都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
2010/10/27「忠犬ハチ公の意外な死因」についての記事を書きましたが、今朝の新聞に死因が発表されましたので訂正いたします。
~飼い主が死亡した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬ハチ公」として知られる秋田犬ハチが、肺と心臓に重篤ながんを患っていたと、東京大の研究チームが1日、発表した。~
したっけ。
この言葉、最近間違って使われるケースが見られます。
「知らぬが仏」はいい意味ではありません。つまり、「知らないのは良い事」などではなく、「知らないのは馬鹿だ」という意味なのです。
知(し)らぬが仏(ほとけ)
知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語。
大辞泉
でも、本当にそうでしょうか。
しらぬがほとけ・・・・
俗言は「知らねば仏、見ぬが秘事」というように続きます。ものごとはすべて、真実や真相を知らなければならないということはありません。本人に知らせない方がよい場合もありますから、周囲の人が詮索などしない方が万事うまくいくということがあるという意味です。
「馬鹿だねー、アイツ。後からさめが来ているのも知らないで、遊んでいるよ。」
「真実や真理を追求したり、もののごとの真相、場合によっては事件の真犯人を突き止めたりすることが重要であると同時に、その答ができたときに、だれもがすべてを知らなければならないということはなく、本人にも知らせなくてよい秘めごともある」ということです。
本人に知らせないということを、罪悪のようにとり、「本人をコケにすること」と解する考えもあるでしょう。
しかし、結果的に本人のためになるならば、口をつぐんでしまうことが、よいということを平易な言葉で言い表したものとも思えます。
言葉は、本来の意味が失われ、独り歩きすることが良くあります。
「全然、知ってるよ。」 よく聞きます。「全然」は否定を伴う言葉に使われる副詞です。本来なら、 「全然、知らないよ。」 となるのが当然です。しかし、今は単なる強調でしかありません。言葉は生きています。
したっけ。