都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
アメリカ大陸は、ご存知のように1492年クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo、英: Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)により発見されました。しかし、アメリカ大陸の名前はアメリゴ・ヴェスプッチに由来します。何処でコロンブスの名前が消えてしまったのでしょう。
アメリゴ・ヴェスプッチ (Amerigo Vespucci, 1454年3月9日 - 1512年2月22日) は、アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして商人、フィレンツェ生まれです。
アメリゴ・ヴェスプッチは1497年 - 1504年の間に、4度、新大陸へ航海しました。コロンブスを始めとするヨーロッパ人がアメリカ大陸を東アジアであると考えたのに対し、ヴェスプッチはアジアとは別の大陸だと言ったのです。すなわち(ヨーロッパから見て)新大陸であると主張したのです。
一方、コロンブスは1506年5月20日スペインのバリャドリッドにて死去しました。その遺骨はスペイン南部のセビリアの修道院に納められたが1542年に西インド諸島のドミニカ共和国の首都サントドミンゴの大聖堂に移されました。
サントドミンゴ大聖堂の地下にあるコロンブスの墓碑銘には「輝く、有名な紳士、ドン・クリストバル・コロン」と書かれているそうです。
コロンブスは、出身地とされているイタリアではCristoforo Colombo (クリストーフォロ・コロンボ)、スペインでは、Cristóbal Colón(クリストーバル・コロン)と呼ばれているそうです。
コロンブスの死後、ドイツの地理学者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーが手がけた1507年の「世界地誌概説」において、南米大陸の「発見者」としてコロンブスではなく、アメリゴ・ヴェスプッチの名前が記されてしまったのです。
これは、商人であり自己アピールに長けた彼のラテン語名アメリクス・ウェスプキウス (Americus Vespucius) の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付けられたそうです。
この結果、ヨーロッパでは「新大陸」全域を指す言葉として「コロンビア」ではなく「アメリカ」が使われるようになったのです。
コロンブスは新大陸ではなくインドにまで到達したと間違って主張していた為に、ずいぶんと損をした事となりました。アメリゴ・ヴェスプッチの名前が北米・南米の二つの大陸に名をのこしたのに対して、コロンブスの名前は、オハイオ州の州都コロンバスにしか残っていないのです
自己アピールが以下に大切であるか、考えさせられます。
したっけ。