鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

伊能忠敬先生の出生地を訪ねる  その①

2024年10月31日 08時54分30秒 | 旅行








52分の13名によるミニ同級会が終わってから、予定していた千葉県東金市に向かう。
年に数回十日町市のわが家に来てくれて色々と手伝ってくれる友人宅を初めて訪れ、泊めてもらった。
起伏のない平坦地が広がっているのに道の曲がっているのが印象的なところだった。
次の日は九十九里浜に行きたいとだけ思っていたのだが、近所に伊能忠敬ゆかりの地があるとのことで、まずはそこに連れて行ってもらった。
それを聞いた時に、「伊能先生出生地なら是非ともお願いします」と先生という尊称が何のためらいもなく口から出た。
案内板に、伊能忠敬は1745年に旧家小関家で生まれ、7歳で母を亡くし、佐原の伊能家の養子になる11歳までこの地に起居したとある。
佐原市には伊能忠敬記念館があり、旧宅などもあって大々的な史跡となっているようだけれど、こちら九十九里町の出生地は、バスの停まれる駐車場がありトイレはあるものの、ひっそりとした公園だった。

『地理学者伊能忠敬先生は、五十一才にて家督を長男景敬にゆずり江戸に出て西洋流の暦学者高橋至時(東岡)に入門、暦学・数学・測地法を学び、寛政十二年(一八〇〇年)四月、忠敬は蝦夷地(現北海道)の測量に出発、前人未到の大事業の一歩が始まる。
時に先生五十六才、文化十三年(一八一六年)まで本州・四国・九州の全沿岸の測量に前後十七年、十回の測量のためついやした日数三、三六五日という超人的なものであった。実に晩学の地理学徒である。』

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横浜中華街でフカヒレ昼食会

2024年10月30日 09時28分28秒 | ざんねん




横浜在住の同級生発案による横浜中華街でのフカヒレ昼食会に参加してきた。
52人クラスの13人の出席だったので、ちょうど4分の1。
後期高齢者なのに、参加者はほぼ元気で、出たくない積極的理由もなく経済的事情も家庭の事情もないのが4分の1なら、まずはおめでたいと言ってよいのかもしれない。
などと、ただ誘いを受けて参加するだけの者が言うことでもないか。
杖をついている者もいたけれど、皆が口は達者で、あれこれの自慢話に歯止めの効かない者もいて、それでもそれぞれが適当に話を合わせているあたり、大人になったと言おうか、歳を食っているのだった。
メインのフカヒレは、期待したほどのものではなかったけれど、デザートのマンゴープリンが美味しかった。
予定時間の2時間が過ぎ、そのあと全員が入れる場所といえばカラオケしかないということで、2万円の会費の残りを使うことになる。
そこでも話が止まらず、数多くの宴会をこなしてきたに違いない者がそれなりに仕切って、時間が過ぎた。
滑舌がよいか、早口か、大声か、話がうまいか、変わった体験談を持っているか、サービス精神があるか、といった何かがないと話したくても話せないものだなと思った。
ほぼ私は聞き役に徹さざるをえなくて、聞かれた内容に応えていても話が続かなかったりする。
私には武勇伝も、自慢話も語りたいことはほとんど無いのであった。
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希少価値 その③

2024年10月29日 00時22分55秒 | 養蜂


一昨作年だったか、メダカ(目高)が増えたのを譲りたいと言う人がいるので要るか、と従姉から連絡を受けて貰いに行った。
青メダカだったのだが、買えば高いので自分で買う気にはならないが貰えるならありがたいということで稚魚数十匹を貰ったのだった。
それが、私の飼うさまざまな雑種系メダカ達と交配して、こんなのもたまに生まれて育つ。
大きいビオトープにいたのを捕まえたので、今度はいつでも捕まえられるよう、一番小さなビオトープに入れた。
メダカにハマって繁殖をやる人なら、意図的に同じのを創り、さらに良いのを目指したりするのだろう。
私にはそのような執着心がないので、偶然を楽しむだけで十分だ。
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希少価値 その②

2024年10月28日 09時18分09秒 | ざんねん


野沢温泉道の駅で青いミニトマトが売られていたので買ってみた。
一袋100円は可哀想なくらいの値段で、一袋しかなかったのは最後の残りだったのだろうか。
駐車場で開けて食べてみると100円は妥当な線で、炒め物に入れたら良いのだと同級生は言うのだが、100円が惜しい気もした。
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希少価値 その①

2024年10月27日 10時07分30秒 | グルメ


5日前のミニ同級会の会食に豆柿がデザートに出された。
佐渡の生産者がテレビで紹介されていたのを観たと同級生が言っていた。
今はまだ一人の生産者しかいないということらしいが、まず思ったのは収穫が大変だろうということ。
競うように注文があって高く売れるなら、高所作業車でも使って、それに見合う商売になるのだろうか、などと他人事ながら心配した。
皮付きでも種無しで食べやすく、味もなかなかの甘柿で、これなら悪くない。
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茸の時期は来たけれど   その③

2024年10月26日 05時52分52秒 | 食べ方








端正だった小さなシイタケ(椎茸)は思った通りに2日ほどで形が崩れたので味噌汁に入れた。
アケビ(木通)も見つかり一緒に撮った後で、虫にも鳥にも見つからないまま食べ頃になっていた中身は一気に食べた。
いくら完熟していても、甘さを悦びすぎて種を歯に当ててしまうと苦味を感じてしまうことを承知しているので、種は舐めまわさず甘いうちにぷっと吐き出す。
もうアケビは食べ納めで良いと思えるほどの甘さだった。
皮はきんぴらにすると、ほろ苦さがおいしいということを聞いたけれど、他に食材が有り余っているので捨てる。
閑話休題、椎茸の榾木に別の茸が生えてきていて、てっぺんに穴が開いていたのでつついてみた。
案の定、煙が吹き出したから、ほぼ間違いなくホコリタケ(埃茸)か、その仲間。
検索すると、幼菌の時点では食用となり、ハンペンのようだとあるのだけれど、食べる気にはなれない。
こちらではアマンダレ=北海道ではボリボリ=正式にはナラタケ(楢茸)がいつもの場所に生え始めた。
草を刈り過ぎて生えさせないでしまったことがあるので、この時期はひかえた方が良いということで、草刈りをさぼる理由になっていた。
思惑通り生えてきたので、せっせと味噌汁にでも入れて食べることにするけれど、ナラタケのつもりが毒キノコならさようならだ。
父の従兄が北海道から持ち帰ったというエゾマツ(蝦夷松)が大きく育っていて、その根元に生えてきたのが笠の上が何かに食われている茸。
雨がしっかり降った後に生えてきたのだが、ナメクジ(蛞蝓)に蝕害されているということは毒キノコではないということだろうか。
調べてみると、よく似た画像がいくつか見つかったけれど、未同定とあることが多い。
アカマツ(赤松)の下ではないのでマツタケ(松茸)ではないし、そんな匂いもしないので、触らぬ神に・・だ。
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『奥の細道』の起点

2024年10月25日 06時53分06秒 | 旅行




【奥の細道 矢立初めの地 千住】という銘板と芭蕉の像があった。
『元禄二年(1689)三月二七日、松尾芭蕉は、ここ千住の地から奥の細道の旅へと出立しました。この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものです。』
『千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさかりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
 行く春や鳥啼き魚の目に泪
是を矢立の初として、行く道なをす々まず。人々は途中に立ちならびて、後かげみゆる迄はと、見送なるべし
     おくのほそ道 より』と記されてある。
矢立という携帯用の小さな筆入れ筒と墨壺セットの使い始めとなった、ということ。

南千住の駅に向かっていたらこの像があり、ときどき北陸道のS.A.で芭蕉の句碑を見るのでこの偶然が喜ばしい。
とは言え、前日に通夜に出て友人の死に顔を拝み、告別式から火葬骨揚げに向かう途中。
ここで一句といきたいけれど、陳腐な言葉を捻りだすのは辞めておこう、まだ一昨昨日のことだ。

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エビガラスズメ(海老柄雀)の蛹など

2024年10月24日 06時20分44秒 | 


サツマイモを掘っていたら、ころんと蛹が転がった。
今までこういう蛹が見つかると羽化の瞬間が観たくて、いつも持ち帰り、味噌のプラケースに入れておく。
たいてい羽化はするけれど、その瞬間に立ち会ったためしがない。
今回もケースに入れようと、下駄箱上の何か入っているケースを開けてみたら、セスジスズメ(背筋雀)の成虫が死んでいた。
羽化どころか生きている姿さえ確認しないでしまって残念なことをした。
セスジスズメの横が羽化した後の殻で、右端の小さいのは生きていて、ケースに入れた記憶のない小さな蛹。
象の鼻の付いているような蛹が今回見つかったもので、サツマイモの畝から見つかったことと、この特徴からエビガラスズメにほぼ間違いない。
サツマイモの葉っぱにいて、穴を開けているのを観て知ってはいても、被害というほどのことはないので駆除したことはない。
恨みもないけれど、羽化を観察するチャンスも滅多なことではないだろうけれど連れ帰った。
持っていると、尻をぴこぴこ動かして生きていることをアピールするのがなかなかに気色悪い。
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多面体としての人

2024年10月23日 05時25分55秒 | ざんねん




スーパームーンの日に亡くなった友人の葬儀に参列してきた。
初めて彼の奥さんと息子さんと娘さんに会い、本人の希望により自宅で家族に看取られた最期を教えていただいた。
大和市の斎場に通夜の開式前から行き、一緒に行った友人とは、死に顔を見たら帰ろうと話していたのだが式次第全てが終わるまで見届けた。
そればかりではなく、次の日の葬儀・告別式にも参列して、骨揚げにも参加させてもらった。
骨片一つを二人一組でつまんで骨壷に入れるやり方は初めての経験。
太めの長い箸でも二人でつまみ上げるなら粗相をすることはないという配慮でもあるのだろう。
友人と組んで股関節の丸い玉の付いた大腿骨上部をつまんで壺に入れた。
斎場の隅に今まで見た中では最大の金木犀が二本あった。
香の匂いにまみれた後だったからか、香りは感じ取れない。
納棺時の最後に数枚の写真が入れられ、多くの顔を持っていたことがうかがわれた。
遺族の選んだ良き多面体としての人となりなのだったが、今春われら四人で石垣島にて遊んだ折りの写真も入れたかった。
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茸の時期は来たけれど   その②

2024年10月22日 06時16分44秒 | アングル




端正な椎茸も出てきて、このまま大きく育ったら良いけれど、2日も経てば、しどけなく広がって、らしさを失うだろう。
銀杏はイチョウ(公孫樹)の実のことなのに、パソコンの変換はイチョウで『銀杏』と出てくるからいい加減だ。
銀杏が落ち始めたが、まだ固くて臭いはしない。
先日、友人とイチョウのそばで話をしていたら、いきなりどさっと太い枝が折れて落下した。
下にいたらいかったてがんに(下に居たら良かったのに)と、悪い冗談を言う奴。
自重に耐えられずに折れ落ちてきた太枝に当たって亡くなった人がいたのを踏まえた上だから始末が悪い。
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茸の時期は来たけれど

2024年10月21日 07時19分00秒 | アングル




ようやく長引いた夏は去り、雨がち天気に寒さも加わって、茸の時期は来たけれどなんか変。
椎茸の榾木なのだから、多少は変でも椎茸に違いないと、この秋の初収穫をした。
一応撮ってはみたものの、本当に椎茸だろうかという気がしてきた。
もうバター焼きをして腹に収まっているので、今更疑って痛くない腹を探っても仕方がない。
真ん中の椎茸ときたら逆さまに生えているではないか。
出始めはいつも、端正な椎茸のできないことが多かったんだったな。

草刈りをしない草藪に赤いホオズキ(鬼灯)が見え隠れしているのを、分け入って撮った。
真っ赤な無傷のものを観ると妙に生々しくて、柄まで赤いのが今更ながら新発見気分。
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青蛙と黄蝶

2024年10月20日 08時42分00秒 | 身の回りの生き物のこと








カタカナ表記して括弧内に和名漢字とするところだけれど、色を強調したくて青蛙と黄蝶とした。
車体が熱くなっている時期も過ぎ、シュレーゲルアオガエルが車の上を歩いていた。
撮ろうとしたらかしこまった姿勢をとったのは、動くより身を縮めた方が無難という判断か。
竹藪の端を駐車場所としているので、竹と空が映り込んで、ちょっと面白い画像となった。
疲れないように毎日少しずつサトイモを掘っているのだが、斜めになった茎にアマガエルがいた。
これはかしこまっているわけでも、獲物を獲る待機姿勢でもなく微睡んでいた様子。
私がスマホを構えたので起きてしまい薄目を開けた状態になった。
もう良いだろう、と茎を揺り動かして跳び逃げさせた。

サトイモを掘った跡にキチョウが群がっていることが多い。
ただの水を吸うためなら、こんな集団を作る必要はなさそうなので、ミネラルなどを吸収しているのだろう。
検索してみると、繁殖のためにオスの蝶はアンモニアが必要となり獣糞に集まる、というような記述があった。
今回撮ったキチョウはオスもメスも一緒のようで、華やかだ。
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セイタカアワダチ(背高泡立草)にハナグモ(花蜘蛛)

2024年10月19日 11時02分00秒 | アングル


この頃あざやかな色が見えるとなれば、たいていセイタカアワダチソウだ。
花の一輪一輪はどうなっているのかと接写しようとしたら、嫌がって隠れる蜘蛛がいた。
そこを無理矢理回り込んだり下から迫ったりしてようやく撮れた。
花を撮ろうとして、興味が虫にいくのはいつものことで、生きているものとの駆け引きから偶然に思いがけないシーンが撮れる。
プロの高級カメラならこうは決して撮らないはずの切りとりを楽しみたい。
ハナグモは何種類かいるようだけれど、この程度の画像では同定しようがない。
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雲越しの朧月夜

2024年10月18日 07時43分07秒 | 日記


昨日の10月17日はスーパームーンの観られる日ということだった。
ところが、親しかった、親しみを感じていた友人知人の3人の死を知ることとなった日となる。
1人目は、近所の4歳上の又従兄で、子供の頃の私のヒーローで婿に行った人。
ペースメーカーも埋めていたけれど癌になり入退院を繰り返した後に力尽きたそうだ。
2人目は、今年の2月に石垣島にも行った仲だが発病を知った時すでに膵臓癌のステージ4。
奇跡的に何年間ももったけれど、先月ウチにくる約束もダメになり痛みと戦いながら世を去った。
3人目は、我らの準レギュラー友人で、先生でもある人だったが、彼も前立腺癌だった。
彼は放射線治療を選び、再発したことを我らに伝えずに独り頑張っていたようだ。
又従兄は葬式を終えたばかり、膵臓癌の彼は昨日亡くなり、友人先生は3週間余り前。
晩御飯を食べてから後片付けもせず戸締りもしないまま電灯着けっぱなしでベッドに入った。
寒気がして布団に入らないではいられず、3時前に目が覚めてスーパームーンを思い出し、外にでた。
雲越しの朧月夜。

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沢を上りながら

2024年10月17日 09時24分24秒 | アングル






1週間の留守で生家の様子がどう変わってしまうか、一番気になっていたのが沢の上の貯水池から引き込んだ水が池に流れ込み続けているかどうか。
流れ落ちてはいたけれど、水量は少なくなっていて、あるべき深さの半分しかなくなり、アオミドロ(青綿)が一面に広がっていた。
アオミドロは広辞苑を引くと水綿とあり、確かにそのようで、色は別として、綿を布団の大きさに纏めておくために使う真綿のようだ。
すぐに真綿状アオミドロを掬い上げ、メダカの生存を確認し、貯水地の確認に沢を上がった。
途中でニラ(韮)の花に似たのが咲いていて、撮って調べたら、イワミツバ(岩三葉)とでた。
初めて認識した植物で、北海道では蔓延ると大変と要注意外来種になっているらしいけれど、蔓延って欲しいくらいだ。
沢を流れる水の落ち葉を取り除いたらカワニナ(川蜷)がいた。
石を裏返してみたら、案の定サワガニ(沢蟹)もいた。
ホタル(蛍)は2年ほど前に窓から飛んでいるのを1匹見て以来、見ていない。
その時季に沢にきたら観られるのかも知れない。
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