鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

「いい質問ですね」のこと。

2010年12月30日 14時06分27秒 | 随筆或いはエッセイ
これは今年の流行語のひとつで、フリーのジャーナリスト・池上彰氏のニュース解説番組で発せられるフレーズだ。良い番組だと思うし、彼の解説には教えられることが多く感服するのだが、どうしてもあのフレーズには違和感を感じてしまう。講師が説明不足だったところを補うことになる質問なら、「いい質問ですね」ではなく、『すまん、そういう疑問が出る事に思い至らなかった』と胸のうちに記するもので普通なら恥じるところだろう。無邪気に素直な人だから『ラッキー』と思ってそのフレーズが出るのか、それとも番組構成上の『good job』というほめ言葉としてだけ使っているのか。いずれにしても新しい用法を広めたことは確かだ。

少し前のことになるが、今年の町内のレクリェーション日帰り旅行の工程でビール工場見学が組まれてあった。工場を一回りした後にはグラス3杯までの試飲もあって結構なコース。途中の要所要所で工場の女性案内係りが立ち止まって説明してくれるし、質問にも丁寧に応えてくれる。酵母をここで入れて・・・とあってから、ここで酵母を除きます・・・の後で質問してみた。取り除いた酵母は再利用するのか・・・と。

案内係りは質問を受けると、必ず「ありがとうございます」と言ってから答える。私の質問は、彼女にしてみれば『いい質問ですね』と口走りそうな、ツボにはまったものだったようだ。元気な酵母は再利用もするし、元気のなくなったものはそれを使って何々という商品にして売れているとか、用済みビール酵母を混ぜた飼料を与えた豚はとても良い肉質になるとか何とか。もしかしたら産業廃棄物として大量に廃棄されたり焼却されたりしてないかという危惧からの質問だったのだが、彼女はニンマリで私は何だか照れた。

いい質問の反対は何だろうかなどと考える。悪い回答だろうか。よくない設問だろうか。答えるまでもない愚問だろうか。講師を立ち往生させる困った質問だろうか。いずれにしても、あのフレーズは番組の秩序をほどよく保つためのアイテムでしかない。討論や議論の場での、本当にいい質問とは、深い認識と熟慮のもとに発せられる問題提起でなければならないのだろうと思う。そうして即答などできないものの筈だ。

今年も国会議事堂ではすれ違いばかりの議論で、いい質問もいい回答もなかったように思う。来年はどうなるのだろう。激動の年になるようでいて、何事もない年になりそうな・・。でも確実なのは、いきなりテレビを観られなくなる世帯が相当数でるということ。そして今のままなら我が家もそうなのだが・・。

年末にあたり、これを読んで下さる方に申し上げます。ありがとうございました。よいお年をお迎え下さい。     とんび

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盲亀カメリアの近況(その27)  冬眠中

2010年12月21日 01時09分19秒 | 盲亀カメリアの近況

何かといそがしく気ぜわしくブログも休眠中だがカメリアの近況を少し。予定通りにクヌギの葉っぱを冬眠室に入れておいたら、目を離した隙に潜り込んだ。意外な早わざだった。もしかして脱走してしまったのではないかと思って葉っぱの中を探ったら居たので一安心。

潜ったとはいえ、ときどき中で少しずつ移動しているようだ。鼻先を葉っぱの上、水面上に出していたりする。先日友人が来たので、葉っぱの中から引き出して亀島に上げて見た。迷惑なことだったろうけれど、そんなときカメリアは逃げる素振りや、あわてる様子は見せない。完全に甲羅に閉じこもるわけではないけれど、じっと動かない。ある境地に達した仙人風なんである。盲亀ではなく仙亀にタイトルを換えたい位。

その時も、次に見たときにはもう葉っぱの中に潜りこんでいた。葉っぱはそうとう水にさらしたのに水が茶色く濁る。体に悪いのではないかと心配になる。たまに水を半分くらい換えてやる。居住空間の方の水をかき出しても、冬眠室の方の水位はすぐには下がらず、じわーっとなのでバケツ一杯位換えてやる。じょじょに循環して混ざるのだ。

冬眠といえど、半分寝ぼけ状態なのだろうか。けっこう移動するようだ。昨日見たのがこの状態。久々に姿を見た。以前カメノテという貝をたくさんもらって食べたのを思い出した。

寒い日には、水槽の内側が結露する。枯れ葉の発酵熱が有効に作用している。外に置いているベゴニアのプランターを水槽の上に載せた。ベゴニアは外では冬越しできないし、植物はすこし熱を発するらしいのでよかろうと思ってのこと。ベゴニアの下の水槽内壁だけ結露してることもあるから、これは思い通りだ。寒くはなったが、まだ霜は降りたことがない。氷点下になることもある冬本番はまだこれからだけれど、たぶん大丈夫だろう。世話がしたくてたまらないわけではないが早く春にならないとつまらない。
         (カメリアが来てからいつの間にか1年が過ぎ、388日目)

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法務大臣の蛮勇

2010年12月05日 20時11分22秒 | 個人的主張など
11月20日朝日新聞のオピニオン欄に〈死刑 悩み深き森〉というタイトルで千葉景子前法務大臣へのインタビュー記事が載っていた。副題として《執行の署名は私なりの小石》とあった。この記事を読まなければならないと思いつつやりすごしていたのだが、ようやく読んだ。『小石』という表現にひどく違和感があるが、それはそれとして本文のなかにとても気になるが納得もできる表現があった。死刑執行に立ち会った時のことを回想しての述懐で『えらくあっけないと言えばあっけない。でも何か、とってもこう、美しくないというか、何か醜悪というか、でも形の上では厳粛。そこのなんとも落差というか、ある意味で自己嫌悪みたいなものもありました。』とある。

この前に自分の矛盾のことも述べているのだが、矛盾を承知しているから論理では説明できないところを感覚的に語っていて、こうとしか言いようがないというもどかしさの表現が腑に落ちた。理性で組み立てた考えではなく、本能的な直感が拒否反応をして正邪の判断を下した瞬間を表現していて、意外に素直で正直な人なのだなと思った。

死刑廃止論者が法務大臣になって死刑執行の決裁をするという矛盾に身をおいた場合、男なら自分に言い訳を作り居直る場合が多いだろう。女だったから執行の現場に立会い、執行室の公表までできたのだろう。女性ならではの蛮勇という以外に言いようがないと感じた。看護師だった人が法務大臣になって死刑執行の決裁をした例もあったが、この人は弁護士でありながらなのだ。野に居て権力の横暴を批判し不正を暴くというのでもなく、野党に属して国会で論戦を挑むのでもなく、権力の中枢に位置したのだから何が何でも改革変革の端緒を開こうという考えは理解できる。

人の生き死に関わる仕事なので現場を見ておこうという実証主義の人だ。実証主義といえば、坂口安吾の書いたもののなかに、織田信長は残忍な面を強調されることも多いが実証主義の人だったと、多くの事例を挙げて考察した文があった。火あぶりの刑をじっと観察したり、奇怪なうわさのある沼には自分で飛び込んで確かめたり・・・といった調子。

千葉元法務大臣は自分で認めている自己矛盾や死刑執行目撃の事を、この先ずっと、美しくない事に加担してしまったという悔悟を噛みしめ抱え込んで生きていくことになるのだろう。むごいことだ。執行命令の決裁をしても、それを中止させる権限はあるのだろうか? その寸前にも『中止!』と命令したくなっただろうに。

以上のような憶測による情緒的書き方をしていくと、いくらでも連想されるものがある。映画で言えば、アイスランドの歌手ビョークが主役をやったデンマーク映画の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や、アメリカ映画で親子三代の死刑執行刑務官の『MONSTER'S BALL』や、萩原健一主演のテレビドラマ『宣告』(ネットで調べたら1984年にTBS系で放送されたもので加賀乙彦原作)など。いずれもイヤな感触の残るものだった。

男性の側から見れば、女性は論理的理性的に物事を判断せずに、生理的感覚的に判断していると思うことがよくある。しかし、生理的感覚的直感は往々にして本能からくる正しい判断だ。法は論理だけで判断実施されていいものではないのではないか。法のトップたる法務大臣などは特に男女一人ずつのペアでやらなければならないのではないか・・・と思えてくる。男女共同参画のツー・トップではいけないのだろうか。何だか、どう〆たらいいのか迷走するばかりだ。今回も尻切れトンボのまま、また次回ということにしよう。

コメント (3)
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