鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

(続々) 男の病 その17 蜂毒抗体検査

2016年12月31日 16時34分35秒 | 健康ネタ

2016年12月31日のマリー・ゴールド

退院の日、病棟を後にしてから、どうしてもやっておく必要のある蜂毒抗体検査を皮膚科で行っているか聞いてみた。
ニホンミツバチ飼育を本格的にやりたいと、いろいろ計画している身にとってどうしても必要なこと。
男の病とは言えないかも知れないけれど、まぁほぼ男の病。
京大病院の診察券を持っていて、しかも入院、手術、退院の患者なのだから、直接問い合わせてもいいだろうという甘えは許されず、何の紹介状も持たない初診として受付から順を追わなければならなかった。
皮膚科で私の事情を説明したら、長い時間を待たされた後で、翌々日の28日午前中なら、蜂毒の担当の医師が診察しても良いとのことだった。
そうして、退院から中1日おいて、おしっこを全然溜められない身体で、診察を受けに行った。
「〇〇先生が今日の午前中に来るようにということで・・」と説明しても、初めの問診は研修医が勤めることになっているのか、「蜂ってどういう種類が日本にはいるんですか? 詳しくなくて・・」などと言う若手だった。
それでもアナフィラキシーショックのことを伝えたら、腿に注射を突き刺す仕草をして、「これを携行しなくてはならないかも知れないんですね?」とツボにはまったことを言ってくれた。
そうして、血液採取をしてから又廊下で待っているようにということになった。
血液採取を終えてから待っていると呼び出され、ようやく〇〇先生に会うことができた。
私は、小学生の頃にアシナガバチ(アシナガバチも多くの種類がある)に1回刺され、今年の10月にオオスズメバチに1回、日を置かずにニホンミツバチに2回刺されている。
そのことは、受付でも問診でも伝えていたのだが、再再度伝えた。
蜂毒抗体検査は、スズメバチ、アシナガバチ、ミツバチの検査ということになり、来年来月半ばに結論がでる。
長野県のある高校には、ミツバチ飼育部があり、抗体検査の結果次第で、いくら強く希望しても入部が許されない場合があるのだと本で読んだ。
私は、アレルギーはほぼ何もないので、少々刺されたからといって大丈夫だとは思うけれど、私の老後の人生設計がかかっている。
尿漏れの一歩前進三歩後退も気になるが、蜂の抗体も気になる大晦日。
みなさまお世話になりました。
良いお年をお迎えください。
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(続々) 男の病 その16 麻酔薬のこと

2016年12月30日 10時27分10秒 | 健康ネタ

ウチの庭にいつの間にかある黄色い千両。おそらくヒヨドリの体内を通って落とされた種から。

全身麻酔が行われ、手術台は頭の方を低く下げた角度を保ったまま、4〜5時間ほどの手術が行われると事前に説明を受けていた。
手術室に何時何分に入り、出てきたのは何時何分で、手術時間は何時何分であったかを医師に聞くというような、時間の記録と管理を正確にやる習慣が、私にも家族にもない(ないと断言してしまったが、手術室に入ったのが9時で、終わったと連絡があったのでお連れしますと病室担当ナースが手術室に入ったのが14時30分だったとのこと)。
おそらく、今まで私たちはとてもルーズに生きてきて、周りに呆れられることが多かったのだろう。
このブログの時間記述も、そこそこ正確に示さないと意味をなさないと判断したものだけは、それなりにかなりの努力をして表しているつもり。
時間だけではなく全てにおいてアバウトになんとなくの直感でやってきたので、それではいけないかもしれないと、備忘録を兼ねてブログを毎日書いているのだ。
それはともかく、全身麻酔が施されるというのは、人生において、あるいは一個の身体にとって大変なことなのだということが、後になってわかってきた。
乳癌での乳房切除手術前日に入院していた病院を抜け出して手術を回避し、別の大病院にセカンド・オピニオンを求めたところ、乳房温存術でいけるということになり、それで全く問題なく20数年(?)が過ぎているという友人がいる。
その話を自分の切除手術の決意をして手続きもした後に聞き、いろいろと自分の癌を調べてみた。
放射線治療、放射線治療でも密封小線源療法、ホルモン療法などのインターネット記事を、流し読み斜め読みしながら、かなり悩んだ。
そうして結局変わらなかったわけだが、『自分の身体のことなんだから・・』と悩んだことは結果として、これでいくしかないという決意を固めることになり良かったのだろう。
私は手術室前で家族と別れ、腕をつかまれて誘導されることもなく、つまづいてよろけることもなく自分の足で手術室に入った。
あーあれがダヴィンチかなどと思いつつ、言われるままに着衣を脱ぎ、渡された手術衣だけを着て台に上がった。
天井はなんの装飾もない白で、あるのはドラマで見る小丸の集合した大丸のライト。
なぜ天井を明るく落ち着いた色にするような工夫がないんだろうと思った。
それが反射して手術に支障をきたすなら、プロジェクションマッピングまではしなくても、プロジェクターで明るい森の中でもイメージさせるのを写したらいい。
私は眠れる森の美女でも見ながら麻酔されたいのだ。
ようやく麻酔まできた。
私の話は長くて困る。
マスクをつけられて笑気ガスで眠るのだと思い込んでいた。
そうしたら手の甲に痛い注射をされての静脈注射だった。
1回目はどうやら失敗して、ナースが私を覗き込むように顔を接近させて「もう一回」と囁いた。
マスクはしていても目尻がちょっと笑っていた。
『ごめんね、センセ失敗しちゃったから、別の場所に、も一回・・ね』と言っている気がした。
「それでは入れます」という麻酔医の声があり、「はい」とは答えたが、天井がふわっと揺れてぼやけ、10秒も持たなかった。
後で聞いた話だが、マイケル・ジャクソンがこれで死んだというプロポフォールだった。
なかなか効かない人もいて、もちろんマイケル・ジャクソンのように常用していたら、だんだん効きが悪くなって、さじ加減が難しいのだろう。
結果、マイケル・ジャクソンは本人がミルクと呼んでいたという白い液体プロポフォールで死んだ。
最近テレビに出ていたが、東京女子医大の2014年の医療事故もプロポフォール。
私は習慣化するほどに何かの薬にハマったことはないし、酒は付き合いでしか飲まないので、抜群に効いたものと思われる。
プロポフォールをインターネットで見ていたら、せん妄という項もあった。
手術室で名を呼んで目覚めさせるのだという話だったが、全く記憶にない。
ただ身動きできない状態で自分のベッドに寝かされて手術室を出た時の医師との会話は、すぐには思い出せなかったけれど、後から自分の言ったことは思い出した。
「はやくトイレに座りたいです」と「脱糞したいです」。
家族の前で担当医(執刀医でもある)が私に「気分はどうですか」と聞き、私ははっきりとした口調でそう答えたとのこと。
そうして、病棟の重症者個室にベッドで運ばれる移動中、エレベーターと床との隙間などで発するガタガタ音が、ひたすら不快だった。
ベッドの車輪にもう一つ何かクッション材をはめるような工夫をして欲しいものだ。
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(続々) 男の病 その15 病室のアイテム

2016年12月29日 01時00分31秒 | 健康ネタ




私の2畳足らずの空間にあるベッド、テーブル、椅子、物入れ。
テーブルは握るだけでブレーキが解除されて動かすことができ、高さ調整はガス圧で軽い。
テレビは上下左右にリモコンで動かすことができる。
テレビカードは1000円で1000分間観られる。
私は12泊13日の間に2枚使い切った。
2000分は、33時間20分。
使い切らなかったカードの残りは清算してもらえるか、自動精算できるというような話で、カードのみで使える電話のボックスもあったが利用する必要もなくて、使わなかった。
機能ベッドは抜群の性能で、同室の人は退院した時のために同様のものを買うことにしたとか。
背上げ、膝曲げ、昇降、連動とすべての機能があるものだったから、今ちょっと検索してみたら20万円以上するようだ。
病院の規模をあらわすベッドの数字は1000床なら、ベッドだけでも2億円以上か・・・。
この機能ベッドは深夜に動かしても、作動音が気にならない抜群の消音設計。
ナースコールは、緊急的に使ったことはないけれど、一日3錠しかもらえない痛み止めをもらうのに度々使った。
我慢できない痛みではなかったけれど、痛みをちゃんと伝えて薬を処方してもらうことは大切なことらしいので遠慮せずに言い、退院時にも30錠処方してもらった。
キャスター付きで上げ下げ自由のこの食事台というのかテーブルはこの場所のものだったか、私に割り当てられたものか・・?。
貴重品入れのあるひきだしと冷蔵庫とテレビとセットになった家具は私に割り当てられた家具。
貴重品入れのキーは、皆が手首にはめておく規則になっていた。
撮らないでしまったが、椅子が一脚と、キャスター付きで腰を下ろすこともできる物入れが一つ。
ベッドはその上の布団ごと私に割り当てられたもので、シーツや布団カバーの交換は週に一回。
入院した時は4人部屋、手術後は重症者用個室、ドレンが取れてからはまた4人部屋で先の部屋の隣にと移動したが、私に割り当てられたモノは付いて回り、私はいつも幸いなことに窓際だった。
手術をする人には窓際を割り当てるようにしていると看護師長が言っていた。
それでも中には、窓際を嫌がる人もいるのだとか。
部屋のトイレと洗面台は廊下側にあったから、その便利さを欲しがるということか。
私は窓際でなければやりきれない。
アルミサッシの大きい窓の外は狭いベランダになっていたが、窓のクレセントに鍵がかかっていた。
体温計はこの空間用で常にテーブル上に置いてあり、しょっちゅう自分で勝手に測った。
35度台から38度台まであった。
よほど耳をすませていないと計測完了の音楽が聞こえない。
高い音が特に聞こえにくくなっていて、私は耳の遠い老人でしかないと、若いナースが多いから納得させられた。
もう都合の悪いことは、聞こえない振りをすることに決めた。

※退院して3回目の夜。まだ二階のベッドで寝る気にはなれない。トイレも風呂もある1階にいないと落ち着けなくて、コタツでダラダラ過ごす。
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(続々) 男の病 その14 病窓からの風景 

2016年12月28日 01時30分40秒 | 健康ネタ




入院中のある日、私の寝ているベッドから朝焼けが観られた。
窓のロールカーテンを看護師が下ろして、カーテンも閉めきってくれて、2畳足らずの空間に圧迫感を感じながら、いつも夜を過ごしていた。
しかしいつものように夕方、看護師がテキパキとやってるときに、窓際のロールカーテンは下げず、カーテンも引かずにおいてもらった。
そうして見えたのが朝焼け、画像を撮ったら、UFOも写り込んだ。
病室の天井照明が映っただけだけれど、UFO写真というのはこんな偶然の写り込みや、意図的な創作画像がけっこう多いのかも知れない。
病棟の解体現場は入院当初から比べたら、1階分低くなった。
あるときに看護師(♀)が「エライことになってますねぇ・・廃墟みたいやないですか!」と言った。
「気分が荒(すさ)むよねぇ」なんて心にもないことを言って調子を合わせたけれど、私にすれば面白い景色。
屋上に放射能マークが見える小さい棟は、手術前検査の骨シンチグラフィー検査をやった場所。
放射線治療や放射線検査の本丸。
画像の中心部分の山に禿げた個所があるが、五山の送り火の『法』の字。
左側のマンションと思われるビルと重なってしまっているのが『妙』。
撮らないでしまったが、窓からギリギリ見える左端に『船形』がある。
積貞棟8階エレベーターホールは東側にあり、その窓からは銀閣寺上の大文字山にある『大』が、少し斜めから見る位置。
西側にある左大文字は見えるかどうか、そちらの窓に行くことがなくて確認していない。
8月16日に、この五山の送り火は灯されるのだが、入院患者はどんな気持ちで眺めるのだろう、などとも想う。
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(続々) 男の病 その13 ウチのトイレが一番

2016年12月27日 13時15分13秒 | 健康ネタ

クリスマスイヴの夕食はごはん以外すべて美味しかった


夜中の入院棟廊下

これを書いている只今は、12月27日(火曜日)退院した次の日の午後。
今年の流行語に、サッカーの長友が使った『アモ〜レ』が入ったが、私は今まさに、尿モ〜レと呟く日々を送っている。
結論的に言うならば、只今は尿を貯めることができない。
全くできないから完全なる垂れ流し。
対策としては、大人用のトレーニングパンツ(紙パンツ)にパッドで万全ではある。
しかもパッドは前半分しか濡れないので、ハサミで半分にして使っている。
うっかりパッドからはみ出したら、トレーニングパンツが受け止めてくれるので、今までにタイツやパジャマやズボンにまで漏れがいってしまったことはない。
導尿カテーテルが抜けてからの病院での数日は、着実に失禁が改善していて、総ての尿量を測るのだが、漏れが10g、トイレで採尿カップへの放尿が210ccという好記録にまでなった。
ところが退院前夜から全くの逆行が、改善より急カーブで進み、がっかりした。
がっかりどころか、今や1ccも膀胱に蓄めることができなくなった。
そうして、自宅で色々ネット検索して見たら、1歩前進3歩後退ということが多いという医師の発言があった。
そういうことのようだ。
仕方がない。
どうにも仕方がない。
待つしかない。
病院のトイレは快適だったけれど、ヒトを待たせているのではないかとか、何かしら緊張するものがあった。
自宅でならそういうことがない。
私が一番落ち着く場所、自宅のトイレで安心してがっかりする昨日今日。

12/26術後10日目最後の病院食 *美味しかったもの
朝;ごはん225g 鮭のキッシュ風 白菜の味噌汁 りんご ジョア
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(続々) 男の病 その12 膀胱・尿道造影検査 その③

2016年12月26日 04時41分31秒 | 健康ネタ

レンタルパジャマは汚れたら一日何回でも追加料金は発生せずに交換することが許されている。


郊外型の、映画に出てくるような医療施設の広い庭を、看護師さんが押してくれる車椅子で巡るというイメージから程遠く、平らで緑のスペースも多くはない。

 なにはともあれ検査は終わり「何の問題もなかったですよ、ちゃんと繋がってます」と担当医が言ってくれた。私は恨み言の一つも言いたい気分ではあったけれど、そこは多くの失敗を重ねながら生きて来たオトナの態度で、ありがとうございましたと頭を下げた。一度切除された尿道は漏れなく膀胱につながったとのことだった。これからは、『ご応募していただいた方にはモレナク・・』などというセリフにはこの痛みがフラッシュバックするだろう。担当医とのやりとりは以上で終わり、ベッドから起き上がり、紙おむつを履く介助を看護師(♀)がしてくれるような形になったので「漏れるから仮に当てるようなガーゼかなんかが欲しい・・」と言ったら、彼女は「大丈夫ですよ、先生が造影剤と一緒に全部抜いてくれたから」とヒトの身体なのに断言する。私には漏れるだろうという確信的不安があり、彼女には職業経験上の自信がある。内気な私は従うしかなく、ベッドからそろりとずり降りようとしたら、彼女が「あ、漏れましたねぇ・・ズボン濡れちゃいました」と言う。私は彼女に希少な例を示したわけだけれど、かつて無い漏らし王にもなったわけで、バツが悪かった。レントゲン室に備えられている空色の短いズボンを借りて、私は用のなくなった点滴スタンドを転がして病棟に戻った。スタンドは病棟付属のものであり、それは患者が持ち帰らなければいけないというルールがあるらしい。抜けて晴れ晴れの患者は文句を言わない。帰ってから看護師に新しいパジャマを出してもらい空色のズボンを返すときに「これは何ですか?」と聞かれた。泌尿器科の病棟看護師も見たことがないということは、やはり空前の漏らし王なのか。ここから、私の漏らしへの対策と工夫と骨盤底筋運動が始まった。

【と、この記事を書いているのは4:30。夜が明けたら、最後の病院食として朝飯を食べてから、私は退院することになっている。12泊13日の旅を終え、我が闘病生活も区切りを迎える。】

12/25術後9日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;ごはん225g だし巻き卵 ほうれん草ごま和え 大根の味噌汁 オレンジ ジョア
昼;五穀米225g 鮭の幽庵焼 レンコンの炒め物 青梗菜お浸し 
晩;ごはん225g 八宝菜 もやしの和え物 かにシューマイ Pからし 
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(続々) 男の病 その11 膀胱・尿道造影検査 その②

2016年12月25日 11時52分52秒 | 健康ネタ

病室内にあるトイレは他の3人の同室者に気兼ねして廊下にあるここをもっぱら使った
各種採尿紙コップや大便を入れるプラ容器があり計量器があり提出用小窓もある


パンツ型紙おむつとパジャマを一気に引き下ろされたのだが、それと同時にふわっと何かで覆ってくれた気配も感じた。普段の私なら事の次第を観察するのだが、大体のイメージができていたし、場所がデリケートゾーンだし、目をつむってやり過ごす覚悟を決めていた。膀胱鏡検査時に使われた出産台のようなものとは違い、この台にはカーテンがなかったから、見ようと思えば見られたのに。それで実際の作業は、入院した時から2人1組の担当医になったのだが、副担当といった役割の医師が造影検査に関してはやってくれた。造影剤を入れている途中から不快な痛さがやって来た。そうしてバルーンを縮めゴムチューブを抜く時まで、ズーンという痛さは続いた。膀胱鏡検査時の前立腺部を通過する時の痛さと同じ痛さ。前立腺を切除したのにどういうことか、と思った。もしかして切除していないのではないかとさえ疑った。私は裸の王様なのか。

12/24術後8日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;ごはん225g さつま揚げ煮物 キャベツのごまドレ 味噌汁 キウイフルーツ ジョア
昼;ごはん225g サバの味噌煮 キュウリのツナ和えトマト付き 蟹あんかけ 
晩;ごはん225g グリルチキン サラダ(ジュレ) ミネストローネ Xmas苺ケーキ 
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(続々) 男の病 その10 膀胱・尿道造影検査 その①

2016年12月24日 13時45分13秒 | 健康ネタ

尿道カテーテルをしていても漏れるので、温かいシャワーを股間に注ぐのが気持ち良いこと気持ち良いこと・・・。

 不便で仕方なかった尿道カテーテルが抜けるかもしれない日、私は点滴スタンドにぶら下げた尿パックを前面に押し出して癌病棟から中央診療棟に向かった。その日の朝早く、看護師ではないタイプの女性が来て、「8時40分にお迎えに来ますから」とのこと。点滴スタンドが必要な患者は間違いなく診療に間に合うよう誘導するのか・・と感心した。お迎えに来たら、『渡し場までお願いします・・六文銭は用意しました』とギャグかましてみようかなぁなんて思っていたのだけれど、車椅子を持って来て「どうぞ」と言う。「え?車椅子で行くんですか」「あれ?歩けるんですか?車椅子の指示書が出てるんですが・・・」と言う会話の後、「全然大丈夫ですよ、でもせっかくだから乗せてってもらおうかなぁ」「いえいえ歩けるんやから1人で歩いて行ってきてください」というやりとりがあって、入院以来初めて一人で遠出をした。レントゲン室に入って、指定されていたパンツ型紙おむつを一つ渡し、撮影ベッドに上がるようにと言われ、腰をあげるように言われて下半身を剥かれ、目をつむった。

12/23術後7日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;ごはん225g がんもの湯葉あん 大根の和え物 茄子の味噌汁 パイナップル ジョア
昼;オコワ225g 釜めし風おこわ わかめスープ きゅうりの甘酢 牛乳かん
晩;ごはん225g アジのフライ 手作りソース(フライ用) 白菜の煮物 ほうれん草おひたし
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(続々) 男の病 その9 手術直後の身体に付けられた装具装置一式(その2)

2016年12月23日 01時00分00秒 | 健康ネタ

点滴の麻薬


ほとんど動けない状態でも気分は自由な地鶏・・自撮りしたらぼやけたが、ボカシも入れてみた


尿道カテーテルを腹にバンソーコー止めした部分は枝分かれしていて吸引することもできる・・見苦しい部分はボカシを入れたが6個穴を開けたウチの一つが黒いカサブタ


生食というのがぶら下がっていたこともあった気がする・・ナマ食ではなく、生理食塩水の略か


尿パック・・動いた方が良いということで垂れ流しを宣言するように廊下を毎日2回3回とぐるぐる回って歩いた

6 点滴2
 リンゲルに途中で合流する、特殊な形状のプラスチック菅。フェンタニル25ml、生食25mlとあった。点滴は麻酔薬も入れた針が左手の甲に刺さったままで、そこにチューブがつながっている。この大きな筒は何の支えもなかったから、ふとしたはずみでベッドの外に転がると、針先が刺激されて痛い。そこでそれが外されるまで、ずっと握りしめていた。内容は何かと看護師に聞いたら、痛み止めの麻薬ですとのこと。『どうだ、参ったか』という表情に見えて、私は黙って頷いて降参。
        
7 尿道カテーテル
 これを書いている本日は12月22日、術後6日目。外れるかどうかの判断が下される。ドレンが外れてから、日に二回シャワーを浴びている。カテーテルのチューブがヘソ斜め横にバンソーコーで止められているのだが、いきなりシャワー中に外れてブラーンとなったことがあった。抜けたらどうしようと瞬間的に思ったが、なぜかなんともなかった。病室に戻ってバンソーコーを換えてもらいながら聞いたら、膀胱内でバルーンになっていて抜けない仕組みだそうだ。本日午前中、つらいX線造影検査を終えて外された。このことは後日また書きたい。

8 T字帯
 いわゆる越中ふんどし。デザインものがいいと家人には伝えたのだけれど、病院内の売店で買ってきたのか、ただのひも付き白綿布。1枚は手術直後用に渡し、他に2枚用意した。ベッドから立ち上がるようになったら役に立たなかった。漏れ出したらまるっきり間に合わない。失禁パッドをふんどしなんかで押さえておけるものではない。こんな物を用意させるなんて、慣習でしかない。

9 手術衣
 麻色のシンプルな着衣を着せてもらって手術室から帰ったようだ。布というものが発明された当初の被り物の感じ。前が切れていて、患部を露出させるのに便利な機能一辺倒のもの。上下分かれたパジャマになる前に、今度は奇抜な柄の入った寝着になった(昨日のドレンの画像に写っている)。

10 フットポンプ
 これは画像を撮らないでしまったが、なかなかな優れもの。エコノミー症候群になるのを防ぐため両足にはめられて、マッサージが間欠的に行われる。看護師が言うには、『女性には評判良いですが、男性には不人気です』。私は眠りが浅くなることに対して不満を感じないし、勝手に程よい刺激がふくらはぎに与えられることが気持ちよかった。『女に近いのかしら』なんて、後で冗談を言ったくらいに・・。

12/21術後5日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;ごはん225g(300から少なくしてもらった) 野菜と高野の煮物 ほうれん草味噌汁 オレンジ ジョア
昼;ごはん225g 鶏の塩麩焼 コールスローサラダ Pコールスロードレッシング
晩;ごはん225g(300から少なくしてもらった) 太刀魚きのこソテー 越前煮 オクラの和え物

12/22術後6日目の食事。 
朝;ごはん225g コンソメ煮 板麩の味噌汁 バナナ ジョア
昼;オニギリ100g 味付ノリ つけ麺7+③ツケ麺スープ 海老団子の煮付 ・野菜サラダ
晩;ごはん225g 甘鯛の甘酢あん ブロッコリーサラダ ヨーグルトソースかけ(マンゴー)
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(続々) 男の病 その8 手術直後の身体に付けられた装具装置一式

2016年12月22日 00時59分00秒 | 健康ネタ

私の後ろの壁にある酸素や吸引などの各種差込口


自分がベッドから見上げることになるのを想像したことのないモニター類


一見すると食パンみたいに見えるドレン


点滴針を刺し損ねたために内出血している部分はガーゼで隠れているが6日後の現在も青あざ

1 酸素マスク
 全身脱力中だからかどうか、酸素がよく効いているとか、酸素がおいしいとかの感じはなかった。手術室で名を呼ばれ起こされるのだそうだが、その時のことは記憶に残っていない。手術室から病室に運ばれるときはマスクが付けられたかどうかも記憶していない。病室に到着してからマスクを付けられたか位置を直されたかした時から、ぼんやりながら記憶している。

2 酸素チューブ
 酸素マスクから酸素チューブに変わったのは、どのくらい経ってからのことかわからない。鼻がむず痒くて外して掻いたりした時にも、それで感じがどうこうということはなかった。ただ、装着しているといないとで、身体の酸素量が明らかに違うらしい。術後まる1日は付けていたようだ。

3 血中酸素濃度計
 右手中指の先っぽに付けられた洗濯ばさみの高級品のようなもの。看護師が私の酸素チューブを外して、『あーまだあかんなぁ』と言って再装着されたのを記憶している。少し人心地がついてから、濃度計のデジタル表示を一人が読み一人がパソコンに入力する看護師同士の会話から察すると97、98あたりで正常ということのようだ。中指に常時装着していて、指が痛くなり、薬指に換えてもらった。二日目には外されたようだ。

4 ドレン
 これは昨日に書いた通り。モーターなどの動力を使わずに、バネの復元力を使っている、優れものパックで吸引している。『だいぶ少なくなってきましたね』という看護師の一言に何度かホッとした。溜まった分を回収する時、かなり注意深くやっているようではあっても飛沫が飛んでいることがあって、シーツに薄いピンクジミ少々。

5 点滴1
 栄養補給のためのリンゲル『電解質輸液(1%ブドウ糖加酢酸リンゲル液)フィジオ40』。これは手術当日と次の日の絶食期間ずっと付けられていた。腹全体が痛くて身動きできないけれど、少しは体位をずらすのに身じろぐわけで、何度も何度も液が尽きていないのにピーッと警報音が鳴り、ナースコールを押した。その都度、チューブが曲がって流れなかったみたいだと言われた。しまいには手の甲を立てると、針先がふさがるみたいだとまで言われて、アホらしくなりナースコールさえ押さなかった。押さなくても、ナースセンター前の重症者個室にいたので、いつのまにかナースが現れて処置していた。初っ端の針の刺し方が悪くて、やり直していたりしたから、そこに原因があったのではないかと疑っている。

    この項つづく
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(続々) 男の病 その7 骨盤底のドレン

2016年12月21日 00時52分00秒 | 健康ネタ








身近にあるドレンはエアコンの室外機からちょろっと出ている放出パイプ。
おしっこ、うんこと違い、定期的定量的放出ではなくて、なんとなくチョロチョロ出る感じ。
そういうドレンが手術中、私の身体(へそ横)に付けられた。
どういう時点でのことか、麻酔中なので一切わからない。
手術中の出血などは、その時点で吸引排出するだろうけれど、回復中にじわじわと滲出する体液を放出するためのチューブであることは理解できる。
子どもの頃、自転車でころび、広い範囲をすりむいたことを思い出す。
薄い出血がじわじわと何日も続いてガーゼを汚した。
その時にリンパ液という言葉を知った(私の知識は痛みを伴って擦り込まれ、刷り込まれたものが多い)。
そのドレンからの放出液が、薄くなり量も減ってきて、術後三日目に取れた。
骨盤底に先端が入っていた筈のチューブが引き抜かれる時の鈍痛は、忘れようもない不快感だった。
先に膀胱鏡検査をしてもらった時の、チューブが前立腺部分を通過する際の鈍痛に似ている。
皮膚の触覚の圧覚、痛覚、温覚、冷覚、痒覚とは全く違う感覚。
以前にも書いたことだけれど、私の生まれ育った地方では(もしかしたら私のウチだけだったのかも)、腹の痛さには2種類の表現がある。
いてぇ(痛い)は、シクシク痛んだりする状態。
それに対して、なんぎぃ(難儀?)は下痢待ちの鈍痛状態をいう。
その『なんぎぃ』に近い。
医師がチューブを引き抜いている間、いつもの私だったら観察するところだけれど、頭をのけぞらせ目をつむって堪えた。
『腹をさぐられる』という表現があるけれど、腹の中をしごかれたり突っ込まれたりいじられたりしている鈍くて強い連続の不快感。
膣には、そういう感覚はないんだろうな!?
皮膚表面と同じというようなことを読んだことがある気がする。
抜いた穴は二日もかからずにふさがってしまうということだったけれど、風邪気味になってしまい腹筋の痛さを堪えながら咳き込む回数が増えたのでピンクの液体が滲み出てきている。
1日経ってからの医師の判断はどうなるか・・シャワーを浴びる許可が出るかが、これを書いてる時点の最大関心事。

画像は、術後4日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;ご飯 オムレツ Pトマトケチャップ 大根の味噌汁 みかん ジョア
昼;麦ご飯 魚のゴマ味噌焼 ぜんまいの煮付け とろろ芋 白菜の浅漬け
晩;ご飯 牛肉と芋の旨煮 チンゲン菜のお浸し 揚げ出し豆腐
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(続々) 男の病 その6 腹筋の痛み

2016年12月20日 00時08分18秒 | 健康ネタ






手術後の腹筋の痛さはかなりのものだと認識した。
開腹手術ではなく、穴をいくつか開けるだけの腹腔鏡手術でさえ、これだ。
看護師の話では、表面の傷は小さく見えても、中の方はかなり触っているだろうからとのこと。
これを言ってくれた男性看護師は如才なく色々話してくれて、この如才ないというのは、対人的職業には必要条件の才能だと思う。
腹筋が痛いと自発的な咳をするのでさえ辛い。
私は最近、自分は飲み込むのにヘマをやることが他人より多いのではないかと疑っている。
サツマイモは必ず胸に使えるし、飲み物は慌てて飲み道を違えてよく咳き込む。
全員が息をひそめて静かな場にいると、必ず何かが気管に入って大きく咳き込まないではいられない。
腹筋を使う咳き込み、くしゃみ、大笑いを防ぐにはどうすればいいか。

靴下を履いて寝ることが大事だと気付いた。
病院の洗いざらしの寝具カバーは冷や冷やとする。
血流が悪い時に足元が冷えるとくしゃみがでる。
それは是非とも防ぎたい。
咳は、とにかく痛くない程度に、常に気管に入りそうな何かを防ぐように意識するしかない。
これは老後のために、誤嚥から肺炎になることを防ぐ訓練となるかもしれない。
腹を抱えて笑うほどの、面白いことは幸いなのか不幸にもなのか、それほどないので今のところは問題はない。
私を腹の底から笑わせてくれるほどの芸には、なかなか出会えない。
屈託があるから無心に笑えないのだろうし、なんの憂いもなくアハアハと笑える状態を12年後に達成するという目標を設けたい。
癌でよく言われる5年生存率というのはまだ使われているのかどうか未確認だが、その2倍以上で、私の父が生きた年月を越す設定。

画像は、術後3日目の食事。 ※美味しかったもの
朝;全粥330g 白菜のソテー ジャガイモの味噌汁 りんご ジュース
昼;全粥330g 親子とじ 具だくさん汁 パンプキンサラダ
晩;全粥330g 寄せ鍋風 蓮根金平 胡瓜の酢の物 P梅びしお
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(続々) 男の病 その5 後遺症

2016年12月19日 01時11分11秒 | 健康ネタ






前立腺全摘手術の後遺症あるいは副作用については、前もってかなり知識を得ていたが、医師から直接手術前日にパーセンテージを示されながら言われると重みが違う。
一つだけ、これは困ったぞと思う、新しいことを言われた。
前立腺の触診を肛門から指を入れて直腸からやったように、直腸と前立腺は接していることを、ことさらにいう。
そして、生検をこれまた直腸から針を刺してやったことにより癒着してしまうことがあるという。
それで手術中に分離させるとか、剥がすときにレーザーメスで直腸を傷つけてしまうことがあるのだという。
後から検証するためにも、手術は必ず録画しているのだが、何度見直してもどの時点で直腸を傷つけたかわからないのに損傷していることがあるのだという。
そうなると、今度は直腸を治すために外科で再手術を受け、直腸が快癒するまで何ヶ月か人工肛門をつけてもらうことになるという。
それは聞いてなかったぞ・・それは私のライフスタイルからしたら一番困る。
友人が、むやみに生検をすると癌を刺激してやぶ蛇になる場合があるようなことを言っていたが、これもあったか・・。
前立腺の手術後に発熱が続いた場合・・・というような説明があったから、そのことだけをひたすら気にした。
まずはガスが出ること、それから回復が始まるのだ。
出口の存在すら忘れてしまったように屁は肛門までくる気がなく、焦ったけれど二日目の未明、腹の痛さに鎮痛薬をもらい、呑んだ途端に待望のガスが遠慮がちにでた。
そうして数時間後には、いつもの懐かしい放屁、続いて微熱も午前中に引いた。
軽い朝食も食べ、点滴針も抜いてもらって、明日には腹からのドレンパイプを外してもらえる。
あとは、遅くても一週間後に尿道カテーテルを抜いてもらって退院の運びとなりそうだ。
まだ二日目だけれど、ターニングポイントは過ぎた。

画像は、手術当日と次の日の二日間絶食後に許された食事。※美味しかったもの
朝;全粥330g 松風焼 チンゲンサイゴマネーズ(軟) 味噌汁 オレンジ ジュース
昼;全粥110g 焼うどん 薩摩芋サラダ(ジュレ) 珈琲ゼリー(ホイップクリーム)
晩;全粥330g 鯖の香味焼き(軟) ブロッコリーオカカ和(軟) 茶碗蒸し
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(続々)男の病 その4 ガス待ち

2016年12月18日 00時51分15秒 | 健康ネタ




田舎の再従兄弟(はとこ)から送られてきた荷物に入っていた瘦せ過ぎのチンゲンサイのような野菜は、隣の県の下仁田ネギとのこと。
もちろん再従兄弟の自作で自慢の出来だったからこその贈り物。
柔らかくて甘いので、鍋にぴったりだった。
干し柿も自分とこの渋柿を吊るして作ったもの。
手間ひまがかかっている心づくし。
売り物ほどの見事さ味の濃さはないが、作り手夫婦の優しさがしみじみと感じられる味だ。
入院して病棟からお礼の電話をした。
初雪はほとんど消えたが、明日から連続4日間降るらしいので根雪になるのではないかとのこと。
寒い寒いを連発していた。
こちらは入院して全館暖房された病室にいて、申し訳ない気分。
そんなことを書いたのは14日のこと。

18日になった、ただいまはベッド上で身体をずらすのさえ痛くてしんどい。
胃腸は直接関係しないが、すっからかんにしての手術となり、二日間は点滴だけの食事なし。
しきりに看護師がガスは出たかと聞いて来るけれど、入ってないからか、忘れてしまったように出ない。
8時になれば術後初の食事となる。
圧が掛かれば出るだろうとは思うけれど、皆がわがガス待ち。
【はとこからの荷物】として出すつもりだったのに、書いているうちにこのようになった。
何も食べてないのに腹が張ってきた。
その時は近い。

お気に入りの看護師の前で放屁できたら、手柄を喜び合えただろうけれど。
3時45分忘れていた感覚がよみがえり、独り暗い天井を仰ぎ、控えめながら二発。
これで一安心。

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(続々) 男の病 その3 病室から

2016年12月17日 12時17分22秒 | 健康ネタ




病院内のビル解体現場が病室から見える。
ビル上でショベルカーが動いている姿は珍しい。
クレーンは、現場を覆っているパネル付き足場を部分的に外しているようだ。
最上階はすでに解体されて、徐々に下がっていくのだろう。
何年前築なのか、かなりしっかりした建物に見える。
MOTTAINAI話だけれど、さまざまな計算と予測と希望に基づいた解体と再建築ではあるのだろう。
右の二こぶ山は比叡山。
これを書いている現時点から、あと2時間後、私の身体は部分解体される。
腐食脆弱箇所撤去。

ただいま手術から丸一日過ぎて、ようやくベッドでノートパソコンを開いた。
歩行訓練を朝方、二人のガタイの良い看護師(二人とも♀)に支えられて、室内でやる。
明日から食事が出るけれど、今日は何でも飲んでいいとか。
歩いた方がいいですから、自動販売機から自分で買ってください、とやんわり言われる。
仕方がないので、点滴をコロコロ転がして、腹からのドレン袋をぶら下げて行ってきた。
香るブラックが胃に沁みるぜ。
上の文章は昨日の早朝、手術前に書いた。
手術の呼び出しを待っていたら、虹がでていたので、幸先(さいさき)がいいじゃないかと撮った。
網戸の向こう、虹の向こうに幸いが住んでいるのだから、見られて幸い。
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