10年間したけれど、独りで住むことはもう考えられない。どのような形態であれ独り暮らしは避けて同居人のいる生活を続けようと想っている。私は孤独を愛する風によそおい、そんな思われかたをしているかも知れない。でも周りには宣言しているのだ。独り暮らしは不自然だから自分は決してしたくないと。不自然だけではなく不合理で不経済で不利益が多い。私には成したい仕事も成さねばならない仕事もわんさかとある。殆んど賃金にならない事だけが頭のなかで空回りしているだけだけれど、広義の仕事が一杯で風邪を引く閑などないのだと見えを張ってみる、或いは見えを切る。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする