鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ヒメダカの冠はエビノコバンと判明

2008年06月30日 19時22分48秒 | 随筆或いはエッセイ

ヒメダカにくっ付いているのはサカマキガイだと思い込んでいたのだが、本日そうではないことが判った。なかなか調べられなかったのだが、脚が6本らしいので水生昆虫で検索して探し当てた。ヌマエビなどに寄生して体液を吸う虫なのだという。等脚目ニセウオノエ科エビノコバン。

何回もヒメダカの頭に載っているのを見た。一昨日は横腹に付いていた。今日は、ちょっとずらしてオシャレな帽子のかぶり方みたいな状態なのを見た。デジカメのマクロ設定で、うまく焦点が合って撮れれば判るのだが今まで駄目だったのだ。

それが今日なんとか水槽に手を入れて掬うことができた。デジカメで撮れる!と喜んだのもつかの間で、二匹は私の手の中で離れてしまった。離れたのを見たら、サカマキガイではない。5~6ミリ程しかないが、丸みがないし明らかに貝ではなく初めて見る生き物だった。

川エビ(ヌマエビ?)は確かに1匹いるのだが、それには寄生していなかったように思う。だんだん大きくなって来たのか? それとも、カブトエビに付いてきたのか? それにしたってエビではなくメダカに寄生していたのは解せない。しかしそういうこともあるのだろう。ウチの水槽では、ヒメノコバンだ。

7/1 追記 エビノコバンをどうしたものかと思い悩んでいる。ヒメダカにくっ付いていたのは偶然だったのだろうか? エビではなくて魚からも体液を吸うことはできていたのだろうか? マンタやジンベエザメにくっ付いてるコバンザメは吸血してるわけじゃないけれど、このエビノコバンは全くの寄生でヒモだ。ヒメからせっかくヒモを取り除いたわけだから、戻したくはないし・・・。たらいに隔離して飼っているのだが、寄生主がいなけりゃコバンも困るだろうし、ネットで調べてもあまり詳しくは載っていない。珍しいものなのだろう。これを専門に研究している学者はいないようだ。観ていると面白い。すごい速さでススーイと動く。足で動いているのではない。尻の方にあるスカートが櫂状になっていて水を後方に猛烈な速さで押しやっているのかも知れない。でも、スーイスーイと5センチ単位の泳ぎだから、吸い込んだ水を噴射してるのかも知れない。とにかく尻の方は推進力に大いに関係している筈だ。エビを手に入れて一緒に飼ってみたいとも思ったり、詳しく調べたら面白いだろうなぁと思うけれど、顕微鏡もないし、私が持っていても猫に小判だ。

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キボシアシナガバチ

2008年06月29日 04時53分25秒 | 随筆或いはエッセイ

小さな蜂の小さな巣が作られていた。ウチの裏のフェンスの内側だから、他所様の迷惑にはならないだろうと判断した。カメラを構えて近づいたら少し警戒のポーズをみせるのだが、じっとしていれば直ぐに警戒を解く。20センチ位まで接近して撮った。

調べてみたら、やはり性格はおとなしいとある。でも近づいて、動きすぎると攻撃してくるらしい。アシナガバチの仲間だから刺されたらかなり痛いそうだ。それにしたって2センチに満たない小ささだから危険を感じない。

蛹になる時の産室のフタの色が黄色なのでこの名前だそうだ。キボシは黄帽子か? フタが開いてくっついている。最初の働き蜂が羽化したということなのだろう。1匹が女王なのか? それとも女王だけ餌さがしの外出中か? 写っている3匹は羽化したばかりの半人前の働き蜂で警戒心すら未熟未発達なのか?

インターネットでちらほら拾い読みした知識を元に憶測を楽しんでいる。毎日観察している内に攻撃されてもつまらない。でも蜂に刺されて体質が変わって不調が直るなんて事はないのだろうか? などと、あくまで都合よく夢見たり(これは〔韓国ドラマチャングムの誓い〕の影響)・・・。もうちょっといい画像も撮ってみたいし、巣の成長も記録してみたい。望遠レンズの付いたデジカメを三脚に据えて撮れたらいいだろうなぁ・・と又しても想う。

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ヒメダカ、カブトエビ、サカマキガイのこと

2008年06月28日 18時18分44秒 | 随筆或いはエッセイ

2日半ほど続いた頭痛がようやく治った。普通に日記風に書いてみよう。私のブログは自分で何だか変だな・・と近頃思ったりする。一定の雰囲気を保てないのは、興味がいろいろに向いてしまう生まれつきの気質だからどうしようもないのかも知れない。まぁいっか・・。

毎朝ヒメダカの水槽をでかける前に観る。孵化したばかりの仔魚がいないか目をこらして見る。2~3日おきに見つかる。細い尻尾の先まで入れても3ミリ位しかないから、よくみないと見つけられない。居たら直ぐにひしゃくで掬う。救うと言ったらいいのかも知れない。

2週間程前に、救いだした仔魚だけを入れている水槽から、かなり成長して緋色に色づいてきた稚魚を親の方に戻した。だいぶ動きもすばやかったし、入れた当初は親が来たらすばやく逃げていたので大丈夫だと思っていたのだが、1週間程で姿を見せなくなった。おそらく食われてしまったのだろう。

親に食われたどうかは実はわからない。春先に水槽を洗ったときに小振りで臆病な個体が1匹いた。ヤツは群れたりせず常に底の物陰にひとり隠れ暮らしているようで、ほとんど見ることがない。たまに緋メダカなのに色白のヤツがチラッと姿を見せる。それがヤツなのではないかと思っている。先だって親の方に入れた稚魚もヤツと同じ道を選んで底の方にじっと引きこもり、世にでる機会を窺うというのか、身体の成長を待っているのかも知れない。

カブトエビを6匹入れた。ヒメダカとは平和共存すると思っていたのだが、カブトエビがあまり姿をみせなくなったので少し心配した。でもメダカもカブトエビも息災だった。昨日はカブトエビの脱皮した殻が浮いていた。大きいのはもしかしたら寿命が尽きたかもしれないが、少なくても3匹はまだ存命が確認できた。もぬけのからという言葉があるが、脱皮した殻のことで『蛻』という字なのだと今日初めて知った。

さてカブトエビ、こいつらは猛烈な動きで水中を泳ぎ回っている。水面に甲羅を見せたり反転して腹を見せたり動きに法則がない。水草をかじるのか草に止っていることもある。腹を見せている時に、上からメダカの餌をふりかけてやると水面に留まって無数の脚をさわさわとさせて水流を作り、餌を吸い込もうと必死になる。ところがあまり効を奏さない感じで見ていて飽きない。

水槽には近頃、貝が大発生している。これは飼っているつもりはないのだが、いつのまにか居る。モノアラガイだと思っていたのだが、調べたらサカマキガイだった。巻き方が左巻きなので逆巻き、そうだろうね、ウチに居つくんだから・・。こいつがまた、ゼリー状の卵塊をガラス壁に産み付ける。たぶんそうなるだろうと思いつつ、放っておいたから稚貝が無数にいる。

このサカマキガイもなかなか面白い。肺呼吸をするのだそうだ。水面に逆さまに浮いて、天井歩きで滑っていく。垂直沈下浮上もする。雌雄同体だそうで、よく組んづほぐれつウニュウニュやっている。ところがその卵塊が最近見られない。たぶんカブトエビの仕業だろうと踏んでいる。

だからというわけではないだろうが、ヒメダカの頭に乗っているサカマキガイを少し前に見た。そして今日は、ヒメダカの横腹に付いていた。ずっとそいつらは一緒に過ごしているんだろうか・・・。水が濁っているので観察は出来にくいのだが、ヒメダカの方はオスで、嫌がっているふしはない。ときどきそういう異種間の勘違いというのか、成り行き上の恋というのか、そんな不思議があるものだが、これもその例か。画像は頭に乗っているときのもの。行く末を見守っていきたい。

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『死神』呼ばわりは「お前の母ちゃん出べそ」と同じ

2008年06月26日 19時27分23秒 | 個人的主張など
コラム『素粒子』に書かれた記事に鳩山法相が怒りをあらわにして朝日新聞批判をした。時々おかしなことを口走る法相に対する揶揄だとしても『死神』は幼稚だ。陳腐さをあぶり出そうとして自分が陳腐になってどうする。この記者はゲームやアニメ好きなのだろうか。

『死神』とされたことに対して無視できずに怒りをあらわすなどというのも、これまた挑発にのって悔しがる子供レベルだ。とはいえこれは政治的意図があっての作為的発言なのだろう。鬼の首を取ったかのごとく朝日新聞という組織全体を否定してみせた。秘書官が発言のシナリオをつくるのだろうか。マスコミに対する牽制というより圧力なのだろう。

日曜の番組《サンデーモーニング》で、つい先頃死刑が執行された故宮崎勤死刑囚の事が話題になっていた。「あの事件は結局何だったんでしょうね。何故起きたのかもよく判らず、本人の反省も謝罪もないまま刑が執行されて・・・残念ながら解明されないでしまったんですね」という発言があった。

そうなのだ、現在の制度では、こんな結末にしかならないのだ。あの事件は間違いなく精神を病んでいる人間にしか起こせない。しかし責任能力ありとして死刑判決は下され刑も執行された。

それで何が教訓として残ったのだろう。いかり肩で天然パーマの色白の全く表情を動かさない眼鏡を掛けた青年の映像と、釈然としない感覚しか残らなかったような気がする。関係した多くの人達にしても絶望感や嫌悪感や徒労感などのマイナス感情が残っただけで、同情や理解や達成感などのプラス感情はあまり得られなかったのではないだろうか。

ここまでを日曜の午後に書き何となくブログに出し損ねていたのだが、『全国犯罪被害者の会』が記者会見を開いて抗議したという記事を読んだので、少し文を追加して出したいと思った。

・・・重大事件の被害者や遺族で「全国犯罪被害者の会」(あすの会)は25日、都内で記者会見し、「被害者遺族も『死に神』ということになり、我々に対する侮辱でもある」と抗議した。代表幹事の岡村弁護士は会見で、「私たち犯罪被害者・遺族は、死刑囚の死刑執行が一日も早いことを願っている。発言は、鳩山法相に対する批判であるが、そのまま犯罪被害者遺族ににもあてられたものだ」と述べ・・・(朝日新聞6/26朝刊より抜粋)

死刑囚の死刑執行が一日も早いことを望んでいるのか・・・と今さらながら衝撃だった。あからさまな報復感情の吐露と言えるだろう。このように表明することでしか心の収まりがつかないということだ。それは重大凶悪事件に対しての現在の司法・行政が、被害者や遺族をいかにないがしろにしているかということの証明だ。

被害者・遺族は『なぜ』を直接問いかけることすら出来ずに、ほったらかしにされ、悲しみと悔しさの末に、加害者個人の死を望むしか希望を持てない状態になるのだろう。光市母子殺害事件の被害遺族の発言にそれがはっきりと顕れている。彼(本村氏)の発言に『妻子の死の直前のことは加害者しか知りえないから本当のところが知りたい・・』という内容があった。彼が切に望んだのは死刑判決などではなく加害者から《真実を直接聞く事と謝罪の言葉》だったようだ。

現在の刑事事件の裁判制度は、加害者を被害者から取り上げて、いたずらに報復感情をあおっているようなものだ。矛盾に満ちた制度のなかで悪感情が増幅していく。

テレビなどマスコミの編集のせいなのだろうか・・? 鳩山法相には、人の死をも握っている地位の懊悩や躊躇などが微塵も感じられず、気味悪さは増すばかりだ。

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カブトエビ(その2)

2008年06月25日 00時06分44秒 | 随筆或いはエッセイ

広くて浅い田圃に群れていたのに、アオミドロがオーロラ状態になっている水槽に入れたのでは、環境の激変にカブトエビは対応できるだろうかと少しだけ心配した。先住者のヒメダカを襲いはしないか、水草を直ぐに食いつくしてしまわないかなどとも心配した。

本日、朝夕じっくり観察をした。カブトエビは田圃にいたときと変らず元気だった。バック転をしたり、背泳をしたり、ひねりを加えた複雑泳法で動きまくっている。ヒメダカも変らず息災であった。以前から一匹いる川エビはめったに姿を現さないのに、水草にくっついているのが確認できた。

ヒメダカはまだまだ産卵中のようで、腹の太いメスが確実に3匹は居るから、その卵のことも気になった。水草を上げてみたら子持ちワカメ状態だ。びっしり卵が産みつけられている。細い糸がついていてそれが接着材になっているようだ。腹に房状に卵がぶら下がると水草に体をこすり付ける動作をするのだろう。本能だろうけれど、異物感がそうさせるのかも。

水草の卵はそのままにしておくと、自分の卵なのにヒメダカは食うらしいし、稚魚(正確には孵化したては仔魚と言うらしい)も食うので、卵を一粒ずつ外して、稚魚ばかりの水槽に入れた。全部はできないから、ざっくりとだけ。あとは天命に従ってもらうことにする。生き延びるのだっている筈。

透明度のない水なのであまりはっきりとは判らないのだが、カブトエビは硝子に腹をこすりつけるようにして泳ぐことがけっこうあるので、デジカメを構えた。そして撮れたのがこの画像。さわさわさわと脚を動かして泳ぐさまは観ていて飽きない。『風の谷のナウシカ』の映像みたいだ。さすがに生きた化石。

当面はメダカの餌を多めに与えようと思う。野菜屑も入れた方がいいかも知れない。少しだけヒメダカに落着きがなくなったような気もするが、カブトエビとニアミスしても、さっとかわしているから大丈夫。もうすぐ交尾、産卵して寿命が尽きるカブトエビだからしばらくは我慢してもらおう。

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カブトエビ(その1)

2008年06月24日 03時40分07秒 | 随筆或いはエッセイ

遠出をした仕事先で昨日、ふとした合間にカブトエビを発見。こんなに大きく成長したのは初めて見た。尻尾の2本のヒゲ(と言うのは変か?)を入れないでも4センチ近くある。頭が大きいので迫力がある。田圃に大発生していた。農薬を使っていない田なのだろう。

カブトエビは6匹持ち帰った。それと幼生のような小エビのような奇麗なヤツを2匹。これは細長くて3センチ足らず。帰ってみたら奇麗なヤツが2匹ともいない。カブトエビに食われてしまったようだ。まことに残念。

例によってネットで調べてみた。奇麗なヤツは豊年エビだった。おいそれと採取に行けない距離だ。美しかったのに残念。小さな容器に一緒くたに入れたからかも知れない。

カブトの方はアジアカブトエビのようだ。アメリカカブトエビと区別はできにくいらしい。アメリカの方は雌雄同体というのか、両性具有というのか、日本では雌しか見つかっていない・・などと妙なことを書いてある。

アジアの方は雌雄がいて交尾して、もつれ合ったりするので判るらしい。確かにもつれあって、じゃれあっていたのを観た。2億年前から変らぬ姿だという、生きた化石。

カブトエビは雑食で飼いやすいらしい。デジカメで撮った後、ヒメダカの親がいる水槽に入れた。ヒメダカを襲うことはしないだろう。水草を噛み切るそうだが、水を吸い込んで漉しとるやり方で食餌するらしいので、アオミドロが濾しとられて透明になればいい。水換えが面倒なので掃除係になってくれたらと期待している。

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ハグロハバチの幼虫

2008年06月21日 20時19分44秒 | 随筆或いはエッセイ

ネットサーフィンで昆虫のことを調べていると時間が立つのを忘れてしまう。昆虫たちのホームページは日進月歩の充実ぶりで、何ともすごいこだわり方の驚異的趣味人がたくさん存在する。うなって感心するばかりだ。

偶然みつけたイモムシをデジカメで撮ってはみたものの、調べてもなかなか判らないものがあった。そろそろ調べてみようと思い立ったのだが、イモムシだけの判りやすいホームページに行き当たらない。

集中力が途切れそうになっているときに、何となくよそ見しながらクリックしてしまったら、どんぴしゃりヒットした。蛾の幼虫だとばかり思っていたのに蜂の幼虫だった。蜂はすべて何らかの巣の中で成長するものと思いこんでいたのでイモムシという発想に至らなかったのだ。ギシギシやスイバを食草にしていて見付けやすいとあった。

でも私が見つけたのはイタドリに居た。スイバもイタドリも子供の頃よく食べた。両方とも同じような味で酸っぱい。スズメバチなど肉食の蜂は飼ったりできないそうだが、ハグロハバチは飼って成虫になるのを楽しむ愛好家もいるようだ。成虫は真っ黒なのに幼虫はおしゃれ。見つけ出したら飼ってみようと思い定めている。

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コガタスズメバチの幼虫

2008年06月20日 23時22分37秒 | 随筆或いはエッセイ

いつも家の周りで蜂が巣をつくる。徳利を逆さまにしたような巣を始めに作るコガタスズメバチと、泥の巣を作るスズバチだ。名は知らなかったのだが、インターネットで調べて判った。スズメバチは巣の模様が雀の羽根に似ていることからの命名だそうだ。そしてスズバチは、小さな徳利状の泥の巣を作る仲間がいるからトックリバチ科なのだが、当のスズバチは巣が土鈴に似ているとの理由からの命名らしい。

今回はコガタスズメバチについてだけ書いてみたい。初めて巣を作ったのは数年前だ。お隣の庭に面した、ウチの槿の木に巣を作った。ウチは勝手口側なのでともかくとして、お隣さんは庭に出るたびに危険を感じるのではまずいし刺されても困るので、夜陰に乗じてキンチョールを浴びせて処分した。私は田舎育ちなので駆除を市役所に頼むようなことはしない。

2回目は昨年のこと。年末に裏の方から知らせてもらって初めて知った。裏の家はウチより3m程地面が低いのだが、ウチのフェンスにからませているアイビーに外向きに直径30cm位の巣ができていた。蜂は冬には女王しかいない筈だし、もう用なしになった巣の筈だと思いながら取り外した。りっぱな鱗模様を取り外すと、4段の巣があった。何と生きた親蜂も6匹出てきた。その時は調べもせずに、春まで生き続けるかも知れないし、全部女王になるのかも知れないなどと考えてビンに入れ室内に保管したのだが皆、数週間で死んでしまった。

そして、今年やたらに蜂の羽音がするなと気付いたときには逆さ徳利状の初期巣がガレージの骨組材にぶら下がってできてしまっていた。わたしはずっと観察していたかったのだが、猛烈な反対にあって巣を処分することにした。山中の地下に作るオオスズメバチと違い、おとなしい性質らしいのだが如何せんウチの掃き出し窓に近すぎ、車にも近すぎなのだ。

まだ女王が1匹で子育て中と思われた。近くに羽音がしないのを確認し、徳利状の下で板切れをヒラヒラさせても出てこないから女王外出中と判断して、ゴミ袋を下からかぶせ、巣の根元を金属板でなぎ払った。シミュレーション通りにうまくいった。画像は外観の逆さ徳利を立てたものだ。隣が中の巣だ。さなぎには1匹もなっておらず、大小すべてがまだ幼虫だ。中には卵もあるのか? 小さすぎて判別できない。

さて生きてる幼虫をどうしたものかと考えた。長野県では蜂の子は珍味高級食材だ。私は子供の頃、アシナガバチの幼虫を焼いて食べたことがある。実にクリーミィなのだ。踊り食いをする映像を観たことがあるが、私にはできなかった。小さいのはメダカに食わせてみようかと、水槽に落したら水没してしまった。少しむごい気がして、大きいのを2匹しばらく飼ってみようかと思った。

しかし、ネットで調べてみても巣を親ごと採ってきて云々と書いてあり、飼育といっても親というか、女王や働き蜂がいなければ駄目らしい。でも何となくやってみようとプラスチックの蓋に並べてみた。巣をそのままにしていたら良かったのだが、外で幼虫を取り出した時に羽音が聞えたので、見つかったら女王の怒りに触れるかと、証拠隠滅をはかり巣は踏み潰してしまったのだ。

まず水をやってみた。けっこう飲む。でも2日ほどで1匹は死んでしまった。暑い日があって、室内がかなり熱くなり、昼間耐えられなかったようだ。でも残った1匹はわたしが仕事から帰ったらすぐ水をやり、というより水滴を落としただけで、もうアップアップ状態になったりするのだが、ティッシュで調整することをこちらが覚えたので水分補給はうまくいくようになった。

一丁前に2本の黒い牙みたいのを出してもごもごやるので、飢えているのだろうと魚肉ソーセージをつぶして練ってやってみると食う。鮭のフレークがあったのでやってみるとこれも少し食った。蜂蜜をやってみた。これは飲む。少し薄めてやるのだが、どうしても体にも付いてしまい、水浸しの蜜だらけになって、しばらくそのままにしておくと乾いて体が蓋にくっ付いている。それでも、もごもごと元気。

爪楊枝を少し離して2本持つと、水滴や蜂蜜水が雫のまま持ち上げられることが判ったのでこのやり方で給餌給水をする。本当なら幼虫は肉食だとのことだが、虫の肉団子なんてできないし我慢してもらうしかない。これで1週間が過ぎた。何だか食欲がない様子なので、蛹になる時期が来たのかと、和紙で筒を創り、中に入れてやった。それでもけっこう頭を振って動くので、これで給餌してやると、和紙に染みて具合が悪いがでもしょうがない。暑い時期でもあるから、熱を取ってくれるだろうと都合よく解釈。

一昨日からあまり動かない。よく観ると筒の中ほどに細い糸が何本か張ってある。蛹になるために蓋をするつもりだ。蜜を口に持っていってくっつけても蜜の玉が小さくならないから、もう放っておくことにした。だが、2日たって動かなくなり、黒ずんできた。もう死んでいるのかも知れない。全く動かない。蛹になるためなのか、完全変態の一つの変態中なのか判然としない。振っても落ちてこないから、巣のなかにいた時のように、自分で体は固定したのだろう。頭を下にしている状態でないと正常な変態はできないのかも知れない。などと心配するのだが、はたしてどうなるか。何匹もいれば、調べてもいいのだが1匹だけなので見守るしかなさそうだ。おかしなことに手を染めてしまった。

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傷ついても(その1)

2008年06月17日 21時19分20秒 | 随筆或いはエッセイ





じっくり
休んでから
また飛ぶつもり
ねばねばくっついて
まとわりつくモノからも
とびかかってきた何かからも
なんとか逃げおおせた
羽根がふぞろいでも
じゅうぶん飛べる
まだまだ大丈夫
どこへだって
探しに行く
つもり

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秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その4)

2008年06月15日 12時26分55秒 | 個人的主張など
インターネットのポータル(玄関)サイト最大手のヤフーは13日、東京・秋葉原で17人が死傷した無差別殺傷事件で凶器として使われたダガーナイフの取り扱いを、運営するショッピングとオークションの両サイトで全面禁止した。(読売新聞より抜粋)

サバイバルナイフというよりも、今回の事件によってダガーナイフという特定短剣が広く知られることになったようだ。Wikipediaのその項を読んでみると、『・・・急所を的確に狙わないと致命傷を与えられないため、武器としての絶対的な威力はあまりない・・・』とある。

とはいえ今回の事件では、大変な数の犠牲者だ。不運が重なった結果なのだろう。マスコミは亡くなった方々の事は、ことさら詳しく報道する。遺族に対しても当たり前のように群る。気の毒で観ていられない。やりきれないだろうなと思う。

救命救急の仕事に携わっている知人と話す機会があった。あれだけの人がいて、咄嗟の行動力のある善意の人もいて、偶然に居合わせた優秀な医師もいて、的確に指図も出して処置も心臓マッサージもして救急車もかなり早く到着したようなのに、動脈をやられたら救命は難しいのか? と聞いてみた。

動脈の場合は血が本当に噴き出すという。手足の場合だったら、拳などですぐに心臓側の動脈を押さえつけないといけないそうだ。噴出を止める止血が是非とも必要だとのことだ。手足なら止めることはできる。

しかし胴体部の大動脈がやられた場合だと難しいそうだ。病院で医者が見守るなかでの事なら血管を取り出してダイレクトに処置するなり輸血するなりで対処の仕様はあるだろうけれど、そうでない場合は・・・??ということらしい。

心臓が止っていたら、心臓マッサージをしなくてはならない。そうすると出血を促してしまう。でもマッサージを止めるわけにはいかないということになるという。亡くなった七人中の、刺されて亡くなった四人は皆、不運にも大動脈を傷つけられたことによる失血死なのだろう。

ダガーナイフやその発展した銃剣などを所持する感覚とはどういうものなのだろう。対人だけを目的にしたナイフだ。持つ人のほとんどが観賞用あるいはフェティシズムとしてのコレクション目的でしかないだろう。妄想気味にシミュレーションすることがあるにしても、実際の行為に走ることはない。いざ実行までには何重ものバリケードがあるはずだ。自分が持つことによって『一つの武器が対人殺傷能力を封印された』という喜びを感じたりもするのだろうか。

かなり前になるが、ある人から、コレクションしている数挺のクラシック・ピストルを見せてもらったことがある。古美術品扱いのものらしいが、とても奇異な感覚を持った覚えがある。実際に使われたこともあるだろうピストルを、個人でコレクションして眺めるという事に怖気のような気分を感じた。しかも自慢のコレクションは自室の壁に五六挺も飾られていた。

短剣、ピストルなどの小型携行武器は護身のため、個人の尊厳を保つために発展してきた歴史をもつのだろうか。そのような願いが込められ、形の美しさが洗練されていったにしても、機能の持つ禍々しさは独り歩きをする。

被疑者がフル装備の兵士姿をした画像が公表されている。武装することの怖れよりも、全能感のようなものに支配されて高揚するタイプだったのだろう。ゲームや空想の中だけで楽しんでいたらよいものを、その中から飛び出してきてしまった悲劇だ。バック・トゥ・ザ・イマジネーションと言ったところでもう遅い。

ダガーナイフの行政からの規制や、扱う業者の自主規制などを見聞きすると、それなら自衛隊はどうなのだ、と思う。軍隊は戦争をするためのものだ。軍隊とてダガーナイフと同じではないか。機能の持つ禍々しさが独り歩きしないうちに何とかしなくてはならないのは、最大の暴力装置たる軍隊軍備なのだろう。

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秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その3)

2008年06月12日 20時50分03秒 | 個人的主張など
今回の事件に対して、インターネット上に示された文章や見解を少し読んでみた。さまざまな切り口で書かれてある。マスコミが独占していた部分にインターネットが確実に侵入し凌駕しはじめている。

誰でもがカメラ付き携帯電話を持ち、その場で俄記者になって発信し、ブログにも記事を書くということだ。人が大勢いたら事件現場で野次馬となる人もいれば、いち早く被害者を救護する人もおり、AEDを取りに走る人もいれば、心臓マッサージをする人もいる。それが群集だ。

朝のワイドショーでは、キャスターが常識人の代表のような顔で理解できないと首を傾げ、被疑者を非難する。大成功したカリスマ・スノッブ達の実(じつ)のないコメントを聞いて視聴者は満足するものなのだろうか? 

被疑者は犯行予告について、「見た人に犯行を止めてほしかった」と語っているようだ。『やはり・・』と思う反面、自分で語り始めたのか、どういう言い方で言っているのか、そのように問いかけられて、ただ頷いただけなのか、などと疑問がどんどん湧いてくる。新聞記者はそういうところを警察にきちんと聞こうとしているのだろうか?

今までに冤罪を始めとして多くの問題を起こした密室の取調べなので、本当の所は見えてこない。取り調べる担当刑事と、新聞記者達を前に発表する人間は別人だ。彼らの間に、もしかしたらもう一人二人の人間が介在し、文書もはさまるのかも知れない。検察にしたってそうだ、取調べ担当と裁判担当は必ず別の人間で、裁判では書類だけで、担当検事は犯罪を証明していくのだ。

本当に本当のところを知りたい。この被疑者は人を殺すということがどういう結果をもたらすのかをどの時点まで、どの程度まで想像力を働かせていたのか、いなかったのか? ためらいはどの程度まであったのか? 最後のボタンを押させたのは何だったのか?

無差別に本当に大量殺人をしようと思っていたのか、意外にも大量に殺せてしまったという事だったのか? それとも携帯サイトに書き込んでも書き込んでも誰も反応しないから、ネットに創り上げた人格に自分が乗り移らなければならないと思い始めたのか?

そのようなことが次々と頭のなかで渦巻く。想像してもせん無いことだけれど、被疑者には、7人が亡くなり負傷者がそれ以上ということを伝えた上で、本人が語るに任せた形での供述を望みたい。しゃべらされるのでも誘導されるのでもなく、同意をもとめられるのでもなく、本人がしゃべるまで待っての供述があれば、是非それを知りたいなどと思う。

町村官房長官はサバイバルナイフの規制強化を検討すると語ったそうだ。秋葉原の歩行者天国をやめようという動きもあるそうだ。一つの乱暴な事件があり、それを理由に、使われた道具を規制し人の動きをも規制しようというのは全く乱暴な話だ。小手先の場当たり対策をしたって何の意味もない。

ある番組では、派遣社員の立場がいかにひどいものであるか詳しく紹介されていた。被疑者は不安と不満を強く持っていた。犯行の意図がどうであれ、結果的に、この事件が派遣社員、契約社員などの地位向上、格差是正を促すかも知れない。そのように願いたい。



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秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その2)

2008年06月11日 12時44分59秒 | 個人的主張など
今回の事件では、犯人は掲示板に多くの不安や不満を書き込んでいるようだ。犯行当日には予定や行動を書き込んでいる。それらは自分の決行意志が固いことを誇示する意図や、自分の退路を絶つという意味もあるだろうが、『誰か自分の行動を止めてくれ』という叫びであったのかも知れない。

犯行に走り始めた実行時は、シミュレーションをなぞる無我夢中の行動であったのだろうが、警察官に銃を向けられた途端に犯人は抵抗することもなく逮捕されたという。そのことからいろいろと思うことがある。

これがアメリカであったなら、ナイフのかわりに銃が使われ犯人は当然のように射殺されるか、自分で自分を最後に始末するのだろう。この犯人は警官に威嚇発砲をされる必要すらなく、自分にナイフを突きたてることもなかった。

ようやく止めてもらえたという安堵だったのだろうか。その後の取調べであれ、裁判の法廷であれ、注目を集めながら自分の気持ちを存分に述べるために思い描いた予定通りの逮捕シーンだったのだろうか。

後付けではあるが、あのシーンは、劣等感と自己嫌悪の末に自暴自棄になったというだけではなく、被害者意識から身の不運を呪って社会全体に報復しようとした人間の、精神の脆弱さを見事に象徴しているように思う。

今回の事件は、警察や検察にまかしておいていいのだろうか? 現行犯で逮捕され、これだけ証拠がそろっていても、警察検察は毎日毎日多くの作文をつくり被疑者に指印を押させるのだろう。

取調べに素直に応じているとして多くの供述のさわりが発表されているが、本当に肉声なのだろうか?こんな事件こそ、密室の取調べをやめて部分的であれ公開されるべきではないか。始めから、心理学者や精神科医や福祉関連専門家などがチームを組み、被疑者に向き合うべきではないのか。

そうして、様々な面から検討して途中経過から討論、結論まで公開して欲しいと思う。そんな道はないのだろうか。特例として誰かトップ(?)の人間が英断することはできないのか? 切に願うが、どうしたって無理なのだろうな。

連鎖反応が怖いのだ。頼るものもなく、理解されることもなく、未来に希望を描けない、はぐれ兵士がそこらじゅうに潜んでいるようで無気味だ。人をないがしろにした経済、情愛を忘れたゲームによって、兵士がどんどん生産されているような気配ではないか。

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秋葉原の無差別殺傷事件で思ったこと(その1)

2008年06月09日 21時16分54秒 | 個人的主張など
事件の詳細が解る前だが思ったことを書いてみたい。直感的結論を先に書いてみようと思う。あくまで市井の人間としての私個人の直感でしかないけれど・・・。

①死刑制度に依存する消極的自殺なのではないか?
②マゾヒズムを叶えられなかったことによるサディズムなのではないか?
③特攻攻撃を発案した周辺との類似性があるのではないか?

①については、説明の必要がないかも知れない。7年前の池田小学校事件では、犯人は「死刑になりたかった」と供述し、希望通り死刑になった。まんまと、本人のシナリオ通りになった。死刑制度を悪用されたと言えるだろう。人が殺されるという状況が絶対的な悪として死刑制度はもちろんのこと戦争もない世のなかであれば、このような消極的自殺はないだろうと思う。

②について。様々な困難や失敗を積み重ねて人は多くを学ぶ。大抵が失敗の連続で大きな成功など一つでも有るか無しかという位が一般的庶民生活というものだ。それらの失敗に対する耐性(マゾヒズム的快感)を感得しない内に、爆発してしまったのだろう。漫画やアニメの過剰な暴力描写に現実感を失い、夢と現実とのギャップに自分の居場所を見いだせなくなったのではないか。そしてその結果の破滅衝動が発作的サディズムになってしまったのではないか。

③について。実は昨日の事件の衝撃からか、今朝がた悪い夢を見た。自分が特攻隊員になって出撃する間際の状態にいる夢だ。片道の燃料しか入れてもらえないのだから生き残れる筈はない。そこで私は誰に相談することもせず、どうしたら生き残れるか、その方法だけを考えているという夢だった。燃料が半分近くになったところで、故障を理由に引き返そうか、それとも、途中で島でも見えたら、岸近くに不時着してしまおうか・・・などと考えているのだった。

特攻隊については、亡くなった隊員達については何も言うべきことがない。まことにお気の毒なことで、大変な犠牲を強いられた無念はいかばかりだっただろうと思う。

しかし特攻攻撃を発案した旧軍隊の上層部とその周辺事情は、無差別連続殺傷事件と類似しているのではないかと思ったのだ。片や国をあげての戦争状況でのこと、片や全く一人の個人の精神状態であっても、似ていると思われるのだ。勝ち目のない戦いを何の希望もなく投げ遣りに好戦的につきすすんでしまったということではないかと思ったのだ。片や兵士を犠牲にするのにためらいもなく、片や人生を捨てるのに他人を巻き添えにした。双方とも理性を失った自滅的発作なのだろうと思う。

(つづく)
敢えて(その1)とした。おそらく詳細がわかってくるにつれ、また思うところを書かずにはいられなくなるだろう。

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ヒメカメノコテントウ

2008年06月08日 08時42分57秒 | 随筆或いはエッセイ


仕事の出先で待ち時間があった
駐車場横に雑草が生えている
アブラムシが草にたかってる
その天敵のテントウムシもいた
アブラムシは逃げ足を持たない
植物の養分を吸い取っては
ひたすら殖える
テントウムシもせっせと殖える

もうそろそろ
カメラにもぐりこむのはやめよう
小さな世界を観察していると
どんどん引き込まれていく
見失うほどの『自分』はないけれど
少し戻ろう
何かあったはず
やるべきことが

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ジャガイモ(男爵)の花

2008年06月07日 08時50分21秒 | 随筆或いはエッセイ
台所で芽をだしてしまい
皺もできて
食すには怖気づき
捨てるにしのびなく
庭に植えてみた
種芋として処理がされていないから
アブラムシなんかで
病気のウィルスが感染するらしい
よく観れば確かに
アブラムシとハエのような虫
元がとれるほどの芋はできるか
どんな実がなるのか
世代をつなぐことはできるのか
何とはなしの
待ち遠しさ
コメント (4)
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