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団塊オヤジの短編小説goo

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「女王卑弥呼にはどうして『卑』がつくのか」

2011-08-11 09:04:31 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

 日本の古代史に登場する「卑弥呼(ひみこ)」といえば、邪馬台国(やまたいこく)の女王として君臨した日本最初の女帝ということになっています。では何故、女帝の名前に「卑」という文字が使われているのでしょう。

 Photo_2 これは、もともと日本では、太陽や燃える火を「ヒ」というように、尊いもの、輝かしいものを表す音が「ヒ」だったからだといわれています。

 また、「卑弥呼」の「弥呼」は、もともと「人」という意味だったそうです。つまり、「卑弥呼」とは、「尊い人」ということなのです。

 「卑弥呼」は固有名詞ではなく、「総理大臣」と同じような一般名詞ではなかったのかという説もあるそうです。

 いずれにせよ、「卑」は必ずしも卑(いや)しいことではなかったようです。

卑弥呼(ひみこ、170年頃 - 248年頃)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。後継には親族の壹與が女王に即位したとされる。

本来の表記は「卑(上部の「ノ」が無い)彌呼」だそうです。

「魏志倭人伝」

卑彌呼 事鬼道 能惑衆

年已長大 無夫壻

有男弟佐治國

自爲王以來 少有見者

唯有男子一人給飮食 傳辭出入

居處宮室樓觀 城柵嚴設

卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩

狥葬者奴碑百餘人

卑弥呼は鬼道(妖術)で衆を惑わしていた

既に年長大であったが夫を持たず

弟がいて彼女を助けていた

王となってから後は、彼女を見た者は少なく

ただ一人の男子だけが飲食を給仕し、彼女のもとに出入りをしていた

宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた

卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、

百余人を殉葬した

このような記述から、卑弥呼は邪馬台国の象徴としての存在で あり、日の巫女として神託を啓示するシャーマンとしての強大な存在であったとする説もあります。

「天照大神」は卑弥呼がモデルであるという説もあります。

Photo

したっけ。

コメント (8)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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