都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
慶長8年(1603年)、徳川家康が江戸に幕府を決めたときの人口は約2000人といわれています。それが、天明7年(1787年)には、128万5300人と爆発的に人口が増加しています。
この人たちは、もちろん日本全国からやってきた人たちで、もとをただせば、殆どの江戸っ子が地方出身者なのです。
何故、このように江戸に人口が集中したのでしょう。当時は地上権もなくタダで土地をくれたのです。そのうえ、基本的には無税だったのです。所得税も市民税も事業税も消費税もありません。あるのは、「冥加金(みょうがきん)」といって、町人の組合組織を対象にした、「商売をさせていただくお礼金」程度のものでした。
みょうが‐きん〔ミヤウガ‐〕【×冥加金】
江戸時代の雑税の一。商工業者などが営業免許や利権を得た代償として、利益の一部を幕府または領主に納めたもの。のちには、一定の率で課されることが多くなった。冥加銭。
大辞泉
当時、農村の人口が増えたため、その解決策として、次男、三男に限り、身元引受人さえいれば移住を制限されなかったのです。地方を出るとき名主に、「耕作に耐える土地なきために、江戸出稼ぎ、何処の誰々」と書いた鑑札さえもらえば、関所を通ることが出来たのです。
ただし、これは次男、三男以下に限られ、長男は絶対に移住できませんでした。これは幕府が農村の生産力が落ちるのを警戒したためなのです。
江戸に入れば、原則として幕府は市民の江戸定住を奨励していて、出稼ぎも、定住者も差別はありません。
しかし、いちおう、初めは江戸へ出稼ぎと言うこと出来たわけですから、3代続けて定住したら江戸っ子として認められる仕組みになっていたわけです。
そこで、「ちゃきちゃきの江戸っ子」ですが、「ちゃきちゃき」は「ちゃくちゃく」が訛ったものです。漢字でかくと「嫡嫡」となります。
嫡は嫡子という言葉もあるように血筋が正しいという意味です。それを二つ続けて正統で生粋の江戸っ子という意味になっています。
ここから『生粋』や『正統』、『本場』といった意味も込められるようになったのだそうです。
したっけ。