《満開の庭のヤマザクラ》
今年の春はいつまでも肌寒く、例年より一週間遅れてようやくわが家の桜が咲き始めた。それでもお城のサクラはそろそろ散り始めるだろう。
人はこの時期だけそれぞれに桜に思いを寄せるが、桜は人の心にはおかまいなしだ。日々の生命活動を積み重ね、今年も花をつけ、散っていく。
私が意識して桜をながめたのは中学生の頃であったか、春の女神ギフチョウを求めて踏み入った山道に、桜が実に美しかった。(それは、たしか神奈川県の中津川渓谷だった。) そのとき少年は静寂の中でおぼえたての詩歌をつぶやいていた。達治の「甃の上」だ。一片ごとに散りゆく花びらの中で、初めて往く春を惜しむ寂寥感を覚えたような気がする。あれから数十年、決まって巡るこの桜の季節にはいつもこの詩を口ずさんできた。
「あわれ花びら流れ をみなごに花びら流れ をみなごしめやかに語らい歩み・・・」
いま散り急ぐ季節の花に、いつも遠いほのかな青春の日々がよみがえってくる。
あわれかなし往く春を
一片ごとに散る涙
今年の春はいつまでも肌寒く、例年より一週間遅れてようやくわが家の桜が咲き始めた。それでもお城のサクラはそろそろ散り始めるだろう。
人はこの時期だけそれぞれに桜に思いを寄せるが、桜は人の心にはおかまいなしだ。日々の生命活動を積み重ね、今年も花をつけ、散っていく。
私が意識して桜をながめたのは中学生の頃であったか、春の女神ギフチョウを求めて踏み入った山道に、桜が実に美しかった。(それは、たしか神奈川県の中津川渓谷だった。) そのとき少年は静寂の中でおぼえたての詩歌をつぶやいていた。達治の「甃の上」だ。一片ごとに散りゆく花びらの中で、初めて往く春を惜しむ寂寥感を覚えたような気がする。あれから数十年、決まって巡るこの桜の季節にはいつもこの詩を口ずさんできた。
「あわれ花びら流れ をみなごに花びら流れ をみなごしめやかに語らい歩み・・・」
いま散り急ぐ季節の花に、いつも遠いほのかな青春の日々がよみがえってくる。
あわれかなし往く春を
一片ごとに散る涙