都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「檀那(だんな)」とは、梵語の「dana(ダーナ)」の音写語で、仏教用語で「施し」・「布施」の意だそうです。
「檀家」とは「壇越(だんおつ)の家」という意味です。「壇越」とは梵語の「danapati(ダーナパティ)」の音写である「檀那波底」の略であり、寺や僧を援助する庇護者の意味があります。「檀家」は特定の寺院に所属し、葬祭供養の一切をその寺に任せ、布施を払います。
例えば飛鳥時代において、蘇我氏や秦氏といった有力な氏族または一族が「壇越」となって寺院(氏寺)を建立し、仏教・諸宗派を保護しました。
ここで特に「檀家」という場合には、それまで有力者の信仰対象であった仏教が、広く社会に浸透し、氏族単位が家単位になったということです。
「檀家」という言葉自体は鎌倉時代には既に存在していたが、現在の意味合いになるのは荘園制の崩壊によって寺院の社会基盤が変化してからだそうでする。
そして江戸時代の宗教統制政策の一環として設けられた寺請制度が檀家制度の始まりなのです。
この「壇那」と「壇越」が混同され、「壇那」は仏家が中世の寺社への参詣宿泊者や「施主」「檀家」を呼ぶ語として用いられ、「お金を出してくれる人」の意味から、商家の奉公人が主人を敬っていう語になったそうです。その後、商人が得意客を、また役者や芸人がひいき筋を敬っていう語として一般に広がり「旦那」と書くようになりました。
現在は一般的に妻が夫をいう呼び名、他家の夫を敬っていう呼び名の意で用いられています。
現在でも、寺院の権限はほとんど無いにせよ、檀家制度は残っています。いわゆる葬式仏教や、檀家制度によって確立した年忌法要、定期的な墓参りは未だに日本に根付いていて、葬儀や先祖の命日法要、墓の管理を自身の家の檀那寺に委託する例は多いですね。
しかしながら、「檀家」が減っていることも事実であり、檀家制度に拠る寺院の経営は難しいものとなっているそうです。
なお、夫のことを「亭主(ていしゅ)」とも呼びますが、これは「亭」には屋敷、住居の意があり、旅館や茶店の主(あるじ)をいったことから転じたものだそうです。
したっけ。