山都から喜多方への帰路、坂下への分岐点の小高い丘に満開の桜が見えた。絶景を期待して登ってみた。遥かな飯豊山頂には白い雲がたなびき、桜や対岸の柳の緑が春のコントラストであった。眼下にとうとうと流れる阿賀川の白波がすがすがしかった。
桜に囲まれた広場の案内板には、稽古堂*の堂主であった如黙*が政変で配流され、この丘で憂愁を慰めた地とあった。以前から如黙に興味を持っていたので、嬉しい発見であった。
稽古堂は日新館*の陰に隠れるも、会津藩最初の庶民の学校であった。およそ意欲ある社会は発展すると言うが、当時の稽古堂での庶民の活気あふれる学習意欲を想像した。そして今の生涯学習教育に通ずるものを感じた。
如黙の歌に ”消えもせず流れもやらでいくとせか ただよう泡のまきかえるらん”とある。なるほど黒御影の石碑には泡ノ巻公園とあった。
はからずも立ち寄った桜の公園に、庶民教育に打ち込んだ如黙の心の動きを追った。
*http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/shiseki/keikodoato.html
*http://www.e-t.ed.jp/edotori43201/
桜に囲まれた広場の案内板には、稽古堂*の堂主であった如黙*が政変で配流され、この丘で憂愁を慰めた地とあった。以前から如黙に興味を持っていたので、嬉しい発見であった。
稽古堂は日新館*の陰に隠れるも、会津藩最初の庶民の学校であった。およそ意欲ある社会は発展すると言うが、当時の稽古堂での庶民の活気あふれる学習意欲を想像した。そして今の生涯学習教育に通ずるものを感じた。
如黙の歌に ”消えもせず流れもやらでいくとせか ただよう泡のまきかえるらん”とある。なるほど黒御影の石碑には泡ノ巻公園とあった。
はからずも立ち寄った桜の公園に、庶民教育に打ち込んだ如黙の心の動きを追った。
*http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/shiseki/keikodoato.html
*http://www.e-t.ed.jp/edotori43201/