エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

春の喜び

2006-04-09 | 日々の生活
 春の喜びを語りたい。
ようやく雪の消えた庭に出て、新しい生命を見つめた。
 鮮やかな黄色のフクジュソウと淡い紫色のユキワリソウが春の陽に力強く咲いている。群生するスイセンのつぼみも膨らみ黄色に色づき始め、クロッカスが白、黄、紫の長い花筒をもたげている。ジンチョウゲのつぼみも先端が紅く色づき、バラやモミジ、カイドウが真紅の新芽を伸ばし始めた。また、アジサイの枯れた風車の脇には、対になった芽が大きくたくましいかった。そして、厳しい冬を雪の下で眠り続けた暗紅色のロゼット、その白い緑の若芽がみずみずしく見えた。
 すべてが一斉に芽吹き、春の色がそれぞれに美しく感じられた。
  一斉に 芽吹くときめき 春の色
 庭からはるかに磐梯を望む。春まだ浅きふるさとの黒い大地に、黄緑に輝くフキノトウが映える情景が目に浮かんだ。そして、清らかな雪解けのせせらぎが聞こえてくるようだった。この春のときめきは目を閉じて回想する青春のときめきのような気がした。

懐かしい いわき

2006-04-08 | エッセイ
 《スケッチは20年前の平潟港(丁度ブログの写真と同じ)》

今日ブログで「平潟を歩く」を読んだ。
 若かったあの頃が懐かしく思い出された。
子どもたちが多感な中学、高校生の頃、単身赴任でいわきの勿来町に住んだことがあった。
 会津まで約150キロの道のりを土曜日に帰り、月曜日に出勤の4年間だった。
 暇なときはよく一人寂しく海を眺めたり、スケッチしたりしていた。
 なかでも平潟へはよく行った。活気ある漁港の雰囲気が好きだった。
 近くの五浦の天心記念美術館にも何度も行った。
久しぶりにいわきを思い出した。思えばもう20年も前のことである。
       単身の ながめし海の 波残る

    「ブログ 『いわき日和』 http://blog.livedoor.jp/aryu1225/ 」


《いつか書いたエッセイ
天心に学ぶ東洋の価値観
 梅雨の最中に茨城県天心記念五浦美術館を訪ねた。高台に建つ美術館に海からの爽やかな風は心地よく、清楚な白い花をつけたシャリンバイが雨に濡れ一段と緑が美しく感じられた。
 当時、一つの画風「朦朧体」と呼ばれ非難を浴びたという大観や春草の日本画を鑑賞した。天心は弟子の彼等に「風を描け」「音を描け」と言ったというが、見えないものを表す精神には同感するものがあった。
 館内で「岡倉天心の五浦時代(晩年の天心)」を視聴した。創立間もない日本美術院の経営に悩み、失意の中のインド旅行は彼の運命を変えた。彼はインドの民衆の姿を見て、西洋近代の弊害に対比し、それを克服する東洋の精神文明の価値観を思った。それは、丁度有り余るものに恵まれた物質文明に疑問を感じ、心の豊かな生活を求める我々の気持ちと似ていると思った。はからずも、今アジアの指導者が百年前の天心の主張を唱えている。

http://business2.plala.or.jp/kitaiba/culture/culture2.htm


右脳を働かせたい 

2006-04-07 | 教育を考える
 
 「脳と創造性」を読みながら、脳梁で連結される左脳と右脳のバランスのとれた働きを考えた。理屈でものを考える、言葉を聞くなどは左脳の働きで、音楽を聞いたりイメージで空想するのは右脳の働きと言う。
 いつも創造性が強調されるが、それは、現在の学校教育が左脳偏重人間を育てているという反省でもあると思う。
 時折、窓際から風に揺れる木々の緑をぼんやりと眺め、訪れる小鳥のさえずりを聞く。これは自分なりの右脳の強化訓練だ。鼓膜、網膜を通したこれらのイメージ信号が右脳に潜在するという創造的パワーを引き出すかも知れないと思った。
 ひらめきや大局を見渡す右脳を養うため、せいぜい空想にふけり、芸術を鑑賞し、季節を楽しみ、感性に響く情報を取り入れようと思っている。そして、しばらく左脳人間を休みたいと考えている。

布地に磐梯山を描く

2006-04-04 | スケッチ

 ハンカチや会津木綿の布地に磐梯山を描いている。
 湖水に漂う白鳥と秀峰磐梯の雪景色に好きな詩を添える。
 私の冬の磐梯はいつも青く聳えている。
 
青と緑、そして黒絵の具を少しずつ混ぜ合わせ、色合いを楽しみながら大自然を描いている。
青系色にも空色、水色、藍、紺、群青などいろいろあるが、私は藍色や浅葱色が好きだ。浅葱は藍染めの浅いところから現れる色に似た色で、好んで静かな猪苗代湖を染めている。
 趣味で自作した、ろうけつ藍染めのハンカチをいつも愛用している。
 空に添えた牧水の「白鳥は悲しからずや」や達治の「かえる日もなきいにしえを」の詩が醸し出す何ともいえない青色の心を楽しんでいる。


還暦を迎えて

2006-04-03 | 日々の生活
 私は今日4月3日、満60才を迎えた。還暦である。
(夕食時に、家族でささやかな誕生祝いをしてもらうことになった。
 妻とは同じ歳であり、還暦のお祝いは時期を見て、二人一緒にと子供たちにお願いした。)

 楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、笑ったこと、泣いたこと、感激したこと、ガッカリしたこと、数限りないその時その時の思いを抱きながら六十年が過ぎ去った。
 実は自分は3年前に死んだと思っている。手術後生死をさまよい一度はあきらめた命が救われた。だから誕生日は2つある。自分の中では退院の日を新しい誕生日と決めた。
 今日、昔の誕生日も一回り巡り生まれたときの干支に戻った。ここでもう一度生まれ変わって、新しい意識で新しい人生を出発したいと思っている。
 「終わりよければすべてよし」を目標に、悔いのない日々を過ごして行きたいと思っている。
      感涙の 喜び新た 還暦祝う

今年の年賀状に添えた散文

『 もう一度生まれ変われるならば、
   画家になって、自然の風景を描きたい
  もう一度生まれ変われるならば、
   詩人になって、美しい心を詠いたい
  もう一度生まれ変われるならば、
   蝶になって、山のお花畑を舞ってみたい
  もう一度生まれ変われるならば、
   渡り鳥になって、大空を旅したい
 
  もう一度生まれ変わって
   これまで出来なかった生き方をしたい
  もう一度生まれ変わって
   本当の生き方を求めたい       』

他愛もなく一日が暮れる

2006-04-02 | 日々の生活
 今日(3/31)は終日、窓ぎわでロッキングチェアーに揺られながら読書していた。ウメのつぼみが膨らみ始めたのに、外は季節はずれの吹雪だ。庭の木々は幹の片側だけが真っ白くなり、寒々と立ち、一幅の絵を見るように美しかった。
 いつしか眠気に誘われ、手にした本が床にコトンと落ちた。肌寒さを覚え膝掛けを伸ばした足に掛けた。いつか眠りに落ちたが、林の木漏れ日が明るく、ぼんやり開けた目に風がながれ雪が舞っていた。
 こうして他愛もなく一日が暮れていく。そして冬から春へと四季が巡り年が過ぎていく。ふと、そんなことを考えながら、色即是空は本当に真実なのだと思った。
 ある日ある時に、そんなことを考える自分があった事実も、吹雪に立つ木々も、積もった雪が解けてなくなるように、何もかもが空しく、なくなってしまうのか。
ようやく巡った春の季節に、何かはかない思いに駆られた。