鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

高所平気症の人たち

2009年02月24日 22時27分05秒 | 随筆或いはエッセイ
自分は高所恐怖症ではないかと思ったことがある。実は高所恐怖症などという言葉なぞ知らない子供の頃のことだ。高い所で危ないマネをする遊び仲間を見てさえ、足が震えてすくんでしまう程だった。ところがあるとき急に克服したように思われる経験をした。ある共同作業をやる必要に迫られて、恐いとかどうしようとか考える間もなく手を染めていた。穏やかな言いようではないが、高所で危ないことを平気でやるようになったら、もうそういう表現しかないような気がする。

高所平気症という言葉があることを最近知った。高層マンションで生まれ育つと、高いということの恐怖が生じにくくて、幼児の転落事故が起きる場合があるという大問題がそれだ。さもありなんと思うが、『子供がどんな突飛な行動をするか』ということに思い至らない大人の想像力の欠如こそ高所平気症ということにもなるのだろう。

中川前財務・金融相を取り上げるニュース番組をテレビやYouTubeでさんざん観た。ソムリエの資格を持ち、中川氏と麻布、東大コースで同級生だったという玉木財務省国際局長だけが真相を知っているようだ。しかし結局のところ、もう中川氏が辞任して一件落着という格好だから、本当の所どうだったのかということは、いつも通りの闇の中だ。でもこれを中川昭一氏にだけ焦点を当てるなら、『高所平気症になっていたのだな・・』とこういう比喩で納得せざるを得ない。

海千山千の担ぎ手は御輿に載せた人を悪酔いさせることなど簡単なことなのだろう。手玉にとって振り落としたりもできる、何故って御輿の上の人は高所平気症になっていて、正常な想像力を欠いてしまっているからだ。よれよれになっているのに、あー言えばこー言う麻生総理をはじめ高い所にいる人たちは殆んど皆がこの症状を呈している。彼らを担ぎ上げている人たちも私利私欲、利権確保、自己保身に目がくらんで、それぞれが高所に居る事の重大さを忘れてしまっているようにしか見えない。悪口の言い合い非難合戦を観させられている一般庶民は好い面の皮だ。定額給付金はいつ呉れるのだ?もう予定しているのに!

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中川前財務・金融相を失脚させた犯人は誰だ。

2009年02月21日 00時40分37秒 | 勝手に応援
今週の映像トップニュースは中川昭一氏の「もうろう記者会見」で決まりのようだ。外国に恥をさらしたということで辞任となったが、日本国内での事だったらそこまではならなかっただろう。周りの者がなぜ飲酒を、或いは会見を止めなかったのか謎は深まるばかりだ。

事後の対応が潔く正直に告白しての反省陳謝であれば、辞任に追い込まれることはなかったかも知れないのに迂闊なことだ。「ごっくんしていない」なんて・・・。最近の国会や周辺での流行りは『笑っちゃう』だけれど、そこまで笑いをサービスしてくれなくてもいいのにと思う。

さて犯人探しだ。薬は単なる言い訳で、単純に深酒をしたということはありうるだろうか。始めから、保護主義政策阻止や各国協調しての金融危機打開策を探るなどの結論ありきで、参加することにだけ意義のある会議だったとしても、気が緩んで自発的な深酒をしてしまっての泥酔は考えにくい。却下。

風邪薬を普段よりも多めに飲んだと言っているが、薬の名前を明らかにする訳でもないから言い訳に過ぎないだろう。本当に薬を多めに服用することなんてあるのだろうか? そんないい加減な健康管理を周りが許している訳がないと思われるので、これも却下。

記者会見の場へは、足がふらつくこともなく普通に歩いていったが会見が始まったとたんに変になったという。時限爆弾のように時限発火でいきなりヘロヘロになったのだ。これは何かの陰謀があったに違いないと考えるのが普通ではないのか!? 本人もハメラレタと気づかない程の巧妙な陰謀ではないのか? 思わずいらぬ嘘までつき下手な弁解までしてしまう程に計算された罠ではなかったか!?

記者会見で眠そうにしているのは時差ぼけもあり、重責を担っている忙しい身だから仕方ないにしても、呂律が回らない一言を発した途端に非常事態を感じ取って秘書なり随員の官僚なりがなぜ駆け寄らなかったのか・・考えてみれば不思議だ。

体調の急激な悪化という格好で押さえ込みのような抱きかかえ方で会場から連れ出して当たり前の事態だっただろうにと思う。両隣にいたおじさんも頼りないものだ。まるで他人事だ。片側から椅子を持ち上げて転ばした方がまだ事態はまだましだったのだ・・後付けかもしれないけれど。

麻生総理を解散総選挙に追い込むための工作? それはありえないだろう。何を言われたって、支持率が下がったって蛙のつらにション・・暖簾に腕押し、いくらヤジられても「黙って聞けよ!」なんて言っては国会でニヤニヤ笑っている陽気な人だものこれ位では大してこたえない。

G7の会食を中座してホテルで昼食を摂り、その席に財務省幹部と通訳と記者四人が同席したそうだ。記者のうち一人は読売の女性記者だそうだが、同席したことを公表しないで欲しいと言っている記者が二人、あとの一人は回答が届いていない・・・という内容を財務省国際局長が予算委員会で質問に応えて語ったという記事を読んだ。

中川氏が頼んだ赤ワインはホテル側がこれでいいかと問い、中川氏がOKしたという。怪しいのである。ワインに睡眠薬が混入された可能性はないのか? 愉快犯のような人間が混じっていそうではないか! なぜその辺りが追求されないのだろう。事は刑事事件にはならないが、日本の一大事に発展したではないか!?

外国の報道は、皮肉に満ちているようだ。不思議の国日本をさらに強く印象付けただろう。ゆとりと取られてやっかまれたりもしただろうが、これがジャパニーズスタイルのユーモアとは受取られなかっただろうと思うと残念だ。それにしても、眠気をこらえて必死に応答する中川氏の健気さと人間臭さが印象的だった。都会の最終電車なんかでいくらでも居そうなオジサンに見えた。

尚、これらの記述は新聞とテレビとインターネットのニュース記事だけを元にした思いつきでしかない。などと断りを入れるまでもないけれど・・・。

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拙速ということ

2009年02月15日 08時34分09秒 | 随筆或いはエッセイ
近頃とみに政治家が拙速ということばを使う。わかったようなつもりで聞き流していたが、実は意味を知らなかった。愛用している電子辞書の広辞苑による全文を転載してみよう。〔【拙速】せっ・そく  仕上がりはへたでも、やり方が早いこと。「兵は―をとうとぶ」「―を避ける」⇔巧遅〕

読んで、いろいろと想うことがあった。つたないけれどはやいのだから、兎と亀の寓話であったり、慌てる乞食はもらいが少ないであったり、急がば回れというような連想は瞬時にしたけれど、それより仕事における失敗経験や、目撃したことや、自分の周りの人たちの事々を想った。ところで乞食は不適切表現か?差別語ではないが侮蔑語か・・。

少し寄り道をしたい。「兵は拙速をとうとぶ」これは実にその通りではないか。目に見える結果を欲しがるのだ。戦いを運命づけられた者は戦いに焦がれ、手柄を立てることだけを目指した生き方になるのだろう。兵になること、それはすなわち人間性を殆んど捨てるということだ。

さて、想い浮かんだ仕事のこと。今まで職人といわれる人を多く見てきた。職人という言葉を使うと、かなりの人が伝統工芸の職人を思い起こす。そして、あこがれのような尊敬のような眼差しを向ける。職人というものが職業ではなく尊称のような使われ方をするのだ。

ところが、わたしのいう職人は建築関連の職人だ。一般の人からすれば、大工や左官は職人としての認識はあるかも知れないが、その他もろもろの建築職人は職人というイメージからは遠いのだろうと思う。わたしはその他大勢の中の一人だ。したがって、建築関連の人間以外に対しては職人という言葉をあまり使わない。恥ずかしくて少し嫌な思いをさせられるからだ。

建築職人はなにかといえば仕事の早さを求められる。『手が早い』というのは女性にまめだという意味ではなく、仕事が早いという意味でしか使われない。求められるだけではなく、職人もそれを競うのだ。早くなければ一人前の職人ではないとばかりに。そして拙速だ。殆んどの職人が拙速なんである。兵であることを求められるから拙速にしかならないのだ。

わたしは仕事が遅い。人の倍ほど時間が掛かるのだ。むしろ掛けることをモットーにしている程だ。でもって自分としては、時間をかけて何度も確認をしてやり直しも厭わずにゆっくり進めた方が得だと思っているのだ。クレームをつけようと身構えてくる嫌味な監督や元請や客はいくらでもいるから、多少は仕事が遅くて嫌味を言われても確実な方がいいだろうと亀の巧遅を目指すのだ。つまりいつまでたっても職人にはなれない。なりきれないんである。

巧遅は、〔巧みではあるが仕上げのおそいこと〕とある。拙速も巧遅も共に望ましいことではなく、一番いいのは巧速ということになる。巧速という言葉は広辞苑に載っていない。巧くて速いのは、職人というより達人なり名人ということなのだろう。

人に見られながら仕事をするのが嫌いだ。晴れがましいなどという言葉で、あまり見ないで欲しいとやんわり言う人もいる。私の場合、人の倍ほどの時間を掛けて仕事をやるから見られると困るのだ。見ていられると失敗もしてしまうのだ。何しろ建築現場というのは、同じ状況が殆んどないので、毎日が新しい事態と仕事の連続だ。集中力と注意力が必要なのである。

道路に面した仕事場で技を見せながら桶作りをする職人を、昼の食堂への行き返りに毎日横目で観ていたことがある。通過時の数秒だが毎日観るのが面白かった。いろんな工程があって、どの仕事をしているときも一定のリズムで揺るぎない自信にあふれているようだった。桶作りは伝統工芸になるのだろう。達人だと思った。民芸品の販売イベントなどや、観光地での○○彫りなんかの製作実演を見るたびにエライなぁと思う。手作業の仕事場が晴れがましいステージでもあるのだ。

でもわたしは建築現場での職人もどきなので、人の目から隠れるようにして時間をかけて、何度も何度も確認をして、小学校の家庭科で習った全返し縫いの案配で仕事をやっている。他の職人が昼飯を摂っている休み時間や10時3時の休憩時間はわたしのもっとも集中する時間帯だ。昼飯は食べたり食べなかったりで、話しかけられたくなくて、見られたくなくて、あくまでマイペースに拙速でも巧遅でもなく、拙遅(この言葉もなかった)と見なされて干されないように気をつけて仕事をしている。

手前味噌で言わせてもらうなら、今の急激な不景気にあって拙速はまことに具合が悪い。反対語を、巧みではあるが仕上げが遅いとしないで、遅いけれども巧みという捉え方で巧遅が良いこととして認知されるべきではないかと思っている。この頃は仕事自体が少なくなっているのだから、ゆっくり確実に巧くやろうじゃないか。今のところわたしに仕事があるのは、拙速だけは避けてきたからではないかと想っているのだ。

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不整脈との付き合い

2009年02月08日 21時00分24秒 | 健康ネタ
この頃よく夜中に目が覚める。寝付くのもなかなかなのに眠ったと思えばすぐに目が覚める。眠りについた自覚はないのだから『眠ったと思えば・・』というのは不正確な表現か。変な夢もたくさん見る。夢でよかった・・とほっとする悪夢も見れば、もっと見続けたかった楽しく面白い夢も見る。

すべて不整脈のなせることなのだ。冬は特にひどくなるような気がする。ここしばらくは特にひどくて、2回脈があって1回休みの時がけっこうある。これを書いている今もそうだ。それが規則正しく続くのではなくて、6~7回正確に打って『これは調子いいぞ』と思っていると『うっ』という感じがして2回休みの強い衝撃がある。脈が弱くなることもあり、少し気の遠くなる感じもあったりして、とにかく乱調なのだ。自分の拍動に何だか感動を覚えてしまう程だ。

パソコンに向っている今現在は、多少の不調を感じても普通にしていられる。これが大乱調になると、何もする気になれないだるさがあって、でも胸はざわざわとしてごわごわとして横になってはいるものの欝々とした状態になる。そういう時は手足がむくんでいることが多い。頭を振るとずきんとするし、咳をしても頭が痛いことが多い。そんな時はもう寝ているしかない。

循環器科で診てもらったことがある。ところが結論から言えば、悪い不整脈ではないというのである。不整脈を改善させる薬というのを処方してもらって服用しつづけていたこともある。服用後二ヶ月程は良く効いたが、すぐ効かなくなった。運動負荷試験もやってもらった。24時間装着の心電図記録計もやった。心臓に尋常の苦しさではない気持ち悪さを感じたことがあり、仕事を放り出して病院に行ったこともあった。そのときにニトログリセリン舌下錠を試したが、状態は変わらなかったから狭心症ではなさそうだという事になった。

予約に空欄があったのか、検査をすれば点数をそうとう稼げるからなのか『検査をして何も異常なしならこれほどよいことはないわけですから、やってみたらどうでしょう・・多少のリスクもないことはないのですが・・・』という説得に飛びついて、カテーテル検査の日取りもすぐ決まり、数日後に検査をやってもらった。

先に書いたように異常無しなのである。カテーテルの検査では、狭心症だとその症状があらわれる薬が心臓の中に直接投与される。するとその瞬間オシッコをもらしてしまったのか?と思ってしまうような暖かさが股間中心にふわっと広がる。でも私は狭心症の発作が起きなかった。それより何より、心臓からの血液の流れというのは、一拍二拍の動きで大動脈では瞬時に胴体や頭には行くものだと実感した。手足の末端には数十秒かかるのかも知れないが、すごい速さだ。妙に感動を覚えたのを記憶している。

これほど本人は気持ちが悪くて、眠れなかったり違和感を覚えていたりするのになぜ異常無しなんだろう。運動付加試験の時も、24時間装着の時も、カテーテル検査の時も、つい先日の年1回の健康診断の時もいつも私の心臓はよそ行きの健康を装うんである。本当に腹が立つくらい、医者に行くとそれだけで治るのである。

その内、体を酷使して体もむくみ心臓も大乱調の時に医者に見せたいのだけれど、そんな時は忙し過ぎて、体もだるくて医者になんて行けないのだ。医者に『どうです、けっこう私の心臓イカレテルでしょう?』と自慢したいのだが、どうもうまくいかない。本当になんともないのか・・・という疑問をいつも持ちながら、何ともないというお墨付きも大事に思っている昨今なのだ。

父はニトログリセリン舌下錠を携帯する身だった。兄にも心臓病のものがいる。叔母は心筋梗塞で亡くなっている。それで気に病んできたのだ。気の病なのか?近頃はもう余生に入ったという感じがしているので、死に対して少しは恐怖が薄れている。

夜中に熟睡できない分、昼間に眠いことがある。仕事をしなければ生きていけない自転車操業人生なので、今のところ仕事だけは穴をあけないようにこなしている。でも仕事から帰って、ぼーとしている内に今は炬燵に入って瞬間的に眠ってしまうことがけっこうある。夕飯を食べてからもすぐこっくりする。それどころか2時間3時間爆睡してしまう。浴槽のなかでも熟睡する。ぬるい風呂に入った時なんか間違いなく、首が痛くなるほど曲げて眠りこけることがけっこうある。若い時には考えられなかったことだ。

夜中に目覚めて胸がざわざわしたり、ふっと気を失うような感じがしたりしても、重ねて言うけれどもうあんまり恐さを感じない。もういいか・・・という気がしてきているのである。このままふっと逝くのは楽かも知れないなと思う。脳に血液が行かなくなると瞬時に気を失うのだろうから・・。

不安感もなくなっているのに治らないんだから気の病ではないのだろうと思っている。心臓の不具合を感じている時に、仕事だけは別だがそれ以外は自分に自堕落を最大限許している。これも実に快適なんである。何もやる気がしないのは体のせいなんだからして。

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運転免許返納には報奨金を出せ

2009年02月01日 19時17分36秒 | 個人的主張など
またアクセルとブレーキの踏み違え事故が起きた。報道には出ないが全国各地で、どんくさかったり、疲れていたり、あわてんぼうだったりする人達がたくさん、アクセルとブレーキの踏み間違い事故を起こしているのだろう。

ネットで調べたら、アクセルを膝の動きで行い右足はいつもブレーキペダルに載っているような仕組みの踏み違え対策ペダルがあるそうだ。車検時の代車など他の車に乗る場合は、馴れが優先して危険という面もあるようだが・・・。

やはり、私が『アクセルとブレーキの踏み違え事故のこと』で書いたように、アクセルを強く踏んでしまったらそれが急ブレーキになる構造のものを作って普及させたら良いのだ・・・と、まだ思っているのである。

ところでタイトルのことだ。免許証返納をネットで調べたら無料とあった。それはそうだろう。それだったら、免許更新に出かけずに失効させたらいいのだ・・・とは思うものの、何だかあほらしくなる。無料という文字を見てアホクサ!と思うのだ。

運転を習い、免許を取り、活動範囲を広げ、運搬をし、経済活動を広くやってきた人間が免許証を返納するのだ。それがどういうことを意味するのかを、全く考えていない無神経な『無料』だ。

5000円なり10,000円なりの報奨金というのか、功労金のようなものを出したらいいのだ。そうすれば老人の運転技量に対する自覚が促せるのではないだろうか。返納もしやすくなるのではないだろうか。結果として、老人や運転を出来にくくなった人の運転が減り事故が減る。

故意に事故を起こす人間はめったにいない。多くの事故を分析して比較検討すれば、事故による損失よりも事故防止費用としての返納報奨金の方が確実に安上がりだと思うのだがいかがなものだろうか。行政には長い目で観て計算して欲しいのだ。

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