鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ウチで咲いた花 ⑰ヒヤシンス

2013年03月30日 18時53分55秒 | ウチで咲いた花

・・・・・・・・・・・・・・おそらくヒヤシンスだろうと思うけれど、私が子供の頃からなじんできたヒヤシンスではない。頭に何とかが付くヒヤシンスなのだろう。なじんできたヒヤシンスは細い花びらがそっくり返って、コップを洗うブラシみたいに花が密集して筒状になって咲くものだ。色はピンクが多かった。

これは球根を買っただけで植えようとされなかったのを、1年越しか2年越しで植えてみたもの。秋に植えるべしなのに、冬になって植えたからいじけたのか、随分小さい。悪条件が重なったせいか、クロッカス同様いっせいに咲かずにぽつぽつと咲く。それで必然的に撮り方はズームになる。この花は、それに加えて、うしろから撮るのが良いように思われて、こういうアングルになった。

わが家では、プランターいっぱいに咲かせたり、咲き時を揃えて寄せ植えしたり、畝いっぱい競うように咲かせたりができない。いろいろ原因はあるのだけれど、『そこまでしなくても・・』という気になってしまうからだ。ひとつ咲いてるのを見て、これが群生してたらとか、どんな花壇にデザインできるかなどと想像するだけで満足してしまう。やせ我慢の引かれ者の小唄。



こちらでは桜がいま見頃だ。車で今日も70Km位走ったが、それだけで花見をした気分になる。出先で駐車場から目的地に歩く間にも桜並木はあるし、途中の公園では土曜日だけに親子連れやら年配アベックやら家族総出やら花見行楽の風景が見られた。

桜を全体で見たり、個別の木を見たり、赤いつぼみが開いて薄いピンクの花びらになる寄りあいを細かく見ていたりと、にわかカメラマンがそこらじゅうにいた。色んな種類の桜がある中に、1本淡くピンク満開に咲いた樹があった。そこで湧き出たフレーズが『まるで造花みたいに見事』というもの。自分を疑ってしまう。

追記。裏側だけでは片手落ちかと思いなおし、数日後に開ききった花を正面から撮ったのを出すことにした。色が薄くなってしまったが、裏表とも中心線の青だけはくっきり残している。何だか勝手に画像位置が移動してしまう。どういう現象なのだろう。苦肉の策で場当たり対処をしてみた。

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身の回りの生き物のこと ⑮ヌートリア

2013年03月27日 03時04分26秒 | 身の回りの生き物のこと

ヌートリアをはじめて見たのは10年ほど前だったか。仕事上の遠出長距離ドライブ中に『あーまたタヌキがはねられているなぁ』と思いながら横を通り過ぎしな、『お、なんか違うな、もしかして、もしかして・・・幻のニホンカワウソか!?』と思ったのだ。車を止めて、降りて、観察して、『これはヌートリアだ』と確信した。

戦争中に防寒用毛皮確保のため、さかんに飼われていたが、敗戦後は軍隊用の毛皮は必要なくなって、放されたり逃げたりしたのが野生化したという記事を何十年か前に読んだことがあった。いつかこの巨大ネズミを見てみたいと思っていたが、お初にお目に掛かるのが轢死体とは。

その後、バードウォッチングに一時凝ったときに、桂川で生きているのを見ることができた。泳ぐのも見たし、中島になっている陸でくつろいでいる姿も観察した。そのとき河川敷の畑で仕事してる人にヌートリアの被害はないのかと聞いてみたが、ヌートリアがいることも知らないようだった。そして、そこから4Kmほど上流にある観光名所渡月橋あたりにいるヌートリアの、草を食っている姿がテレビニュースで流されたのは、その2~3年後だったと記憶している。

もう京都でヌートリアは、自然観察好きな人の目に馴染みになっているだろう。画像のものは私の散歩コースの山科川で撮った。対岸に近い中島付近を泳いでいるのを見つけて、私の旧式になったデジカメのズームを一杯にして、手すりにカメラを押し付け、息を詰めてようやくものにした。『あれは何ですか』と私に聞く人がいたので説明したら、「あんなのがいるんですか」と驚いていた。

川に隣接して京都市のゴミ焼却場と下水処理場がある。下水処理場から処理水が放出されている付近はいつも臭い。そんな環境でも大きなニゴイはたくさんいるし、鴨も鷺も川鵜もいてヌートリアもいる。少し下流の木幡池にはヌートリアがいると聞いていたが、山科川では初めて見た。つい3日前のことだ。その日は別のひと回り小さい個体も見た。増えすぎると農作物を荒らしたり、田んぼのあぜに穴を明ける被害を出して駆除されるそうだ。願わくは人知れず知る人ぞ知るマスコットでいて欲しい。

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ウチで咲いた花 ⑯サクラソウ

2013年03月23日 13時52分15秒 | ウチで咲いた花

玄関先にたくさんプランターを並べてあり、それがほとんどサクラソウばかりという家が二軒連なっていて、通るたびにその見事さに感心する。仲良しの隣同士なのか、隣が空いて親子二世帯が並んで住んでいるのかなどと想ったりする。花の色に変化があって面白い花だ。何年か前に苗を買って咲かせたことがある。

種でいくらでも増えるのかと期待したけれど、その年かぎりだった。今春もホームセンターで売られているのに気づいて、二株だけ買った。何が原因かわからないけれど、一株は枯れてしまい、残ったのがこれ。今どんどん大きく湧くように咲いている。検索してみると宿根のタイプもあるし、種からでも簡単に育てられそうだし、自然に落ちた種からでも毎年育つらしい。今後はそのよう期待したいけれど、にわか園芸だからどうなることやら。

植物を育てるのは、本当にむずかしいと最近よく思う。結果を気長に待てないからだろう。それはともかく、この画像はどうだ。ピントもうまくいった。『花は爆発である』『爆発は花を模倣する』などと言葉が湧いてくる。『赤いハンカチを隠し持つ握りこぶし』という比喩もあり・・か。先のクロッカスで歌詞を思い浮かべてくれたコメントに刺激された。

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ウチで咲いた花 ⑮クロッカス

2013年03月20日 09時47分14秒 | ウチで咲いた花
                           花壇で咲く春の花で一番可憐だと思うのが、このクロッカスだ。葉っぱが短くつんつんとしていて花だけが大きい。全体からの割合で花が極端に小さく人に大事にされないのが野草であり雑草だとすれば、クロッカスはそれと正反対の体つき。植物には使えない言葉かも知れないけれど、何だか体つきといいたくなる。

クロッカスはどういう履歴をもつ花なのか。それをほとんど知らないまま調べもしないで書いている。クロッカスという呼び名が品良くいい感じだ。クロとカスで(-X)×(-X)=X2(Xの2乗のつもり)の効果なのかも知れない。

夜と昼の違いが面白い。夜の姿は悪魔の化粧のようだ。どういう理由があっての、この化粧か。虎斑模様と言うのだろうか。それに比べて昼は一杯に開いた黄色の中に、橙色の可憐な雌蕊。マクロで撮って、パソコンの拡大画像を観て、改めてぞくぞくする次第。

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ウチで咲いた花 ⑭スイセン

2013年03月17日 22時13分21秒 | ウチで咲いた花
スイセンは種類が多い。このスイセンは・・などと書き始めれば名前も由来も知っていてのことでなければならない。けれども、じつは何も知らない。田舎の実家から球根を掘りだして20年近く前に持ってきたものが、まだ生き続けている。田舎の庭には5種類ほどのスイセンが春になると咲いていた。

ほとんど日の当たらない隣家との隙間の軒下で、土は固く乾きがちなら水遣りもしてもらえない状態だから一度も咲くことがなかった。それでも毎年春になればニラのような葉を出した。茎が立たないからつぼみもつけなかった。それなのに今年になって1本茎が立った。

前から気になっていたので、これを機に全部掘りだし、小さな庭の隅を耕し土を柔らかくして、約10個全部を移植した。1本の茎につぼみが3個ついて、ついに咲いたのがこの花。雌伏十数年、渾身の力をふりしぼって咲いた花だ。来春はどうなるのか、今から待ち遠しい。なんせナルシストの花だから。

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交通事故を目撃して思ったこと。  

2013年03月12日 00時10分52秒 | 随筆或いはエッセイ
交差点で信号待ちをしている私は、大きなガチャガチャッというような音を聞いて右を見た。250ccクラスのヨーロピアンスタイルバイクがたくさんの破片を飛び散らせて道路に倒れていくのが見えた。と、同時にジェット型ヘルメットを被った人間が道路上をコロコロと転がっていくのも見えた。

ヨーロピアンスタイルはハンドルが小さくて、前傾姿勢で乗るスピードレースタイプバイク。ジェット型ヘルメットは、フルフェイスの口を守る部分がないタイプでオバサンが好む形。目撃と書いたが、当たる瞬間を見ていないので私は証言者になれない残念な目撃者だ。

おそらくこういうことだったのだろうと思われる事故状況を先に書こう。私は大きな道路に交わるT字路で青信号になるのを先頭で待っていた。大きい道路は優先道路で青信号も長いので車はスムーズに流れていた。右から来た軽のワンボックスカーが私の方に曲がろうとスピードをゆるめたが、後方確認をしないまま左にグイッと寄ったのだろう。もしかしたら方向指示器を寄せると同時に点けたのかも知れない。そこにかなりスピードを出したバイクが突っ込んで来て、縁石に乗り上げたか、急ブレーキを掛けたか(ブレーキの音はなかった)・・バランスを崩し、ガードレールにはじかれて転倒したのだと思われる。軽ワンボックスカーには接触していないかも知れない。当たっていたとしてもわずかだったと思われる。

転がった人間は、曲がりかけて停まった軽ワンボックスの左前面に身体を横たえる格好で動かなくなった。しかし、軽ワンボックスが動きだしたのである。寝転んでいる男を轢こうとしている。どういうこっちゃ!!?・・と思った。運転手も助手席の男も死角になって男が見えていないのか・・?! 倒れた男の太ももをタイヤが乗り上げそうになった。少し乗り上げたが、倒れた男が気づいたのか、身体をずらして車の下に潜り込む形になった。

軽自動車は逃げようとしているようにも見えたが、車を左端に寄せようとしているようにも見えた。私は一番近く目の前に見ているわけで、「動くな! 停まれ! 停めろ!」とドアを開けるのももどかしく叫んだ。ところが、運転手はキョトンとした表情で車を動かしている。太ももに乗り上げかけた時点で『変だな』と思った筈。でもパニックになったのか、前進させるので、倒れた男は足首だけ見える形で車の下になってしまった。

そこでようやく私の叫びも届いたか、何か異物が車の下にあると感じたか、軽は停まった。嫌~な感じと言おうか、車の下敷きになってどんな状況か、緊迫した状況だった。一番に駆けつけた私が「持ち上げるぞ!」と、助手席から降りた男に声を掛けて、バンパーに取り付き車を持ち上げた。助手の男も素直に従ったのか、軽だからか、車の前部は軽く持ち上がった。そして沢山集まった内の1人が車の下の男を引きずり出した。

頭をつぶされたりしてないかと、イヤ~な気持ちで振り返ると、下敷きの男は二十歳前後の若いコで靴が片方脱げて靴下が破れ、顔にも傷がつき、服も破れていたが、ヘルメットをきちんとかぶったままで、意識もあり自分で上半身を起こした。『おー何と無事であったか』と多分、周りの誰もが意外に思った筈。

そこで軽の運転手が「大丈夫?」と声を掛けたのである。そうしたら、転がった若者は憮然とした表情で「大丈夫ですけど」と応えたのであった。『何というお間抜けな発言か!!』と私は思ったので、つい口に出してしまった。「大丈夫な筈あるか!!救急車呼べ!」と大声で。そうしたら軽の運転手と助手は「ハイ」と携帯を取り出して電話を掛け始めた。

そこで私は、一番間近の目撃者で救急活動もした人間でありながら、自分の車に戻ってすぐに現場を後にした。何といっても私にだって約束した時間に行く用事があったのですからして・・・。でも後で思うに、私は事を荒立ててプイと立ち去った変な人だったのではないか。

ここで、印象深かったことを書き残したい。

①人間はコロコロと転がるものであるということ。(柔道が得意で受け身がとっさに出る人間ならどうだっただろう・・・。体操選手でバネのある人間だったら、身のこなしよく転がりながら立ち上がったか・・・。)

②大変な事態に人は集まるが、呆然と眺める人間が多いということ。瞬発力がない人間が意外に多いのは、穏やかに平和に過ごしている人間が多いからか。緊急時に何をなすべきか決められないのは、日頃からシミュレーションをしていないからか。想像力が働かないからか。

③「大丈夫?」という言葉は、場にそぐわないこともあるということ。わたしは大きなケガをしたことがあって、その時に「大丈夫?」と聞かれ、腹立ちを覚えたことがあった。見るからに大丈夫でない人間に呼びかけるにふさわしい言葉はないものか!? 
「どこが痛みますか?」だろうか。「どうされましたか?」だろうか。機会があったら救急隊員に聞いてみたい。

④この事故遭遇場面で、車載カメラと言うのだろうか・・事故を記録するカメラが私の車に付いていたら、事故の原因詳細がわかっただろうに残念。この事故はどういう割合で誰がどう悪いことになるのだろう。バイクの若い男が見せた、『オレを轢こうとしただろう!!?』という恨みがましく憮然とした表情を忘れられない。

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