鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

きんさんみたい

2020年04月30日 05時52分05秒 | 健康ネタ


患者用手術着(?)というような服を着せられていた。
ボタンだらけで、どこからでも着脱できるようになっていて、全部のボタンを外せば、何枚かのパーツになるようだ。
厚ぼったくて生成りで、原始人が来ていそうな被り物風。
手術が終わって、台からベッドに降ろされる時に着せられるのだろうと思われる。
その下は、こちらで用意するように言われていたマジック式紙おむつだけ。
首を動かせなくて苦しくて眠れぬ夜が始まる前に入れ替わり立ち替わりナースが来た。
私の身体についたコードの先の計器を読み、管の先の液体をチェックし、接続具合を点検する。
皆がテキパキと職務職責を全うしていく中で、一人のナースが笑いを含んだ声で、「きんさんみたいになってるなぁ」と言ったことがある。
『金さん、銀さんの金さんのことか?』と苦しみながら思った。
首は固定状態で両腕もあまり動かせないから、確かめることもできず、しばらく分からなかった。
苦しんだ長い夜のどの時点か、ちょっと肩が寒いと感じたことがあって初めて意味がわかった。
着せられている変な服がずれて、肩が露出するらしい。
『遠山の金さん』状態をとっさに表現したひとり言なのであった。
お白州側の情けない状態にたとえられなかったのは幸い・・とは今しがた思うこと。
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退院

2020年04月29日 09時36分36秒 | 健康ネタ


バス停前にある祠に初めて気づいた。祈っている人の後ろ姿は、失礼ながら油断があると思った。

一昨日(4/27)昼前にちょうど半月(15日間)の入院生活を終えて退院した。
次は連休明けに外来で病院に行き、血液検査をしてもらい傷口をみてもらう。
そうして頃合いをみて、半年以内にヨウ素治療(放射性ヨード治療)というものをやってもらうことになりそうだ。
それが1回で済むのか、2回3回と1年間隔でやるのかどうか未定だけれど、髪の毛が抜けることはなく、別の副作用はありそうな、10日間ほどの入院をすることになる。

外にでるのは半月ぶりだったが、その前の40日余りは新潟県の田舎に帰省していたので、京都の街を見るのは2ヶ月ぶりだった。
なんだかおだやかに人が少なくて、アメリカハナミズキがピンク色満開で、赤紫や橙色のツツジが咲き始めていてきれいだった。
病院から歩いて東山三条に行き、地下鉄東西線で六地蔵まで行こうと思いつつ、退院直前の採血をしてくれたナースとの会話。
『ずっと入院していたいんだけどねぇ』
 『みなさんそう言わはりますよ』
『タクシーを使わないで歩こうと思う・・』
 『歩く人もあんまりいないし、今はその方がいいかも知れませんね、どこでコロナにあうかわからへんもんねぇ、私たちも細心の注意を払いながら毎日ビクビクしてますゎ、とにかくコロナに気をつけてくださいね』
てなことで結局選んだ道は、病院前から京都駅への専用バス(京大病院ライナー)とJR関西線と京阪バス。
京阪バスは一昨日から間引き運転になっており、ちょうど良いはずのバスが運休で、タクシーを使うという選択肢もあったけれど、タクシー乗り場に引き返すのも嫌で30分待った。
タクシーは二人分のバス代の2倍あまりの料金だけれど断然楽ではある。
でも少しは歩きたいのと、家の前までタクシーで帰ったのを見られて何ごとかと憶測されるのも嫌だなという気がした。

そうしてその間、私は荷物番にバス停に残り、家人はテイクアウトの寿司を買いに。
入院生活は病院食の寿司で始まったから、戻って始まる生活も寿司でと思った。
テイクアウト専門のチェーン店だけれど、どのネタもおいしくいただき、半月の病院食から解放されたランチに満足した。
薬も飲んで、久々にインスタントコーヒーなども飲み、自分の座椅子の背をゆるくして座布団を2枚当てて昼寝をしたのであったけれど、寝起きに腹がグルッと鳴り、ランチの寿司は流れてしまった。

昨日は、田舎の同級生から、私の飼っているミツバチが分蜂をして蜂球を作っているがどうしたものかという連絡がきた。
私が動けない以上、なんとか捕獲の段取りをして自分のものにしたら良いからと伝えた。
気持ちが焦るので、リハビリに、4.1km5900歩の散歩をした。
体重は入院前とほぼ同じの66.6kg。
そろそろ動きたいけれど、首がぐるぐる回るようになるまで辛抱しなくてはならない。
10万円がくれば自在に回るか。

入院中のことで、書きたいことはまだ多くある。
清拭、導尿カテーテル、点滴針、後遺症、リハビリのことなどをおいおい。
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病室の存在感

2020年04月28日 09時51分41秒 | 健康ネタ




四人病室でのそれぞれの存在感は、否応なしにそれぞれの病態を表す。
他人に配慮したり遠慮したりする余裕はなくて、私の術後数日はひどかったはず。
自分の最悪に苦しい夜を書いてきたけれど、『耳鼻咽喉科病棟の夜』といったタイトルにしてもよかったな・・などと、これを書く時点ではここまでゆとりを持てる状態になった。
腫れが引いてきている。
カーテン越しに聞こえてくる盛大な音や、ナースとのやりとり、ケアマネージャーや療法士(訓練を病室でしていたから)の話が耳の遠くなった私にも聞こえてくるのを検討するまでもなく私はおそらく四人の中では最軽症者だ。
人が出す音という音を聞いていると、人間は粘液を出し続けてそれらの滞留が耐えられない生き物なんだなという気がする。
最悪の夜以後の私は、電動ベッドの背の角度をしょっちゅう変えて、その時々に違うベスト・アングルを探す手間を惜しまずにやり、少しは眠れる時間を持てるようになった。
それでも相変わらず真夜中に起きていることが多くて、そんなときに、病室に物音が全くしない時間が訪れたりする。
鼻風邪を引いてるときも眠り込んだら、鼻水がでないから、人間の身体は良い睡眠状態になると粘液の浸出も止まるのかもしれない。
疲弊しきった身体にしばらく熟睡の平和が訪れているのか。
と思いつつも、誰か息を全くしなくなった人がいるのではないか・・まさか自分が死んだのかとまでは思わないけれど・・。
こちらは声は出さずとも常に首を絞められ続けているしんどさなのだ。
対角の人はだいじょうぶかと気を揉んだりもしているうちに、ズズズズズーブジュブジューと痰の吸引音が聞こえてきて安堵したりする。
隣からは『ゴールデンウィーク明け辺りには退院も考え始めなければ・・歩く練習してみる?』などと言われているのが聞こえる。
どうも身内がいないようで、ナースが戦友状態になっている。
前からは1ヶ月経てば退院できるらしいからなどという声が聞こえた。
やはり半月の入院で済む私は、軽く扱われても仕方ない軽症患者だ。
それにつけても、ついつい聞こえてしまう会話から、映画『イングリッシュペイシャント』の従軍看護婦と瀕死の傷病兵なども思い出す。
あの映画のナース同士の会話に、『どうするのアンタは』『私は彼を看取ってから行くわ』というシーンがあった。スゴイ!
人を看るために生まれてきたような人は居るものだな・・と思う
受け答えの柔らかさにテキパキとした言い方や慈愛のこもった言葉尻と間合い。
朗らかさと包容力、自然な同情と同調、聞こえてくるのを何気なく聞いているだけなのだけれど、見つめられて自分が看られているように惹き込まれたりもする。
『ラピュタの城』で、見張りの若い二人の会話を艦内の皆がうっとりと盗み聞きしているシーンを想い出したりもした。

画像は、シャワー浴びて絆創膏を剥がした後の傷露出と絆創膏を自分で貼った後。
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睡眠時無呼吸症候群なのか

2020年04月27日 01時47分47秒 | 健康ネタ
待ちに待った朝、そしておっとりと若い担当女医がやってきて、ちょっと問診してから「立ち上がってみましょう」と言う。
前立腺の時は、体格の良いナースが二人やってきて、両側から肩を貸してもらってようやく立ち上がり、重症者個室内を引きずられように一回り歩いた。
今回は胴体に問題がないので、わりあい簡単だとは思うものの、首が動かせないということは頭を起こせないということで難儀だった。
電動ベッドの角度を70度くらいにまで上げ、あとは首にさえ力を入れなければだいじょうぶなので、色々とぶら下がったりくっついたりしている点滴スタンドを頼りに立ち上がった。
スタンドをコロコロ押しながら処置室に付いていく。
耳鼻咽喉科専用と思われる細くて短い内視鏡で診てくれて、「イー」と言ってください「ヒッヒッヒ」と言ってくださいなどと指示がでる。
入れられるときに思わず目をつむったら、「目を開けて」とも言われる。
目の動きやまぶたの動きで、患者が痛いときや状態を知ろうとしているわけか・・。
「ヒッヒッヒ」が「ピッピッピ」と聞こえて、そのように発音していたのは間抜けなことだった。
2度目からは、ちゃんと「ヒッヒッヒ」と発音した。
「だいじょうぶですね、腫れもないですね」ということで、次は大掛かりな包帯を外してくれた。
本当に外したのかと思ったくらいに、痛さ苦しさに変化がなくて、これさえ取れればという期待はものの見事に大外れ。
病室に戻り、一人になってからすぐ撮ったのが、4/19に上げた画像。
担当医にも一晩眠れなくて苦しんだことを伝え、睡眠時無呼吸症候群と言われたことはないかと尋ねられ、結局、「呼吸はちゃんとできてますから、ベッドの角度で・・」と、なった。
その後、色々とあり、それらが一段落してから家人が昼前にやってきて、眠れなかった長い夜のことを話せば、いびきをここ2.3年かいてることがあって、睡眠時無呼吸症候群ではないかと思ったこともあると言うのである。
これもまた、『早く言ってよ』というやつ。
今さらナースにも担当女医にも言ったとて、どうにもならない気もしないでもなかったけれど、辛く当たったナースには、再びの夜勤時にそのことを伝え、「あの夜はご迷惑をかけました」と謝った。
病室に持ち込んでいたパソコンでいくらか検索してから、医師にもじつはこれこれと言う報告をした。
でも、全身麻酔や手術の影響で舌根が落ち込むようになるということは無いのかと、疑い深く聞いてみた。
「口を大きく開けて・・ベロ出して横に振ってみてください」と言われてやってみた限りでは、自己判断でも、そういうことはなさそうだなと思い、医師もだいじょうぶそうですねと気に留めていない様子。
それでも、私は加齢も影響して完全に睡眠時無呼吸症候群であることを確信した。
どんどん病気が増えていく。
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最悪の夜・・・その3

2020年04月26日 00時58分18秒 | 健康ネタ


眠りにストンと落ちる度に呼吸ができなくて、ゲホゲホと目覚める。
そのことをナースに訴えると、睡眠時無呼吸症候群と言われたことはないですかと聞かれた。
それは無いし、いびきをかくということもない、と答えた。
血中酸素濃度も保たれているし、呼吸が浅くなったとしても問題ないですよ、と言う。
そこで、イライラして指を立てて言う、呼吸が浅くなるんじゃなくて呼吸ができなくなるんだ、と。
とにかく横向きになれないし、なんとかならないもんだろうかと言うのだが、眠剤なら先生に言えば出してもらえると思うんですが、と言う。
腹が立って、今の状態で眠ったら呼吸ができなくなって死ぬよ、きっと、と私は訴えた。
眠りたいけど眠ったら息ができないから起きていたいんだ、覚醒剤ってずっと起きていられるんだったらそういうのが欲しいんだ、と説明した。
そういうのはないでしょうし、とにかくここを離れても向こうのモニターでずっと私たちが見ていますから眠れるベッドの角度を探してみてください、と言う。
冷静に諭されて、そうだな独りで頑張るしかないんだな、と思うしかなかった。
ずっと以前のアメリカ映画で、あるドラッグの効果で疲れ知らずになり動き続ける若者のシーンを観たことがある。
覚せい剤というものの服用で眠ることを防げるなら、本当に欲しいと思った。
それからは、眠りに落ちては咳き込むのを繰り返し、数を数えてみたり、足の指なんかを曲げたり伸ばしたり、拳を握ったり開いたり、身体が暑くならない程度に小さい運動をするのだが、ストンと落ちてはゲホゲホをずっと、何百回も繰り返した。
ナースがいろんなチェックをやりにくる度に時間を聞き、すべての時間を言ってもらった気がする。
しまいには声に出さずに指を立てて示してきた。
窓のロールカーテンを上げっぱなしにして、カーテンも開けっ放しで隣の病棟のロールカーテンの隙間から漏れる薄明かりを見つめ、空が白んで行くのをゲホゲホ言いながら待った。
映画『カッコーの巣の上で』の主役ジャック・ニコルソンが精神科医に飛びかかって首を占めるシーンを思い出したりした。
首を絞められて顔を真っ赤にした女医が、看護助手に助けられて息をゲホゲホしている迫真の演技は実演をしたのではないかと思う。
首自体が包帯できつく巻いてあり、なおかつ腫れて息苦しくなっているのに舌がふたをするのではどうにもならない。
顔全体にガーゼをかぶせて水滴をポタポタ落とす拷問のシーンを思い出したりもした。
私はさほど頑張ることもせずに、なんでも言われる通りになり、簡単に白状だってやりそうだ。
本当に長い長い眠れぬ夜。
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最悪の夜・・・その2

2020年04月25日 04時24分24秒 | 健康ネタ




首の両側から体液を排出するドレンと、ドレンパイプが詰まらないように時々しごく道具。4日目に1本が外され、5日目には2本目も外してもらえた。

病室はカーテンで4つに区切られているのだけれど、真四角の空間はちょうど4畳半といった広さで、ベッドが二つ並べられる広さだからかなりゆったりしている。
窓際だったのが幸いして、3年4ヶ月前に入院していた隣の病棟の私の居た窓も見える。
泌尿器科病棟と耳鼻咽喉科病棟の決定的な違いは患者のだす音。
泌尿器科では気持ち良い寝息(イビキも)だったり、たまに腰に痛みがきている人の唸り声だったりがあるだけで静かなものだった。
ところが耳鼻咽喉科の病室でしょっちゅう聞こえる音は、グアー、ゲーッ、ゲロゲロ、ゲホゲホ、グッフグッフグッフなどの喉の苦しさの音と、大きな咳払い、痰を絞り出す音、吸引音などだ。
遠慮してる場合ではない苦しい状態なので、おとなしい優しそうな人たちが、ゲロゲロと思いっきりからんだ痰を絞りだしたり咳き込んだり、鼻をかんだりを遠慮なし。
私の病室はおそらく重篤患者(大手術患者)集団なのだ。
一番大きく音を出し続ける人は、喋ることはできないらしくボードで筆談。
胃ろうを選んだようで管が繋がっている。
もう一人も鼻にずっと管が入っていて、トイレにもナースが付き添っている。
この二人は目礼しかしたことがなく、控えめそのものの物腰だけれど、音は盛大に出し続けている。
私も手術までは、エアコンが効き過ぎていることによる空咳をたくさんしたけれど、これほど遠慮なしに空咳をし続けたことはない。
向かいにいる人は頭髪が抗癌剤でほとんど抜け、ナースがきたるべき手術の段取りを説明しているのが聞こえてくるのだけれど、術後はICUだとか、気管切開だから話せないだとか、取れてから発声練習だとか、私よりも大掛かりな手術のようだ。
つまり又も3年4ヶ月前と同様、私が一番軽症患者という格好。
で、ようやくタイトルに戻るのだけれど、ナースコールのコールサインの音楽が耳についてイラついた。
そこで、持参した耳栓を引きだしから探してもらって渡してもらったり、寒いと言ったり暑いと言ったり、氷枕をしてもらったのにすぐ冷たすぎて嫌だと外してもらったりした。
そうして呼吸ができなくなってはゲホゲホと咳き込み、ナースが色々聞くのに対して「聞こえないからもっと大きな声で言って!」「耳が少し遠いから」などとも言ったのだけれど、朝になってみれば耳栓をしたままだった。
つづく。
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最悪の夜・・・その1

2020年04月24日 05時47分47秒 | 健康ネタ
家族の面会も禁止ということだったけれど、術後の話を医師から聞いて切除したモノも見せてもらったと言う家人が病室にやってきた。
7時間掛かった手術だったということなどを聞き、ガラガラ声ながら私は声が出たから、麻酔が覚めた直後に話しかけてきた医師も安堵したことだろうと思う。
私の受けた手術は、声帯を動かす反回神経を切らざるを得ないか、あるいは切った場合はリンパ郭清で切り取った神経を繋ぐのか、あるいは全く傷つけずに剥がすことに成功するか、そこが私としては一番の関心事で心配事だった。
手術部もそれに一番の神経を使ってくれたものと思うので7時間も掛かり、声が出たのだからこれはもう成功と考えたい。
途中で諦め放置して閉めたというような中途半端な手術に終わったのではないはず。
家人の話を少しだけ聞き希望的感触を得たので、私はもう一人で苦しみたかったし、コロナ対策通達もあったから早々に帰るよう促した。
いざ独りになると、首を締め付けられている不快感で苦しいながらも眠気がやってくる。
フワッと意識が無くなったかと思う間も無く、息ができなくて目が覚め、激しく咳き込んでから深呼吸をする。
それの繰り返しが朝まで続いた。
私は睡眠時無呼吸症候群を自分に疑ったことはないけれど、舌根沈下で気道が塞がれているのは間違いないと思った。
普段は横向きにしか寝ないので、横向きになりたいけれど、そんなことのできる状態ではなかった。
ナースコールを押し、夜間担当ナースにベッドの背をあげてよいか聞く。
極端に直角ほどにまで上げなければ良いとのことで、いろんな角度で試しては、息ができなくて目を覚ますのを繰り返した。
口を開けて舌を思い切り出して、噛んでいても、眠りに落ちるときには舌は引っ込んでいて喉を塞ぐのだ。
そんな状態だから血中酸素濃度が低いということで病室に帰ってすぐに外された酸素マスクを再度付けさせられていた。
そうして眠れぬ夜を過ごす間、担当ナースに私はイライラとして、きつめに当たった。
呼吸ができなくなる他に、こんなにも痰や鼻汁(膿)が出続けるのかと思うほどで、それを自分で処理するようにと吸引器を持たされた、
道を違って気道に入りそうになる痰をグエーっと口に戻し、鼻汁も口の方に入れてから細い管で吸い込ませる。
粘る痰はすぐに吸い込めずに詰まってしまいそうな停滞をするが、必ず吸い込んでくれる優れもので、これは気分良く慰めになった。
吸引管に蓋としての管を被せなければならず、首が動かせなくて薄暗い中でやるのは少し工夫が必要だったが、それはすぐにクリアーして、酸素計や甲からの点滴をしている左手は使わなくても片手でやれるようになった。
つづく。



甲状腺手術後の眠れぬ夜の必需装置の吸引器
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全身麻酔からの目覚め

2020年04月23日 06時16分44秒 | 健康ネタ
3年4ヶ月前の前立腺全摘術時の目覚めは、最低だった。
名前を呼ばれ『気分はどうですか』と主治医が聞いてきて、私はぼーっとしながらも正直に不機嫌に『トイレに行きたい・・脱糞したいです』と応えた。
病室に運ばれる移動中が不快だった。
手術直後に退院まで使う電動ベッドに移されるようだ。
その移動がエレベーターや何かしらの見切りでガタゴトとうるさく、本当にバリアフリーかと思うくらいに癇に障った。
とにかくその時は腹下しの最悪状態感で、トイレにこもり、独りで唸りたかった。
実際に便が出るのではなく、下半身を手術されたから、そのような感じを強く覚えたということだったのだろう。
今回は、手術室から病室に運ばれている感覚はなく、目覚めたら、そこはもう四人部屋病室だった。
膀胱とペニスが気持ち悪い感じに鈍痛があり、オシッコがしたかった。
それを横に居たナースか女医に言うと、オシッコの管が入ってますからだいじょうぶですよとの答え。
前立腺肥大とか尿路結石なんかで、オシッコしたくても出ない人はこのようであるか、とは、今思えばの後付け。
オシッコをしたいという気持ち悪さは、なくならないので、しつこく言うと、ちゃんとオシッコは出てますよとシレッと言われる。
包帯も厳重にされているようだし、ピクリとも首を動かすことができない。
痛み止めが点滴から入っているだろうから、強く痛むということはないけれど、息だけはできる程度に首を締め付けられている感じは、ずっと続いた。
ただ今これをタイピングしている術後6日目の朝でさえ、幾分ゆるんだものの締め付けられている感じが持続している。
吊るされたらこんなものではないだろうけれど、気分的には吊るされっぱなしの気分。
そうして人生最悪の眠れぬ夜が始まったのだけれど、長くなりすぎるので、明日には必ず。
つづく。



昨日4/22に自動販売機のあるエレベーターホールにて窓ガラス越しに東山方面を撮ってトリミング。

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手術室への通路

2020年04月22日 04時45分45秒 | 健康ネタ


これは意識が戻った後にスマホを持たせてもらい、翌朝に動けない体で撮った。
酸素マスク、点滴、血圧、心拍、血中酸素濃度、体液排出ドレン、導尿カテーテルなどの管とコードが繋がっている。

病室からの出発が手術5分前の8時55分ということだったのが、前日夕方に30分早まったからとナースから知らされ、それがすぐまた元に戻ったりした。
どこかで鶴が一声鳴いたのかどうか。
鶴ではなくて、全体が青く見えるイソヒヨドリを、入院のために自宅最寄りバス停から電車駅に向かっているときに見た。
私はこれを勝手に青い鳥と呼んでいるのだけれど、とにかく飛び方も姿もカッコイイ鳥。
そうして病院に着き病室に案内され、窓際のベッドから外を見たときに、またもイソヒヨドリが今度は2羽も向こうの病棟屋根にいた。
縁起を担ぐということはあまりしないのだけれど、なんとなく嬉しいものがあった。
さて、前回の手術でもそうだったけれど、この病院では手術室まで自分の足で普通に歩いて行くのだ。
自分の意思で手術を受けに行くのだという自覚を持たせるためだろうか。
ビョーク主演の映画で、最後に死刑執行されるために歩いて執行室に向かうシーンがあった。
恐怖で歩けなくなるヒロインを看守が励まして歩かせるというなんともやるせない矛盾。
また横道に逸れた。
5階からエレベーターで4階に降り、長い渡り廊下を歩いて別棟の手術室前へとナースに導かれて行った。
そこで家人に「じゃぁ行ってくるゎ」と私は言い、彼女はナースに自分の携帯番号のメモを渡し、ナースは「じゃすぐきてもらえることができるように病院内にいてください」と言われていた。
開けっぴろげの図書コーナーがある場所を私が教えたのだけれど、そこは昨日から閉鎖された筈だとナースは言う。
それ以上話すこともドラマチックになることもなく別れる。
手術班といったメンバーが待ち構えていて、スタッフ紹介するでもなく、もう事務的言われるままに、すぐ手術台に乗った。
シートが体にかけられ、ナースが「ではズボン脱がしますよ」と下半身に両手を差し入れてきてズボンの両横を紙パンツごと持った。
抵抗の素ぶりなど見せず、ギャグの一つも言わずに尻を浮かし、つるりと脱がされるままになった。
2度目ともなれば、ためらいもなく、慣れるというもの。
頭上のライトを観察した。
パラボラアンテナ状だけれど6灯のものと、5灯のものがあった。
明るさの焦点を変えてあるんだろうかなどと思っているうちに、左手の甲に針を刺され、うまく刺さっていることが確認されてから「では麻酔を入れます」という声がした。
「はい」とは答えたけれど、そのあとは眠くなるとかなんとかの意識は全くなく気を失った。
スイスとかにわざわざ行って、安楽死を選ぶ人がいるけれど、本当に「はい」と言ったら一瞬の間しかなく、あの世行きだ。
つづく。
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手術に至る瀬戸際

2020年04月21日 05時22分08秒 | 健康ネタ


入院中にでた通達

はじめは手術が4/17金曜なので、その二日前(4/15水曜)に入院ということになっていた。
帰省中にだんだんコロナ騒動が大きくなり、田舎で静観しつつも入院日の二日前(4/13月曜)にでも戻ろうと予定していた。
ところが、手術予定者は1週間前に入院してもらうことになったと病院から電話があった日がその1週間前の4/10金曜だった。
480km離れた場所からだから10時間は掛かるので、電話をしてきた段取り係のおねえさんと話した結果、4/13月曜に入院と決めた。
入院1日あたり幾らか保険から出るので、私にすれば『早く言ってよ』という3日分損した気分。
病院もコロナ・ウィルス対策で予定を変えたり厳しくしたり何かと大変なのだろうとは思った。
田舎を出る前日あたり、石川県で感染者が急増し富山も福井も増えつつあった。
列車の旅ではなく、車なので、トイレ休憩だけにするように努め、休憩そのものは車の中でして、石川県はノンストップで走り抜けた。
コロナ・ウィルスに関する多くの情報全てに対し懐疑的ではあるものの、事情聴取された場合に嘘まではつきたくないので、ここは大人のセンスで行く。
自宅に戻り、中1日なんやかやとのろのろと用事を済ませ、入院準備もして、予定通り月曜の10時に京大附属病院へ。
いきなり、入院患者には全員にCTをやってもらうと言われて面食らったけれど、肺炎にかかってないか、つまりコロナ感染者でないか調べるわけね。
私が田舎にいるときに、病院からは、場合によっては急遽退院や転院をしてもらうことがあるという通知がきていた。
具体的にコロナとは書いてなくても、コロナは入れないという強い宣言であった。
そしてめでたく、術前4日間の観察ではあったけれど、コロナ・ウィルス感染者ではないと診断されて手術台に乗ることとなった次第。
つづく。
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手術当日の朝

2020年04月20日 06時09分06秒 | 健康ネタ




0時からは糖分を含む飲料もやめるようにと言われていて、当日は6時半までお茶か水は良いけれど最終摂取時間と量を所定用紙に記す。
6時半に水50mlと記入。
所定のパジャマの下はシャツもパンツも付けないようにとのことだったけれど、私は3年前の前立腺癌全摘術以後ずっと尿もれが続いているので、普段はパッドだが、パンツ型紙おむつを付けた。
そうしてマジック式の紙パンツも用意しておくように言われていて、テーブルにおいた。
テーブルの上にタオル3枚とティッシュペーパー箱とマジック式パンツをおくようにと指示されている。
このパンツ2種は前回の手術の時に用意したものの余り。
捨てようと思ったことがあったのに役立って良かったけれど嬉しくもない。
そうして加圧ストッキングをはく。
これは前日にナースがふくらはぎ周りを測ってくれて、私はMサイズの38cmまでというちょうどの太さ。
付けたばかりはぴったりして気持ち良いけれど、手術後の夜は冷や冷やとして気持ち良くなかった。
脱いでもいいかと聞いたら、翌朝に歩行練習をしてそれができたらでないとダメだとのこと。
エコノミー症候群は、じっとしていて動き出す時に固まりが飛んで詰まらせる場合が多いので、歩くまでは履いておかないと危険だという説得力のある返事だった。
バグパイプを持ったスコットランド兵の足みたいだ。
3年余り前の前立腺切除術の時は、フットポンプ(ふくらはぎのマッサージ器)が手術後に付けられていた。
あまり患者には評判がよくないとのことだったけれど、ピクリとも動けないしんどさのなかで、間歇的に作動するポンプが私には気持ち良くて気が紛れた。
今回は術中はやるけれど、術後はなしのことで非常に残念だった。
そうして最悪の夜を迎える。
つづく。
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首切り

2020年04月19日 04時39分39秒 | 健康ネタ
世間はこれから大量の首切りが始まる。
コロナ・ウィルス騒ぎなどと呼べるものではなく、2020コロナ・ウィルス大災害と名付けられるのではないか。
私は田舎から戻るときに、「首切りを恐れてる人がいっぱい居るのに、私はわざわざ首を切られに行くんですよ」とお隣の奥さんに言った。
こういう軽口も分かってくれる人だから、「早く戻ってきてくださいね、お待ちしてますよ」と言ってくれた。
そうしてただいまの私は、首切り、首が回らないという比喩を実感として体験中だ。
4、5時間と聞いていた手術が7時間かかったそうで、全身麻酔から覚めたときは、朝9時前に歩いて出発した病室のベッドだった。
それから次の朝までは人生最悪の時間を過ごしたのだけれど、それはまた後で。
ナースが「これでもかって位に包帯を巻いてるから首が苦しいでしょうけど辛抱してください」と言う。
手術翌日、つまり昨日の朝9時過ぎに包帯が取れたので、前後の見苦しい画像を上げておこう。
『グロ注意』という画像前置きを、変なサイトに紛れ込んで見ることがあるけれど、確かにグロテスクで露悪的と思われるのでご注意のほどを。







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二日目の食事

2020年04月18日 13時29分41秒 | 健康ネタ





朝食は卵と決まっているのかもしれないけれど、この炒り卵はじつに残念な味。
卵といえば、卵かけご飯か目玉焼きが好きなので、味のないスクランブルドは最悪。
メインはパイナップルとグレープ・ジュースとみなしていただく。

昼食はやはりグレードが違う。
黒酢豚というのがなかなかに洋食屋さん風でイカしてる。
チーズサラダの小さな角切りチーズがおいしい。
こんなに小さく切るなんて、自動切断機があるのかな。

夕食は、ついに出ましたよ、鯛だぜぃという厳かさ。
ブロッコリーが出回るようになってからカリフラワーは嫌いになったのだけれど食えないことはなかった。
当然ながら3食とも完食で、間食は一切とっていない。


*本日は手術翌日の4/18。かなり酷い気分。継続だけを目指して、術前に書いたもの。
追記;昼と夕のご飯は画像を間違えたので、差し替え。
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入院初日の食事

2020年04月17日 05時32分05秒 | 健康ネタ






午前中に入院手続きを済ませ、四人部屋の窓際のベッドに案内された。
一番南の病棟だから、京都のタウン・ビューを期待していたのに、北側の病室で隣の病棟しか見えない。
南側の病室は個室だそうで、そりゃそうだよね経済法則を忘れてました。
バッグ一つに詰め込んできた荷物を片付けている時に昼食がやってきた。
少ないけれど初めから寿司とは嬉しい。
修行に来たわけではないから、なま物でも寿司でも有りか・・と思った。
タコとエビがとてもおいしい。

病院の椅子は全て一つおきに座るよう✖︎がされていた。
私は長椅子の真ん中にゆったり座るのが好きなので、何だか残念。

夕飯は昼より少しグレードが落ちる。
太らせてはいけないという配慮だろうか。
痩せさせるわけにはいかないけれど、太るほどだすわけにはいかないという事情か。
白飯がもっちりしているのは、高温のスチームで蒸し上げているからだろう。
食感がイマイチだけれどおいしい。
モヤシもわずかだとおいしいものだなと感じたり、たんぱく質が少ないけれど充実していると思ったりする。
田舎で大根やキャベツや塔菜やジャガイモなんかの自家製野菜ばっかり食べていたから出されるものが何でもほぼおいしい。
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2020年04月16日 01時20分00秒 | 身の周りの植物








寒い田舎から少しだけ暖かい宇治に戻ってきたら、蘭が花盛り。
蕾の時から透明な蜜がにじみでる。
爪楊枝の先に蜜をすくいとり、舐めるのが私の密かな楽しみだ。
はじめの3枚の画像はキンリョウヘンで、最後はシンビジウム。
キンリョウヘンはニホンミツバチの分蜂群をおびき寄せるための花。
濡れ縁においた飼育箱(入っていないときは待ち箱という)の横に仕掛けた。
せっかくのびのびと咲いているのに玉ねぎネットをかぶせる。
受粉してしまうと花持ちが悪いからだ。
ニホンミツバチやハエなどがやってきても蜜を吸うことはできない。
毎日、全国のどこで分蜂があったか新しい情報がメールで入る。
数時間前、同級生の蜂仲間からソメイヨシノが散り始めると分蜂が始まるようだと聞いた。
田舎ではソメイヨシノが散り始めたからもうそろそろだという電話なのだ。
向こうでいくつも仕掛けた待ち箱にニホンミツバチが入って欲しいと期待しつつ、ただいま京都の病院でこれを書いている。
この後はしばらくネタがないので、病院食の画像だけのブログにする予定。
1ヶ月以上も田舎で独り自炊してきたので、出てくる病院食が何でもおいしい。
ナースがご飯はどれくらい食べました?と聞くので、完食と毎回答える。
おいしく食べられるんだから味覚異常かなぁ・・と言ったら、ふふっと笑って、ノーコメントと返しつつキビキビと去った。
担当するナースたちのリーダー格はさすがに熟成している、いやいや成熟か。
もうすぐ甲状腺全摘、リンパ節郭清の手術を受ける。
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