農業用水路に沿った畔(あぜ)を歩いていて、帽子が水没寸前の様子で浮いているのが目に止まってギョッとした。
作業用手袋なんぞだったら、そうは驚かないだろうけれど、帽子となると被っていた人間の安否が気がかりになる。
よそ者は入らないところだし、谷筋の水源まで1kmもないし、だれかが水路に落ちたということも聞かない。
急に強い風が吹いて帽子を飛ばされ、飛んでいく帽子の行方を目で追う間もなかったのかもしれない。
この水路は、わたしが子どもの頃は護岸もなく、水棲生物は豊富で、サワガニ獲りを楽しむ小川だった。
ところが平成の大圃場整備で風情ある小川はU字溝になり、全くの水路でしかなくなった。
ところどころに淀み場所を作ってはあるが、あとは均一の水深で急流のようになっている。
帽子は淀みに浮かんでいたのだが、雨が降れば間違いなくゴミ受けの柵(しがらみ)の場所まで一気に流される。
先日、わたしは柵にタヌキの死骸が引っかかっているのを見つけた。
U字溝に落ちたら最後、ジャンプ力のないタヌキは上がることもできずに力尽きたのだろう。
それもあって、帽子を見たら、事故や事件をあれこれ想像してしまった。
落ちた帽子を拾うにしたって降雨時で水量があったら、人でも危ないのだから、本当に情けない水路だ。
ちなみにタヌキの死骸は、ゴミを取り除くためにおいてある熊手で引っ掛け、下流に流した。
帽子は拾い上げる棒も杖もなかったので、撮るだけにした。
持ち主が下流の柵から遡って探す可能性もあるから、そのままが良いはずと、後付けで考えた。
追記;タヌキの死骸はしがらみに引っかかっているのが見つかる都度、この辺りでは誰もが下流に流すだろうと思われる。
それで行き着いた信濃川を流れていく途中で水棲生物に食われ、やがて河原に打ち上げられて、また自然による解体処理がなされるはず。
後付けで考えたこととは言え、タヌキの死骸をわざわざ土中に埋めるようなことは誰もせず、市役所に処分をお願いする人もいないはず。
このことは、この辺りに生まれ育った者として普通に動き、悩むことも考えることもなかった。