他人(ヒト)の痛みを理解する、分かちあう、ということはどの程度できるものだろう。想像力や感受性は尋常でない反応を人に及ぼすことがある。他人の血を見ると血の気が引いてしまう人がいる。自分のことでなくても、つらい状況を話し始めると目を潤ませて声が震えてしまう人もいる。赤ん坊を見ると、何の係わりもないのに乳が張って痛くなる女性もいるらしい。こんな書き出しをする筈ではなかった。昨日起きた突発事態を順を追ってルポ風にせめてみようと書き始めたのにしょっぱなから脱線した。
昨日、ある会に出席してロの字型に並べたテーブルに着いていたときのことだ。一人が急に具合悪くなって退席したのだ。看護助手の職に就いてる人が私の隣に坐っていたので、一部始終を知ることになって事後のことまで教えてもらったのだ。具合悪くなった人は、看護助手にとっても私にとっても姉貴分。彼女にとって看護助手は妹分なのだ。彼女にとって私はナニかはわからない。多分ただの仲間で、看護助手と私の関係もお互いに仲間。(何を良い訳風に書いているのか・・ルポ風には書けそうもない)
オペ室に永年勤務したこともある看護助手がいるのだから、彼女一人にすべてをゆだね、周りで騒がないようにした。日曜日の午後4時過ぎだったんである。朝は猛烈な黄砂で霞んでいて不穏な空模様だったし、風が強く吹くこともわかっていたし、二次会で酒を呑む予定もあって、私は車を運転してきていなかった。
後の連絡で知ったのだが、彼女達はタクシーを呼んで休日診療所を目指した。ところが降りてみると、医師が帰ったか居なかったのだという。500mほど先に病院があると言われたものの、タクシーを乗り捨てたあとだし、激しい痛みを訴える姉貴を歩かせることも無理だし、地理不案内の出先でのことだし、というわけで救急車を呼んでその病院に運んでもらったのだという。
痛みは猛烈だったようだ。今までに同じような発作が二度ほどあったが、病院嫌いだからとて診てもらわずに済ましたのに、今回はそういうレベルではなかったらしい。痛みを止めて欲しいと訴えても、痛み止めを処方してしまうときちんと原因を特定できないからと医師は言う。でも堪えられないからと訴えて弱い痛み止めを処方してもらったのだそうだ。
二次会組は彼女がどうなったか知りたかったけれど知る方法がなかった。私は木の芽時の発作かなぁ・・などといい加減なことを言っていたのだ。私は姉貴分の方だけ、メアドもケイタイ番号も知っていたけれど、そこへの連絡は控えた。簡単なメールだけはしておいたが当然返事はなかった。
二次会もそこそこにして帰宅した八時過ぎ、看護助手の彼女から電話があってあらましの報告を受けた。患者となった人のご主人に来てもらって自分は帰ったが、バトンタッチしたその時点では痛みが色んな部位にわたることや吐き気などの症状から、胆石かもしれないし、腸の不具合かもしれないし、痛みの原因から壊死する部分ができてしまうこともあり得るし・・・などということだったという。
そして今朝患者のご主人から連絡があったと再度報告を受けた。腸閉塞だったんである。会の席を離れてから5時間後には、もう緊急手術が始まったのだ。日曜日だったが外科の医師が病院内に居て、すべてが連携良く手術の運びとなり、開腹したら壊死している部分も無く、うまくいったんだそうだ。先ずはめでたし。
現代の西洋医学は、すぐ開腹手術となって、目でみて確認しての切った貼ったでポン。これが東洋医学なら、或いは呪術的な治療ならどんなものなんだろう。痛み止めの麻薬のようなものを吸わせたり飲ませたりして、身体をさすっているうちに、腸閉塞も捻転も回復したりすることもあるんだろうし、全然治らないでどうにもならなくなったりもするだろうしなどと思うと、病気もTPOだな・・・などと思ったりする。
心配しだしたら動きが取れなくなりそうだ。秘境に旅行など行けるものではない。こういうことは、他人のことでも良い経験になる。よい教訓を得た。細部を後日知ることにより、さらに血肉化した知識となるだろう。医者嫌いが病院に行って痛みを止めてくれと懇願する痛みってどんなものなんだろう。どんな表現で痛みを説明してくれるか、早くの回復が待たれるのだ。
昨日、ある会に出席してロの字型に並べたテーブルに着いていたときのことだ。一人が急に具合悪くなって退席したのだ。看護助手の職に就いてる人が私の隣に坐っていたので、一部始終を知ることになって事後のことまで教えてもらったのだ。具合悪くなった人は、看護助手にとっても私にとっても姉貴分。彼女にとって看護助手は妹分なのだ。彼女にとって私はナニかはわからない。多分ただの仲間で、看護助手と私の関係もお互いに仲間。(何を良い訳風に書いているのか・・ルポ風には書けそうもない)
オペ室に永年勤務したこともある看護助手がいるのだから、彼女一人にすべてをゆだね、周りで騒がないようにした。日曜日の午後4時過ぎだったんである。朝は猛烈な黄砂で霞んでいて不穏な空模様だったし、風が強く吹くこともわかっていたし、二次会で酒を呑む予定もあって、私は車を運転してきていなかった。
後の連絡で知ったのだが、彼女達はタクシーを呼んで休日診療所を目指した。ところが降りてみると、医師が帰ったか居なかったのだという。500mほど先に病院があると言われたものの、タクシーを乗り捨てたあとだし、激しい痛みを訴える姉貴を歩かせることも無理だし、地理不案内の出先でのことだし、というわけで救急車を呼んでその病院に運んでもらったのだという。
痛みは猛烈だったようだ。今までに同じような発作が二度ほどあったが、病院嫌いだからとて診てもらわずに済ましたのに、今回はそういうレベルではなかったらしい。痛みを止めて欲しいと訴えても、痛み止めを処方してしまうときちんと原因を特定できないからと医師は言う。でも堪えられないからと訴えて弱い痛み止めを処方してもらったのだそうだ。
二次会組は彼女がどうなったか知りたかったけれど知る方法がなかった。私は木の芽時の発作かなぁ・・などといい加減なことを言っていたのだ。私は姉貴分の方だけ、メアドもケイタイ番号も知っていたけれど、そこへの連絡は控えた。簡単なメールだけはしておいたが当然返事はなかった。
二次会もそこそこにして帰宅した八時過ぎ、看護助手の彼女から電話があってあらましの報告を受けた。患者となった人のご主人に来てもらって自分は帰ったが、バトンタッチしたその時点では痛みが色んな部位にわたることや吐き気などの症状から、胆石かもしれないし、腸の不具合かもしれないし、痛みの原因から壊死する部分ができてしまうこともあり得るし・・・などということだったという。
そして今朝患者のご主人から連絡があったと再度報告を受けた。腸閉塞だったんである。会の席を離れてから5時間後には、もう緊急手術が始まったのだ。日曜日だったが外科の医師が病院内に居て、すべてが連携良く手術の運びとなり、開腹したら壊死している部分も無く、うまくいったんだそうだ。先ずはめでたし。
現代の西洋医学は、すぐ開腹手術となって、目でみて確認しての切った貼ったでポン。これが東洋医学なら、或いは呪術的な治療ならどんなものなんだろう。痛み止めの麻薬のようなものを吸わせたり飲ませたりして、身体をさすっているうちに、腸閉塞も捻転も回復したりすることもあるんだろうし、全然治らないでどうにもならなくなったりもするだろうしなどと思うと、病気もTPOだな・・・などと思ったりする。
心配しだしたら動きが取れなくなりそうだ。秘境に旅行など行けるものではない。こういうことは、他人のことでも良い経験になる。よい教訓を得た。細部を後日知ることにより、さらに血肉化した知識となるだろう。医者嫌いが病院に行って痛みを止めてくれと懇願する痛みってどんなものなんだろう。どんな表現で痛みを説明してくれるか、早くの回復が待たれるのだ。