団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
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「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
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「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「道産子(どさんこ)」について考える

2011-03-07 09:10:28 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

   日本には、古くから生息している和種馬と呼ばれる馬が生息しています。

北海道には、道産子と言う和種馬が存在しています。馬体も小型(体高125-135cm)で性格は、温厚で力持ちです。「どさんこ(道産子)」は正式には「北海道和種馬」といい、北海道開拓の昔から活躍した馬です。

 道外の人は道産子馬というと、「ばんえい競馬」で用いられる「ばん馬」だと誤解している人が多いと聞きます。ばんえい競馬では、体重が重い、ペルシュロン種、ブルトン種、ベルジャン種といった、体重が1トンにもなる重種馬を用いています。サラブレッドの2倍近くにもあります。道産子馬ではありません。道産子は小さな馬です。

道産子は北海道和種馬のことです。江戸時代中期に松前藩藩士が連れてきた南部馬が、北海道の原野で自然繁殖した日本在来種なにです。原野を走り回る強靱(きょうじん)な体力、長い胴体と太く短い脚による安定性の良さに加え、200kgもの荷を積んで急斜面の山道を上り下りできる能力があります。

Photo_3駄載(だんづけ)」と呼ばれる荷役運搬用の馬も過去には多く活躍していました。自体重「平均400kg」程の荷物を積んで人間と共存して来ました。

江戸時代には、四頭が列を作り各地に物資を運搬していました。親馬に曳かれて仔馬も荷役運搬に一役買っています。北海道開拓の昔から活躍した馬です。

近年では、山間の送電線建設にも大きく貢献していましたが、現在では、その役もヘリコプターに変わり駄載の活躍する場も失われています。

「函館だんづけ保存会(北海道函館市)では、駄載の保存運動を展開しています。

北海道では、函館近郊にしか残されていない大切な馬の文化です。これから、セラピー馬・トレッキングなどの活躍が期待されています。

Photo_4 北海道の厳しい自然の中粗食に耐え、足腰もとても丈夫です。また、体高が低いので人が乗り降りすることも簡単です。

道産子は「地道(じみち)」と呼ばれる側対歩(同じ側面の前後肢が同時に前に出る)で歩くため、他種の馬と違い上下のゆれが少なく、長時間乗っていても疲れません。

 次の世代に引き継ぎたい有形・無形の財産の中から北海道民全体の宝物として「北海道遺産」の選定が2001年と2004年に行われ、現在52件が登録されているそうです。いずれも重要なものばかりで、「北海道の馬文化」も北海道遺産として選定されています。農耕馬として活躍したばん馬や日高地方のサラブレッドは有名だが、北海道和種馬としての「道産子馬」が意外に知られていないのは残念です。

Cgd4 数ある馬の中で、一番優しそうな顔をしているのが、この道産子馬ではないかと思います。丸い顔に優しい目。親しみを感じる愛嬌のある顔なのです。

北海道の開拓史には、欠かすことの出来ない「道産子馬」も、いまはその数を減らしています。

 北海道人を「道産子」と呼ぶのは、この「道産子馬」に由来しているのです。

★おまけ★

 日本の武士は流鏑馬・犬追物など馬からの弓矢の腕を訓練し、戦場では馬上で矢をつがえ、敵を倒す。その場合、上下動が少なくて命中率の高い側対歩の馬でなければ難しかったのです。日本の在来種の馬は『側対歩』であったからできた技ともいえます。映画やTVで見るとアラブ種の斜対歩の馬に乗っているが、実際武士たちはもう少し背の低い在来種で側対歩の馬に乗っていたのです。

源義経一の谷の戦いの鵯越(ひよどりごえ)の坂落しで愛馬を背負った武将畠山重忠の話

Photo_2 「子供が親の世話になる場合もあれば、親が子の世話になる場合もある。ひとつ馬をいたわってやろう」と言って、四尺七寸(約1.42メートル)以上ある大きな馬を、手綱や鞍をつけるための腹帯で十文字にひきかけられ、鎧の上に背負って斜面を下りたと言います。

これも在来種の馬が小さかったからこそ出来た話なのです。(言うことが・・・、古いね~)

Photo

したっけ。

コメント (10)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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