都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「いなり寿司」の発祥は、愛知県豊川市にある豊川稲荷の門前町で、1830年~1844年の「天保の大飢饉」の頃に考えられたといわれ、その背景には、稲荷神に供えられていた油揚げにまで手を出さず入られなかったという理由があったのです。
この地域は、もともと痩せた土地で稲作には向かなかったようです。そこで、そんな土地でも育つ大豆を作っていたそうです。
お米が取れませんからオカラ(大豆カス)を中に詰めていたそうです。その後、灌漑などにより稲作ができるようになり、感謝をこめて酢飯を詰めるようになったそうです。
甘辛く煮た油揚げの中に、酢飯を詰めた「いなり寿司」は、なぜこんな名前なのでしょうか。なぜ「いなり」と呼ぶのでしょうか。
「いなり」といわれて思い浮かべるのは、お稲荷様をまつった祠(ほこら)などに、よく油揚げが供えられている風景ではないでしょうか。お稲荷様といえば、キツネが使いの神です。そのキツネの好物が油揚げだからそれをお供えする。まるで連想ゲームのようです。
そもそもこの連想は、誤解の連続の上に成り立っているようです。稲荷はもともと「稲生り」で、お米が出来ることを司る神様でした。この神様のことを別名「御食津神(みけつかみ)」と言って、「みき(酒)」と「けつ(食べ物)」が合体した言葉だそうです。
この「みけつかみ」を、「三狐神(みけつかみ)」という風に、こじつけたために、いつの間にか、キツネはお稲荷様のお使いという伝説が出来上がってしまったのです。
ここにさらに、キツネは油揚げが好きという、もう一つの誤解が加わって、お稲荷様に油揚げを供えるという風習が完成しました。
いなりの語源は「稲荷」ではなく「稲生り」で、お米が出来ることを司る神様の事だったそうです。キツネは関係なかったのです。
そもそも肉食のキツネが油揚げを好むというのは、根拠のない話で、油揚げが、おいしそうなキツネ色をしていたことからきた、単純な連想ではないかと言われています
「いなり寿司」の語源も諸説あって、油揚げが稲荷神の使いであるキツネの好物とされたことに由来するとする説。
また、稲の神様である稲荷神のお供え物として、「稲荷(いなに)」として米俵を象徴した物が「稲荷(いなり)」に転訛し「いなり寿司」と呼ばれ、ここから逆に狐の好物が油揚げとなったと考える説などがあります。
したっけ。