都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
自然界は、さまざまな姿をみせます。古代の人々は、それらを単なる自然の変化とはとらえませんでした。それぞれの変化の中に何らかの意味を求めようとしたのです。
鬱蒼(うっそう)とした森や風が吹く様子にも何かが暗示されていると考えました。それが「自然に宿る神」です。自然は人間の力の及びもつかないものでした。自然は今のように身近な存在ではなく、畏敬(いけい)の存在であったのです。その代表的なものが、夜の闇に走る稲妻でした。古代人は、まさしくそこに神を感じたのでした。
稲光・稲妻の形を左右に並べた形の字が「申(しん)」です。それは天にいる神が、神の威力を現した形・姿であり、神の発するものであると考えられ、「申」は「かみ」の意味となりました。
電光の「電」の下部の「甩(しゅつ)」は、稲光が屈折して走る形を表し、屈伸を意味します。それが天にいる「神」の現れる姿と考えられました。
また稲妻は屈折しながら斜めに走るものですから、申を「のびる」という意味や「もうす」という意味にも使うようになりました。
にわかに天の様子が変わり、黒い雷雲とともに雷鳴が轟き、そして大地に向かって稲光が走り、時には大木を裂き割ります。それを古代人たちは天の神の怒りだと思ったのでしょう。
「申」は稲光の形で、「かみ」の意味があり、神のもとの形です。申が「かみ」以外の「のびる、もうす」の意味に使われるようになったので、新たに「かみ」を表す文字が必要になりました。そこで、神を祀(まつ)る時に使う祭卓(お供え物などを置く高い台)の形である「示(じ)」を加えて、「神」の字が作られました。
示す偏
Tは几(つくえ)です。両側の二条の棒は滴り落ちる血です。のち一本になった。上の横線は机の上にのせられた生贄(いけにえ)です。生贄を載せて神に供える。のち神の意となる。神事、祭事に関する部首となった。
すなわち「神」は自然の威厳を示すものであって、祖先の霊を含むことはありませんでした。しかし、のちに祖先の霊が天に昇って上帝の左右に在ると考えられるようになり、先祖の霊も神として祀られるようになりました。
人智を超えるものを「神秘(しんぴ)」といいます。
したっけ。