鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

腹痛のこと

2010年03月22日 13時27分04秒 | 健康ネタ
他人(ヒト)の痛みを理解する、分かちあう、ということはどの程度できるものだろう。想像力や感受性は尋常でない反応を人に及ぼすことがある。他人の血を見ると血の気が引いてしまう人がいる。自分のことでなくても、つらい状況を話し始めると目を潤ませて声が震えてしまう人もいる。赤ん坊を見ると、何の係わりもないのに乳が張って痛くなる女性もいるらしい。こんな書き出しをする筈ではなかった。昨日起きた突発事態を順を追ってルポ風にせめてみようと書き始めたのにしょっぱなから脱線した。

昨日、ある会に出席してロの字型に並べたテーブルに着いていたときのことだ。一人が急に具合悪くなって退席したのだ。看護助手の職に就いてる人が私の隣に坐っていたので、一部始終を知ることになって事後のことまで教えてもらったのだ。具合悪くなった人は、看護助手にとっても私にとっても姉貴分。彼女にとって看護助手は妹分なのだ。彼女にとって私はナニかはわからない。多分ただの仲間で、看護助手と私の関係もお互いに仲間。(何を良い訳風に書いているのか・・ルポ風には書けそうもない)

オペ室に永年勤務したこともある看護助手がいるのだから、彼女一人にすべてをゆだね、周りで騒がないようにした。日曜日の午後4時過ぎだったんである。朝は猛烈な黄砂で霞んでいて不穏な空模様だったし、風が強く吹くこともわかっていたし、二次会で酒を呑む予定もあって、私は車を運転してきていなかった。

後の連絡で知ったのだが、彼女達はタクシーを呼んで休日診療所を目指した。ところが降りてみると、医師が帰ったか居なかったのだという。500mほど先に病院があると言われたものの、タクシーを乗り捨てたあとだし、激しい痛みを訴える姉貴を歩かせることも無理だし、地理不案内の出先でのことだし、というわけで救急車を呼んでその病院に運んでもらったのだという。

痛みは猛烈だったようだ。今までに同じような発作が二度ほどあったが、病院嫌いだからとて診てもらわずに済ましたのに、今回はそういうレベルではなかったらしい。痛みを止めて欲しいと訴えても、痛み止めを処方してしまうときちんと原因を特定できないからと医師は言う。でも堪えられないからと訴えて弱い痛み止めを処方してもらったのだそうだ。

二次会組は彼女がどうなったか知りたかったけれど知る方法がなかった。私は木の芽時の発作かなぁ・・などといい加減なことを言っていたのだ。私は姉貴分の方だけ、メアドもケイタイ番号も知っていたけれど、そこへの連絡は控えた。簡単なメールだけはしておいたが当然返事はなかった。

二次会もそこそこにして帰宅した八時過ぎ、看護助手の彼女から電話があってあらましの報告を受けた。患者となった人のご主人に来てもらって自分は帰ったが、バトンタッチしたその時点では痛みが色んな部位にわたることや吐き気などの症状から、胆石かもしれないし、腸の不具合かもしれないし、痛みの原因から壊死する部分ができてしまうこともあり得るし・・・などということだったという。

そして今朝患者のご主人から連絡があったと再度報告を受けた。腸閉塞だったんである。会の席を離れてから5時間後には、もう緊急手術が始まったのだ。日曜日だったが外科の医師が病院内に居て、すべてが連携良く手術の運びとなり、開腹したら壊死している部分も無く、うまくいったんだそうだ。先ずはめでたし。

現代の西洋医学は、すぐ開腹手術となって、目でみて確認しての切った貼ったでポン。これが東洋医学なら、或いは呪術的な治療ならどんなものなんだろう。痛み止めの麻薬のようなものを吸わせたり飲ませたりして、身体をさすっているうちに、腸閉塞も捻転も回復したりすることもあるんだろうし、全然治らないでどうにもならなくなったりもするだろうしなどと思うと、病気もTPOだな・・・などと思ったりする。

心配しだしたら動きが取れなくなりそうだ。秘境に旅行など行けるものではない。こういうことは、他人のことでも良い経験になる。よい教訓を得た。細部を後日知ることにより、さらに血肉化した知識となるだろう。医者嫌いが病院に行って痛みを止めてくれと懇願する痛みってどんなものなんだろう。どんな表現で痛みを説明してくれるか、早くの回復が待たれるのだ。

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又、下痢のこと

2010年03月21日 10時28分21秒 | 随筆或いはエッセイ
昨夜深更下痢をした。連休前でもあり晩御飯時にめったにしない飲酒をした。昨年行った町内の慰安旅行では酒造会社の見学コースが組まれていて、そこでもらった一合のアルミ缶入り清酒が残っていたから味も落ちない内に飲んでしまおうと思ったのだ。酒を好きにならなかったから助かっているなぁと思う。もちろん経済的にだ。

酒はプンと鼻をつく糀のにおいが苦手だ。子どものころ母親がよく糀を買っていた。近所の人が行商のようなことをしていて、平べったい箱に畝状の糀が入っているのをザルの中にしゃもじでこそげ落としてくれるのだ。見ているとモコモコとして、いかにもカビだらけの米という感じでむせる。真っ白だけれど食品という気がしない。

一合の酒に酔ってしまいコタツでうたたねをして目が覚めたら零時を越えて翌日になっていた。世間が春一番の陽気で寝苦しく、コタツが熱いのでとびだしていた。うつうつと夢を見る悪い寝方だったから腹を冷やしたのか腹が痛くなった。でも正確には、今回もはっきりとした原因は不明の下痢。

そこそこの時間をトイレで過ごし、これでよしと思って風呂に入った。湯船に浸かっていると又腹が痛くなってきた。我慢しようと思った。親戚の児が赤ん坊の時、母親と湯船に浸かっていてプカリとウンコが浮いてきたという事件があったのを思いだしたりして、肛門に力を込めたりしていたのだがどうにも我慢ができなくなった。

洗い場で云々という程の急ではなかったので、バスタオルを肩に掛け、もう一枚のバスタオルを前から肩に掛けて砂漠をゆくガンマンの格好でトイレに駆け込む。なかなかに暖かくて具合がいい。そうか、短いマントのような形で上半身を覆っていれば、下半身が無用心であろうが寒さは感じないのか。

暫時の時を経て、むろん春一番の陽気のおかげでもあったろうが、全然身体が冷えることもなくクシャミの一つも出ずに事なきを得て浴室の人となった私は、毎度のことながら下痢終了後の腹の凹みに小さな達成感と、もう悪いものは腹にないという爽快感にひたった。腹に含むものはありません。もう明るい未来に向かって歩んでいくだけです。

トヨタのことを書き始めたのを続けなくてと思ったり、密約のことなども書きたくてうずうずしているのになかなかまとめられず、人と違う切り口なんかおいそれと探せるわけでもなく、悶々としているよりは全くの個人的なことでも書いて文章練習をするしかないので、いい歳をしてついこんなことを書いてしまいました。

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トヨタの感性②

2010年03月09日 22時29分14秒 | 個人的主張など
◎ユーザーの甘えとメーカーの驕り
間が悪ければ思いがけない事故は起きる。いわゆるヒヤリ・ハットでも、自分のせいにする人もいれば、先ずは他人(外部要因)のせいにする人もいる。プリウスの空走感にしても、パニックになったり事故を起こす程のゆとりのない運転をしたユーザーが悪い。空走感にパニックとなり、ブレーキも踏み込まずにハンドルから手を離し身体を縮めて目をつぶった運転者でもいたのだろうか。 

メーカーにしてみれば『画期的な車なのだから、今までの車と違うことにユーザーは馴れなければならない・・・』というところだろう。ブレーキ問題の原因を説明したトヨタ常務のコメントはメカニズムに関してだけだったのだろうか。マスコミが取り上げたのがその部分だけだったのだろうか。 マスコミは彼が言った「お客様の感覚と車両の挙動のずれによる違和感」というセンテンスにメーカーの驕りをみて、そこだけを強調するのだろう。

先日あるテレビ番組で、アメリカでの貨物列車の暴走脱線事故を取り上げていた。その原因は貨物重量の過小評価だった。運転士は列車の総重量とスピードと勾配から回生ブレーキのタイミングを計るのだが、回生ブレーキが効かなくなり、機械的ブレーキも効かない条件がそろっての事故だったという。

海上輸送コンテナを引くトレーラーの横転事故が頻繁に起きて問題になっている。コンテナの中は重量配分がきちんとなされているとは限らず、運転手は中味の状態を知らされずに牽引しているのが原因の一つのようだ。それに何より、牽引車と披牽引車が一点でしか繋がれていないからよじれに弱い。というようなことをNHKのクローズアップ現代でやっていた。

JR福知山線脱線事故の直接原因は運転士のスピード出しすぎだった。列車も飛行機もバスもトレーラーも道路上のあらゆる車輌も、ほとんど人一人の運転技術にまかされているというのは、とても恐ろしいことだと今更ながら思う。無謀運転やメカの暴走を食い止めるセンサーが、技術革新の日々なされている現今でさえ、はりめぐらされていないということに驚いてしまう。  つづく

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トヨタの感性①

2010年03月06日 17時56分44秒 | 個人的主張など
◎デジタル感覚とアナログ感覚

30数年前、仕事でトヨタ車と日産車のワンボックスカーを交互に運転していたことがある。トヨタ車はクッションが柔かくて坐り心地がよく悪路の振動も吸収する。見た目に細部の気配りがなされていておしゃれな感じがした。日産車はその逆だった。路面をじかに感じるし野暮ったくてがさつな感じ。

しかし運転感覚になると、トヨタ車の場合はアクセルを踏んだ時に初動が遅くて二次曲線加速だった。そしてブレーキや急ハンドルはクッションが良い分、フワンフワンと大げさに揺れる。日産車のアクセルは直線的で、運転感覚は直結的だった。

言い換えればトヨタ車は間接感覚で日産車は直接感覚だった。デジタル感覚とアナログ感覚と言っていいかも知れない(デジタルとアナログは厳密には違うだろうけれど・・・)。若かった私の好みは、多少クッションが悪かろうがオシャレでなかろうが、メカも道路もダイレクトに感じて人車一体感にひたれる日産車だった。

一般的に運転者は五感をフル活用して車を操っているわけだから、自分のイメージが素直に車の動きとして反映される手足としての運転性能を車に求めている筈だ。と、このように書いたら最近のトヨタ車の性能を検証もせずに、昔の記憶からの思い込みを今回の騒動に繋げてトヨタをこき下ろそうとしているように思われるかも知れない。

そんな尻馬野次馬的なことは避けたい。少し違ったことでも書けないかと思案しつつ、ネットで検索しつつ、あまり間違ったことを書かないように確めつつ、書き進めたい。今回の騒動で油圧ブレーキとABS(アンチブレーキシステム)と回生ブレーキと空走感の関係を知った。

油圧ブレーキは足で踏む動作を油圧としてブレーキの力に換えるしくみだからポンプで力を増幅させるとしても感覚は直接的だ。自転車のブレーキと変わりない機械的なものだ。

ABSはタイヤがロックしてスリップや横転するのを防ぐしくみだ。ロックを防ぐとハンドル操作が可能になり安定を保ちやすい。事故防止に役立つわけだが、ABSが作動するほどの事態は道路の状況把握を見誤った危険運転で、実は何があっても運転者の責任とも言える。

回生ブレーキというのを今回の騒動で学んだ。電車に使われているシステムで制動エネルギーを電気エネルギーとして回収するということだが、今回の空走感というのはABS作動時にブレーキが回生ブレーキから油圧ブレーキに切り替わるタイミングの問題で、ソフトを書き換えるだけで不具合は解消するとしてトヨタはリコールにより修正している。

ここで何かおかしいと感じるものがある。ABSでさえ運転者を過保護に守るために苦肉の策として考えられたシステムで本来のブレーキに逆らうしくみだ。それなのに回生ブレーキという制動エネルギーを発電に利用するシステムを加えたら、ブレーキに不具合も出ようというものだ・・・という気がする。車は線路の上を走っているわけではない。

ブレーキはゴーカートのような単純さが必要で、油圧ブレーキのアナログ感覚を最重要視しなければいけないのに、ABSと回生ブレーキの電子制御がアナログ感覚を阻害してしまったということではないのか。プログラム修正だけでトヨタ製ハイブリッドカーのブレーキシステムは何の問題もなくなるのだろうか。     つづく


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琵琶湖での遊び・・・ドブガイのこと

2010年03月05日 13時51分55秒 | 随筆或いはエッセイ


川や湖ではいつも水際で何か水棲生物が捕れないかと期待する。以前にホテイアオイを拾い上げたら、ひげ根からテナガエビがたくさんこぼれ落ち労せずして沢山捕ったことがある。その再現を期待した。沢山はいらないから一匹でもと思ったのだが、枯れたホテイアオイの根からは同じ甲殻類でもミズムシが何匹かいたのと、何かの昆虫の幼虫が見つかっただけだった。

もうひとつ、ハゼの仲間のイサザかヨシノボリかわからないのだが、近くの湖岸で昨年一匹捕まえたことがあって、それも期待した。そのハゼは数ヶ月飼ったがこの冬に死なせてしまった。前に飼ったハゼは2センチ弱だったのを、アカムシやボウフラや時にはヒメダカの稚魚まで与えて倍ほどに育てたことがある。ハゼはなかなかに可愛いのだ。人馴れする。水槽を覗き込むと眼をきょろりと動かして見上げる。目が合うのが嬉しい。

ハゼもいなかったが、かわりに画像のドブガイを拾い上げた。子どもの頃に川で取ったことのあるカラスガイにそっくりだが、持ち帰って測ってみると9センチもあるから、これは淡水産真珠のとれるイケチョウガイかも知れないと思った。ネットでちょっと調べただけで、そのように思い込んでしまって、友人や知り合いに吹聴したあとに詳しく調べたら、ドブガイだと判明した。ヌマガイとかカラスガイとも呼ばれ、食えないこともないが不味い貝なんだそうだ。

イケチョウガイは12センチ以上が成貝で30センチにもなるなどという記述もあったから、9センチなら稚貝だ・・などと思ったり成長させて真珠がとれたらなどと、うきうきしていたのだが、とんだ違いの解らない男をやってしまった。ドブガイでも20センチ位にはなるらしい。水槽で飼うのは難しいとあるが、それは水の循環装置フィルターで汚れを濾し植物プランクトンまで除去してしまうからだとか。

ウチの水槽なら大丈夫だ。外に出しっぱなしの放置式飼育だから、いろんなものがはびこり、水も濁っているのやら、青汁状態やら、何故か自然浄化システムが成立して透き通っている水槽やらいろいろだ。順繰りに入れたら、みんなのために良いのではないかと思われる。特に濁った水槽に入れたらドブガイのためにも、それぞれの水槽のザリガニやミナミヌマエビやヒメダカやクロメダカやウグイの皆さんにも良いのではないかと期待する。役立ちながら20センチに成長して欲しいと思う。

先ほどドブガイの様子を確認した。動きがないからどうということもない。しかしもう連れてきてから1週間以上が過ぎたし、入れた水槽は奇麗になったように感じる。画像にでも撮って比較したらよく解るのかも知れないけれど、早いサイクルで次々違う水槽に入れているのでよくわからない。貝にはよいのかどうか解りにくいが、いつも薄く開いて白い身を見せているし、触ると急いで閉じるし、間違いなく健やかに生きている。怠惰な飼主とわが水槽楽団員たちの救世主となれよかし。

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