団塊オヤジの短編小説goo

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「モルモットの語源」について考える

2011-03-30 09:25:06 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

モルモットの野生種は南米のコロンビア・ペルー・チリの山岳地に生息していました。現在のモルモットよりも小さく、鼻がとがっていたそうです。

 それを3000年ほど昔、ペルーに住んでいるインンディアン食料用に家畜にしたのが始まりだといわれています。かつてはアンデス高地の先住民によって祝い事の際のみに供されるご馳走だったが、1960年代から日常的にも食べられるようになったそうです。ペルーでは、年間6500万匹のモルモットが消費されているようです。

 1 1500年代(16世紀)にオランダ・スペイン人の船員によってヨーロッパへ持ちこまれました。

ヨーロッパには1600年代にドイツ兵により普及しました。その後1770年代にペットなどとしてアメリカへ渡ります。1780年にフランスの科学者ラヴォアジェ(Lavoisier)発熱実験に実験動物として使用し、その後にペットとして飼育されるようになったそうです。

英語では「guinea pig(ギニアピッグ)」もしくは「cavy(ケイビィ)」と言うそうです。

「ギニアピッグ」の由来は、イギリスに初めてモルモットが伝わった時、アフリカ経由の船からだったため、漠然とアフリカを指す「ギニア」から来た子豚に似た動物ということらしいのです。

当時ヨーロッパではギニアはコーヒー豆等の輸入品で知られた国名であり、遠方から輸入されたモルモットもギニアからきたと思われたといわれています。短くてずんぐりした体はブタのようにも見え、肉の味がブタ肉に似ていることもその名前の由来であるともいわれています。

cavy(ケイビィ)」の由来はよく分からないそうですが、南アメリカのアンデス地方ではクイ(cuy)、クイェ(cuye)またはクリ(curí)などと呼んでいることが関係しているかもしれません。

 日本へは江戸時代:天保14年(1843年)にオランダ船によって、長崎に持ちこまれました。 そして上流階級のペットとして飼われていたようです。

 明治時代に入ると一般にも広まるようになり、この頃から日本でも実験動物として使用されるようになったそうです。

「ギニアピッグ」のことを日本では「モルモット」と言います。日本に「モルモット」が伝わった時に、これも誤解から生まれた言葉のようです。今ではすっかり定着しています。もちろん、日本独自の言い方なので海外では通じないそうです。

Photo_3 オランダ船で「モルモット」が日本に渡ったとき、日本側の通訳に「マーモット (marmot)」と紹介されました。当時のオランダではリス科の「マーモット」も「ギニアピッグ」も俗称としてマーモットと言っていたようです。これを日本語では「マルモット」としたのですが、その後に誤って「モルモット」になってしまったようです。

マーモット【marmot

リス科マーモット属の哺乳類の総称。ウサギ大でずんぐりし、褐色。日中活動する。地中や岩の間などに巣を作り、その出入り口に後肢で立ち、たたずむ習性がある。タルバガンや北アメリカのウッドチャックなど。

大辞泉

Photo_2 これには、御用絵師が絵を描いた時、「モルモット」と間違えて書き添えてしまい、気がついた時にはその絵が既に幕府に渡り、訂正できなかったのだといわれています。

「モルモット」と言う名が、広まった一方で、明治時代になると動物学会により、動物の「和名統一」が始まります。その時に「天竺鼠(テンジクネズミ)」とされました。これは「モルモット」のドイツ語の名称「メールシュヴァインヒェン」(Meerschweinchen)の意味、「海を越えて来たブタ」、「海の小さなブタ」)を意味し、新大陸を経由する航海中に新鮮な肉を食べられるように、モルモットが船に積み込まれていたことに由来するそうです。

これを元にして、日本にあてはめると、海の向こうの遠い国の代表としてテンジク(インド:天竺)が選ばれてしまったということらしいのです。インドとモルモットは無関係なのですが・・・。

Photo 

したっけ。



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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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