団塊オヤジの短編小説goo

Since 11.20.2008・時事ニュース・雑学・うんちく・豆知識・写真・動画・似顔絵師。雑学は、責任を持てません。

コメントについて

「記事に無関係なコメント、誹謗中傷等のコメントは私の判断で削除させていただきます。また、名前の記入のないときは、場合によっては削除させていただきます。ご了承くだい。楽しいコメントをお待ちしています」

都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「お遍路さんの語源」について考える

2011-10-09 10:02:17 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

空海774-835)」、後の弘法大師は「お大師さま」の名称でも親しまれています。高野山を開創者で、広く密教の教えを多くの人々に導きました。密教の宗派の一つである「真言宗」の開祖で、遍路で行われる参拝作法は密教真言宗のものを基本としているそうです。

みっ‐きょう【密教】

大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持(かじ)・祈祷(きとう)を重んじる。78世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。

大辞泉

様々な巡礼があるなかで、四国での巡礼だけが「遍路」と呼ばれるのは何故なのでしょう。そこには四国の海岸で行われていた、修行の歴史が関係しているようなのです。

最初に四国を修行する人々の様子が書かれているのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で平安時代に入ってのこと。しかし、この中では、修行者が厳しい海岸の路を歩き修行する姿が記されているだけだそうです。

彼らが何を求めて修行していたかは明記されていませんが、中で修行者たちが伊豫、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界根の国」へ渡ることを願った修行の一環ではないかと考えられています。

そして、この中で注目すべきことが、修行が行われていた「海岸沿いの道や土地」のことを「辺地(へち)」と称しているという点だそうです。

Photo_2 やがて、この修行に変化が訪れます。当時、広まりつつあった仏教の流入によって、仏教の中で海の彼方にあるとされていた「補陀落浄土(ふだらくじょうど)」、つまり「観音菩薩が住まわれる浄土」とが「根の国」と重なり。仏教の拡大と共に、「根の国」信仰と「補陀落浄土」信仰は混同していったのではないかと考えられています。神道と仏教が融合されてしまったのです。

 「梁塵秘抄(りょうじんひしょう:1169年)」の中でも海岸沿いを修行する人々が書かれていますが、室戸岬を「金剛浄土(こんごうじょうど)」の入り口と称していることから、このころまでには仏道による修行が根づいていたのではないかと考えられるそうです。また、この記載の中では、「海岸沿いの道や土地」のことを「辺路(へじ)」と称しているそうです。

その後、補陀落浄土に至るための修行は、大師信仰が四国に広まるにつれ、お大師さまを思い四国を巡る現在のような遍路に変わってゆくこととなります。その際、当初、海辺の道や土地を表す言葉「辺地」・「辺路」は、「偏禮」・「邊路」と変わりその後「遍路」と変化していきました。また、その読みも中世以降、「へち」・「へじ」から「へんろ」と変化していきます。

この変化についてはその理由を明確に示すものはないそうです。ただ、この「辺」という言葉が「端」や「外」と示すことから、験(げん)が良くないため「邊」や「遍」などが当てられ、転訛していったのではないかという説もあります。

 現代では「遍路」の一語で「四国での巡礼すること」を指す言葉として使われていますが、この原形は昔から四国にあった、海辺を修行する「土地やその道」を指す「辺地」・「辺路」が語源ではないかと考えられています。

 「辺地(へち)」・「辺路(へじ)」→「偏禮(へんれい)」・「邊路(へんろ)」→「遍路(へんろ)」

 大師は讃岐の国(香川県)の出身で、青年期には、四国の山中海岸、太龍岳、室戸岬、石鎚山などで山道修行を行うことで虚空蔵求聞持法の智恵を得たとされ、このことが四国遍路の基礎の一つとなっています。大師24歳の時に著された「三教指帰」の中に「飛焔(焼山寺)を山水(さんすい)に望み、阿波国の太龍の岳にのぼり攀(よ)じ、土佐洲の室戸岬に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す」と残した大師の若い日の足跡を、古来より大勢の修行者が巡っています。

「同行二人」という言葉があります。四国には今でもお大師さまがお遍路さんと一緒に巡っているとされています。

Photo

したっけ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

もしも、お手すきでしたら、ぽちっとお願いします^^


絵手紙ランキング