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「いなり寿司」について考える

2011-08-19 10:19:26 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

いなり寿司」の発祥は、愛知県豊川市にある豊川稲荷の門前町で、1830年~1844年の「天保の大飢饉」の頃に考えられたといわれ、その背景には、稲荷神に供えられていた油揚げにまで手を出さず入られなかったという理由があったのです。

この地域は、もともと痩せた土地で稲作には向かなかったようです。そこで、そんな土地でも育つ大豆を作っていたそうです。

お米が取れませんからオカラ(大豆カス)を中に詰めていたそうです。その後、灌漑などにより稲作ができるようになり、感謝をこめて酢飯を詰めるようになったそうです。

甘辛く煮た油揚げの中に、酢飯を詰めた「いなり寿司」は、なぜこんな名前なのでしょうか。なぜ「いなり」と呼ぶのでしょうか。

Photo_2 「いなり」といわれて思い浮かべるのは、お稲荷様をまつった祠(ほこら)などに、よく油揚げが供えられている風景ではないでしょうか。お稲荷様といえば、キツネが使いの神です。そのキツネの好物が油揚げだからそれをお供えする。まるで連想ゲームのようです。

そもそもこの連想は、誤解の連続の上に成り立っているようです。稲荷はもともと「稲生り」で、お米が出来ることを司る神様でした。この神様のことを別名「御食津神(みけつかみ)」と言って、「みき(酒)」と「けつ(食べ物)」が合体した言葉だそうです。

この「みけつかみ」を、「三狐神(みけつかみ)」という風に、こじつけたために、いつの間にか、キツネはお稲荷様のお使いという伝説が出来上がってしまったのです。

ここにさらに、キツネは油揚げが好きという、もう一つの誤解が加わって、お稲荷様に油揚げを供えるという風習が完成しました。

いなりの語源は「稲荷」ではなく「稲生り」で、お米が出来ることを司る神様の事だったそうです。キツネは関係なかったのです。

Photo_3 そもそも肉食のキツネが油揚げを好むというのは、根拠のない話で、油揚げが、おいしそうなキツネ色をしていたことからきた、単純な連想ではないかと言われています

「いなり寿司」の語源も諸説あって、油揚げが稲荷神の使いであるキツネの好物とされたことに由来するとする説。

また、稲の神様である稲荷神のお供え物として、「稲荷(いなに)」として米俵を象徴した物が「稲荷(いなり)」に転訛し「いなり寿司」と呼ばれ、ここから逆に狐の好物が油揚げとなったと考える説などがあります。

Photo

したっけ。

コメント (14)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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