エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

手作りの花束

2007-08-09 | 日々の生活
 
先日結婚した息子の嫁さんから、初めてその花束をいただいたのが今年の1月、結納を控えた頃だった。お母さんが趣味で造られた紙粘土の花束だった。初めて見た作品のすばらしさに驚き感心した。早速、私の自作の焼き物の花瓶に飾った。


お母さんは、その粘土の花束を結婚式に準備してくださった。娘の結婚式にと、1年も前から準備して下さっていたのだ。頭が下がる思いだった。

 







写真の前撮りのとき、それぞれの衣装にあったブーケを造ってくださった。それぞれに素晴らしい花束だった。それ以上にまた驚いたのは、披露宴の花もすべてお母さん手作りのものだった。主賓の花婿、花嫁のテーブルには、それはそれは豪華な真っ白なユリ、カラー、黄色いバラ、カスミソウがデザインされた花篭が置かれていた。また、約80人の招待客の各テーブルにも数個ずつのいろいろデザインされた花束が飾られた。

 宴の中で抽選があり、当たった方が持ち帰った。私の親類の席には合計6個の素晴らしい作品が置かれ、当たった従兄弟や姉たちは大喜びだった。妻に当たったアジサイも色合いが美しく本当に素晴らしい作品だった。また、フィナーレでいただいた新郎、新婦からの花束も、お母さん手作りの豪華な花束だ。



 今我が家にはお母さん手作りの思い出の花束が美しく咲いている。ピアノの上には主賓席に飾られた花かごが飾ってある。
 生花は写真に残るだけだが、半永久に残る真心こもった花束を有難く感謝の気持ちでいっぱいである。これら沢山の美しい花束を造ってくださったお母さんに感謝の念を忘れない。お母さんの造っている時の気持ちを思った。

 しばらくいただいた花束を楽しみながら、結婚式の余韻に浸っている。





盛夏の庭

2007-08-08 | 自然観察
              【アシグロツユムシに再会】

 昨夜は遅くまで雲の夜空に閃光が走り、雷がとどろいていた。雨の上がった、夏の一日の始まりだ。
 鮮やかな黄色のキクイモモドキの花に、今年もちっちゃなアシグロツユムシの幼虫が止まっていた。いつの年も繰り返す自然の営みを思わされた。アシグロツユムシは緑の身体に黒いまだらがあり、足の関節部分が黒いのですぐに同定できる。雨が降れば花の下で雨宿り、いつも同じ場所で休んでいる。バラの枯れた葉をさかんに食べていた。数日前まで数㎜の黒かった身体が、もう体長1cmくらい、緑色に黒い斑がきれいだ。愛おしい虫だ。
脱皮したばかりだからか、ずいぶん紅い色をしたショウリョウバッタがアジサイの葉の上で休んでいた。
【バラの花の上で】

  

 木槿が次々に咲き出した。白、ピンク、八重とそれぞれに何となく謙虚に美しく咲いている。花はタチアオイによく似ていると思う。サルスベリも真夏の青空をバックに咲き出した。例年より遅い気がするが、ようやくヤブランがきれいに紫の花を付け始めた。雨に濡れたギボウシも趣があるものだ。庭のあちこちにアブラ、ニイニイゼミの抜け殻を見つけた。桑の葉裏にはまだキボシカミキリが長い触角をさかんに動かし活動していた。ヒメウラナミジャノメが日陰をちょんちょんと飛んでいた。

 

 今盛夏、遅かった梅雨明けを取り戻すように連日猛暑である。午後は一転にわかにかきけむり、昨日は雷雨だ。梅干しの天日干しも、午後の天気には気を払いながらだ。

 まだ、秋立つを感じないが、この夏もつかの間に過ぎてしまいそうだ。

広島 原爆記念の日

2007-08-06 | 日々の生活
          【慰霊碑に手を合わせる人たち(広島市の平和記念公園):ネットより】

 少しけだるい夏の朝の始まりだ。朝から強い日差しが照りつける。
散歩から戻り朝食。もぎたてのミニトマト30個あまり。ナスの漬物、茹でたトウモロコシ、焼鮭、茗荷とナス、ジャガイモのみそ汁。いつも新鮮な季節の和食をいただいた。当たり前の平和がここにある。

 8月6日。今日は広島の原爆記念の日。 8時15分、孫たちの無邪気なかわいい会話を聞きながら1分間の黙祷をした。平和と共に、自分の日々の健康を願った。

 ラジオで広島市長による平和宣言を聞く。当時の悲惨な惨状が読み上げられた。どんなにか悲惨であったろうか。そして、核兵器廃絶を訴える気持ちを再確認した。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」そのために、我々が何を為すべきか。続いて小学生の「平和への誓い」。62年前すべてを失った中で、生きる希望が今の平和な時代を作ってきた。恐ろしい悲しい体験を未来へ伝えて行くことが使命だと述べた。
 総理大臣の言葉は、政府の施策を思う時、何か薄っぺらな表面的な言葉に聞こえた。政府の、消極的な核廃絶への姿勢、平和憲法の改悪を進める心の内が分からない。首相のどんなに美しい美辞も空言に感じてしまう。平和憲法を変えようとする愚かな思想が分からない。

庭で、思いついたようにミンミンゼミが鳴き始めた。平和への願いを力の限りの訴えるかのように。

8月の日曜日

2007-08-05 | 日々の生活
 
 少し早すぎるのでは? 今朝5時半に4,5連発の花火が鳴った。居合わせ団地のお祭りのようだ。少し前に東山の山の端から太陽が昇り、会津盆地を照らし始めた。今日も暑くなりそうな予感がした。

 いつもより早く犬の散歩に出た。ときどき犬の気持ちにまかせてコースを変える。
 今朝は妙国寺へ突き当たり左へ、山門の前を通り飯盛山方面へ500mほど遠回りをした。



 宝光山妙国寺は白虎隊士が仮埋葬されたお寺、また、会津藩主松平容保が降伏、父子が一カ月間謹慎した寺でもある。
 今朝も「白虎隊士の霊」の石碑に生花が供えられていた。案内文には、飯盛山で自刃した白虎隊士の遺体が野ざらしになっているのを哀れみ、滝沢村の吉田伊惣治が西軍の目を盗んで最初に埋葬したとある。



 寺の前を通るとき、いつも山門脇の案内板を読んでいる。何度読んだか知れない。特に開祖日什上人が会津へ戻って改宗したのが58歳、入寂までの20年間の精力的な仕事に啓発されていた。6時に住職が突く鐘の音が響いた。

 大きな農家の間を通って墓料の畑にでた。何人かが畑仕事をしている。もう85歳になる小柄なYさんは驚くほどしっかりしている。ひとしきり立ち話。穫りたてのナスをたくさんいただいた。いつも遠慮しているが、ときどきは季節の野菜を感謝しながらいただいている。
 
 日曜日だけは孫から解放される。今日は孫たち一家はいわきの水族館へ行った。
 昼前にトンボ池方面へちょっと自然を見に、妻とドライブ。炎天下で写真を撮る間、妻はエアコンの効いた車で待っていた。しばらくすると日傘をさして様子をうかがいに出てきた。
 ジャノメチョウが出始めていた。ミドリヒョウモンが草むらに見え隠れし、かなり羽の傷んだウラギンヒョウモンがオニユリに止まっていた。キイトトンボが連結して産卵していた。
 
 今日も一日暑かった。夜7時過ぎ、居合で花火が始まった。1200発と聞いていた。
刹那的な花火を私はあまり好きではないが、この花火だけはしっかり楽しんでいる。
 毎年8月の第1日曜日の打ち上げ花火は、我が家の2階の特等席ですべてを見ることができる。直線距離で1㎞ほど、今年も障害物がないきれいな花火を楽しんだ。

生かされてあることの不思議

2007-08-04 | 日々の生活
               【磐梯 黎明 :書斎の窓から】
  
 夜が白々と明け、朝靄に黒い磐梯山がぼんやりと浮かんでいた。
もう20数年、この部屋で寝起きしたことがなかった。昨晩、久しぶりにかつての自分の空間で休んだ。新築のころ、我が家の2階の北東の部屋が私の「男の隠れ家」だった。日々、磐梯山を眺めて生活した若い頃が浮かんできた。

 5時過ぎに、東の松長の山の端から日が昇った。まだ静かに眠っている街にツバメが舞っていた。スズメのさえずりが、新しい画用紙に筆を置くように聞こえてきた。なぜか、ひんやりした夏の朝から日中の暑さが予見できる。

静かに天井を眺め、壁の磐梯の布絵を眺めながら、あらためて生きていることの不思議を思った。有り難さが込み上げてきた。
あと何年、健康に気をつけ、日々を健やかに過ごせるだろうか。身体の心配しながらも一日一日を大切に生きることを誓う。腕を見つめ、こんなに盛り上がった血の管を見つめていると涙があふれた。そして生かされていることの不思議がありがたく思えた。

 嗚呼!、黎明の磐梯麗し。


佇みし今日も墓前に父と母

2007-08-02 | 日々の生活

 我が家の、一族一統の盆の墓参りは、今日8/2である。いつの頃からなのだろうか。おそらく江戸時代から続いているのだろう。
 年に一度、普段はあまり往き来のない近くの親類だが、線香の煙る中、互いの健康を確認し近況を話し合う。一族の縁者が集まるお盆の墓参りだ。

 私が、他所にいた本家である父の名代でこの墓参りに参加したのは、私が若松に戻った頃からで、もう30年になる。お城の南にある墓地に、毎年8月2日の午後4時に参集することになっている。お寺さんを呼び、読経をあげてもらう。かろう塔の左右に並ぶ墓石を参列者が列を作って巡り、手を合わせる。
 今日の墓参りには、久しぶりに息子夫婦も結婚の挨拶を兼ねて参加した。数えたら総勢18人いた。長い年月同じことが繰り返されてきたが、不思議とこの日は雨に合うことはなかった。今日も梅雨明け初日、炎天下だったがお墓は高い木の林の中、涼しい風が吹いていた。

 年ごとの墓参り当番は、お寺さんとの連絡や供養料の集金、お供えや花や線香の準備をする。広い墓所の掃除が一番大変、墓参り前の日曜日に、なるべく協力して墓の掃除をする約束になっているが、最近はみんなが歳を取って大変になってきた。いつもは妻と二人で何回かに分けて掃除をしていたが、今年は体調も悪く、用事も重なって当番任せにしてしまった。
 
 私の父や母は「千の風になって あの大きな空を吹きわたって」はいない。彼岸や盆に限らず、近くを通った時には墓前に佇み近況を報告している。
 父が逝き19年、母が逝って4年になる。この歳になってときどき、父に母に会いたいと思うことがある。
    佇みし今日も墓前に父と母
    
8月は重厚な月に思える。先祖を思う。家を思う。戦争を考え、平和を思う。

真夏のトンボ池

2007-08-01 | 昆虫
            【クロイトトンボ:成熟した♂】

 昼前のニュースで、関東甲信地方の梅雨明けが報じられた。
会津も今朝から快晴、久々にぎらぎら夏の太陽が照りつけ、今日の最高気温は32℃の予報だ。

 午前11時から12時半にかけて、トンボ池を見に行ってきた。いつものコースは家から約10㎞、途中高原の小さな湿原を覗く。ヌマトラノオ、ミソハギの間からぽつりぽつりとオニユリが顔を出していた。蝶はミドリヒョウモン、ツバメシジミ、モンキチョウ、キタテハ、キアゲハくらいか、種類も数も少ない。

林道はオニヤンマがスイスイ飛んでいる。途中の峠道、気づくと沿道の草がきれいに苅られていた。いつもそこを通るとオオルリシジミを思い出す、わずかばかり生えていたクララもすっかり切られてしまった。もう絶滅して半世紀は経つのだろう。食草のクララだけが所々に見られ、切ない思いだ。

 池も真夏の正午、トンボも少なかった。スイレンにはクロイトトンボやオオイトトンボがあそび、池の畔をキイトトンボが独特のリズムを取りながらスイスイ飛んでいた。なかなか止まってくれない。池の上をギンヤンマが気忙しく雄壮に飛び回り、近づくショウジョウトンボを追いかけたりしていた。

 池畔の林では、普通朝晩に鳴くヒグラシが真っ昼間に合唱である。近くのエゴノキでニイニイゼミが手の届くところで鳴いていた。



 しばらく日陰で吹きくる爽やかな風に打たれた。遙かに夏の磐梯が雄大に見えた。明らかに8月を感じた。