よく行く運動公園の体育館裏にこんな看板。
何かの工事を長い間やっていたのは気づいていた。
最近は工事といえば耐震がらみが多い。
災害対策には違いないが、災害後に避難所となった時の準備がこの施設。
左が4000Lの地下タンクで右奥が1217Lの貯蔵所。
どれほどの自家発電規模なのか知識がなくてわからないけれど、近くにあると何だか心強い。
個人の家に飼われている猫ではない。
ノラと見たら餌をやらないではいられない猫おばさんか猫おじさんがいて、生き延びているのだろう。
母猫が白黒のブチで、白の父猫は白、黒の父猫は黒というきょうだいではないか・・。
同時に生まれてもそれぞれの父が違うということが猫では普通のようだから。
世間の風は冷たい時もあるけれど、とりあえず晩春の陽気に肌寄せ合って眠る。
首輪をつけた放し飼いの猫が、まっすぐに寄ってきた。
立ち止まったら身体をくねらせすり寄ってくるだろうと、一瞬警戒した。
こちらにそういう気持ちが一切ないのに、お構いなしで足元にまとわりつかれるのは好きではない。
優しい気持ちになり迎え入れたい時に、やってきてほしい。
この猫は尻尾の先が曲がっている。
正常範囲の遺伝か、誕生後の骨折か、病的変形か。
首輪をしているのだから可愛がられているはずだけれど、猫好きではない行きずりの人間に寄ってきて腹を見せる猫の心理は分からない。
遠くからの見た目と色合いは、過日撮ったミモザの葉の感じに似ている。
でも葉っぱの形が全く違う。
豆科だろうか、調べても分からない。
葉の芽から同じ対生の葉が永遠に伸びていきそうだ。
開き方に一定方向とか螺旋とかの法則性があったら、もっと面白いのにというのは無理な注文。
葉緑素が少ないのか、表も葉裏みたいだ。
追記;ユーカリではないかとご指摘いただいた。ユーカリはいろんな種類があるそうで、コアラが食べるユーカリであるかはわからない。ハーブとして利用されるユーカリのようだ。オーストラリアに私は縁もゆかりも無いので、・・らしいとか・・そうだとしか書けないのが残念。
ホタルブクロに似ているけれど少し違う。
昔から馴染んでいる蛍袋は、控えめに俯いて咲く。
この花は風鈴草といいながら、頭を昂然と持ち上げ、うなだれない。
蛍袋の花の中は毛が密だけれど、風鈴草の毛はポワポワとわずか。
白くなった誰かの鼻毛のよう。
雄しべが底の方でいじけているのは、花粉放出をなし終えたからか。
雌しべの柱の途中にくっつき、虫によって他所に運ばれるのを待っているのかも知れない。
柱頭は他の花からの花粉を待つ。
自家受粉を避けるため、そういう仕組みになっているのかも。
などと通りすがりの他人の庭を道から撮して勝手な拡大解釈。
人を寄せ付けないほどに棘だらけなので、触って色々確認することができない。
蜘蛛の糸そっくりの白いモヤモヤはどういう役目の何だろう。
この咲き終えた花は、どういう実になっていくのか注目していきたい。
これだけあからさまな防御をされると、細竹の鞭で首をなぎ払い、トングで掴み、包丁で切り開いてみたくなる。
刀なんぞを持っていたら、振り下ろして真っ二つにしてしまうだろう。
危ない心理を引き起こす痛いヤツ。
最近、黄金色に目がいく。
小判草は黄金色になってこそ小判草と言える。
ちょっと見は小判に見えるかもしれないが、まじまじ見ると、昔の蓑(みの)のような、大昔の三葉虫のような感じに近い。
誰が付けたか、この名前。
笹に小判のおめでたいイメージにケチをつけるつもりはない。
地植えして何年か経ってから、また植木鉢に戻してビワの木陰に置いているウチのカルミアは、今年6輪だけ。
この模様だから、ほんの少ししか開花しなくても存在感がある。
余所で見た下の画像のカルミヤはこれ以上ないほどに密集して咲き誇っている。
何だか昔の女性下着、ペチコートのようではないか。
その点、ウチのカルミアは暑い海辺で肌の焼けた少女がはいているスカート風。
好みを言えば、やはり身びいきに傾く。
自由に採って食べても咎められることのない最高に甘いおやつが桑の実だった。
口の中も周りも紫色にして、黒く実の熟す時季には畑に入り込んで食べまくった。
大人は農作業などの仕事に忙しく、桑の実を採る大人なんぞはいなかった。
養蚕農家が周りに何軒もあったからこその桑畑。
ゴールデン・ウィークに帰省した折に山へ行って見た以前の桑畑は、畝が残っているものの桑はなく、潅木生い茂る林になっていた。
この画像は京都宇治で散歩中に見た。
普通の家に生やしている桑の木。
大事にしている様子だったから、つまみ食いをしたりはしない。
それにしても、桑を玄関先で育てるなんて珍しい。
十字になり損ねの変異花かと思いながら撮ってみたら、もう一片は開きしぶっているのだった。
ドクダミは葉っぱを天ぷらにしたら食えるとか、傷に揉んで貼ると良いとか、干して煎じて飲むとか何しろ使える薬草なのに名前が悪い。
きつ過ぎるにおいと、どこでも生える丈夫さもあいまって好かれない。
十字架を背負っての生い立ち。
ガーベラはいろんな色のタイプがあるけれど、近所の或る施設の塀周りに植えられていたのを三日前に撮ったのがこれ。
各色の花言葉があるそうで、それらはどういう経緯で考え出されたのだろう。
花を栽培するのが盛んな国の輸出推進委員会が、セールスのため花に特別な意味と価値を与える花言葉を考案したに違いない。
国家レベルの花言葉設定会議が開かれたのだろう・・・たぶん。
私が撮ったのはオレンジか、黄色で、黒も混じっているから、微妙な花言葉になるかも。
我慢強い究極愛にも黒い影・・そんな意味合い・・にはならないか。
撮ったこの花はガザニアの間違いでした。
で、花言葉は・・あなたを誇りに思う、潔白だとか・・スンマセン。
あまり管理の手が回らないような地所フェンスに自生しているのをよく見る。
棒状の白い蕾はたまに紅が差している。
スティックが弾けると白い花が開き、次の日は黄色味を帯びてアイボリーになり、二日で花はしぼむ。
一日花という言葉があるけれど、これは二日花。
白を銀とみて、アイボリーを金とみたのなら、順番から銀金草だろうに・・。
以前は我が家の植木鉢に自然に生えて、その香りを何年か楽しんだが、いつの間にか消滅した。
金銀はウチに根付かない。
先日の滋賀県行きで見た田んぼの看板と水道栓。
井戸かと思ったが、組み上げ式なら電気がいるだろうし、どうも組み上げ式井戸ではなさそうだ。
ちょっと、掘り下げるだけで地下水が噴出するところなら、動力もいらないから開閉栓だけでいいのか?
どこまでも平らな田んぼが広がっている場所の水利は、多分農業用水道パイプが地下に巡らされているのだろう。
水利組合に面積あたりの決められた金額を支払うのだろうけれど、こういう看板が出ているということは、琵琶湖保全のための補助金が出ているわけだな・・などと余所者が勝手な推理。
この花は道路からちょっと住宅敷地が上がっている石垣上なんかに植わっていることが多い。
赤と紫の間だけれど、赤が勝っているから、赤紫ではなく紫赤という色だろうか。
この手の色の花は、隙がなくて好きになれない。
完璧だと鼻白んでしまうという、天邪鬼気質はどういう風土から生まれるのだろう。
昔は陸の孤島などと言われた豪雪地帯で、JR(当時は国鉄)が1週間も止まったことがある盆地の生まれ。
熱帯系の花は眩しすぎる。
ところで、今年はブラジルでオリンピックが開かれる。
開会式は当然ながらリオのカーニバルそのものの演出になるだろう。
このマツバギクみたいな衣装と化粧の肉体美が弾けるダンサー集団は嫌いではない。
住宅地のアスファルト道路とコンクリート溝ブタの隙間にブタナがしぶとく咲いていた。
目立つブタナの根元にはニワゼキショウ。
花言葉にはあまり関心がないけれど、ブタナは『最後の恋』だそうだ。
ニワゼキショウのは『繁栄、豊富』などいくつかある中に『愛らしい人』というのもあった。
最後の恋に愛らしい人とくれば、もう肉欲なんぞが介在する余地はない。
狭い隙間にそんな花言葉がひそんでいるのでありました。