都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

日本が西洋に広く知られるようになったのは、世界中を旅した冒険家マルコ・ポーロが、日本のことを著書『東方見聞録』で「黄金の国Zipangu」としてヨーロッパに紹介したというのは皆さんご存知のことだと思います。マルコ・ポーロは実際に日本に来たわけではなく、中国(元の時代)の人のから日本のことを伝え聞いたに過ぎません。当然国名は中国語読みだったわけです。しかし、「Zipangu」と「にほん」では、かなりの隔たりがあります。
今から700年も前のことで、しかも元はモンゴル系の国なので、マルコ・ポーロの聞いた発音は「にほん」とは違っただろうと思われますが、いずれにしても「Zipangu」に近いものだったのでしょう。
マルコ・ポーロが日本の国名を聞いたという中国では、日本をなんと呼んでいたのだろう。これには諸説あり、また、時代や地域によっても異なる。たとえば単に日本を中国語で発音した「リーベン」または「ジーベン」と呼んでいた時代もある。また、「ジッポン」あるいは「ジッパン」と呼んでいた時代もあるという。
また、福建(ふっけん)語で「ジペンクオ」(他にも「ジップン」と発音するなどの説もあります)といったのを、「Zipangu/ジパング」と勘違いしてそのまま書いてしまったともいわれています。
さらに広東語など中国南部では「ヤップン」と呼んでいたという。
「Japan」はこの「Zipangu」に由来することは容易に想像できます。そこから生まれたのが「Japan」という英語表記なのです。
現在、中国の標準語(北京で使われている中国語)では「日本」は「Rì Běn/リーベン」と発音されます。
因みにマルコ・ポーロはイタリア(ヴェネチア)の人ですが、現在はイタリア語では日本のことを「Giappone(ジャポン)」と言います。
「Japan」の由来が分かると、今度はなぜ「中国」は「China(チャイナ)」なのか、という疑問が湧いてきます。当然中国は日本より以前から西洋に知られていたわけで、その名は紀元前の国名「秦(中国統一B.C.221-B.C.206)」に由来します。フランス語では「Chine」と綴って「シン」と発音します。
「China(チャイナ)」とは「秦」のことだったのです。シナ」という俗称もここから来ていて、「シナ」の東の海が「東シナ海」、「インド」と「シナ」の間にある地域が「インドシナ」というわけです。
因みに、中國は中国語では「Zhòng Guó/チュンゴウ」と発音されるそうです。
尚、マルコ・ポーロの『東方見聞録』は、以下のように伝えているそうです。
「ジパングは、カタイ(中国大陸)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国である。莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。人々は偶像崇拝者で外見がよく、礼儀正しいが、人肉を食べる習慣がある。」
キンキラキンで、礼儀正しく人肉を食べる?何てこった・・・。
したっけ。