透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「あきらめなかった男」を読む

2024-11-06 | A 読書日記


 大黒屋光太夫の漂流記は2006年に『大黒屋光太夫』吉村 昭(新潮文庫)、『大黒屋光太夫 ―帝政ロシア漂流の物語―』山下恒夫(岩波新書)を読んでいる(写真①)。


『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』小前 亨(静山社 2023年 児童書 図書館本)を読んだ(写真②)。

私が暮らす村では読書習慣を身につけ、それを大切にして欲しいという願いから、毎年ファーストブックを4か月児に、セカンドブックを1年生に、そしてサードブックを6年生にプレゼントしている。

『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』は図書館運営委員会(私も委員のひとり)がサードブックとして推薦した10冊の本の1冊。この児童書のタイトル「あきらめなかった男」が気に入って、図書館から借りて来て読んだ。

本の帯にこの本の内容が簡潔に記されているので、引く。**鎖国時代に北の孤島へ漂着。命は助かっても国へ帰れる見込みはなかった。それでも決してあきらめず、ついにロシア女帝から勲章をもらって帰国した日本人がいた。島から半島、ロシア本土、そして帝都へ― 仲間を連れて可能性を追い求めた信念の10年**

この引用文中、北の孤島とあるのはアムチトカ島、半島とはカムチャッカ半島、そして帝都とはサンクトペテルブルクのこと。

著者の小前 亨さんはあとがきにジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』の影響で、子どもの頃から漂流ものの小説が大好きだったと書いている。私も『十五少年漂流記』を小学生の時に読んだという記憶がおぼろげながらある。

『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』を読んで、生きて日本に帰るという光太夫の強い意志と仲間を励まし、まとめたリーダーシップに感銘を受けた。

光太夫は辺見じゅんさんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)に紹介されている山本幡男さんとよく似た人だなと思った。第二次世界大戦敗戦後にシベリヤに抑留された仲間を、希望を捨てることなく必ず生きて帰還するのだと励まし続けた人。決定的に違うのは光太夫は生きて日本に帰ったけれど、山本さんは病魔に襲われ、亡くなってしまったことだ。

『あきらめなかった男 大黒屋光太夫の漂流記』を希望した6年生が33人中2人いたとのこと。どんな子だろう。読後の感想が聞きたいなぁ。


 


安部公房の「密会」を読む

2024-10-31 | A 読書日記

① 
 安部公房の代表作は? と問われれば、私は『砂の女』『箱男』『密会』の3作品を挙げる。

自室の書棚に『箱男』と『密会』の単行本はあるが、残念ながら『砂の女』は無い。ネットで調べて、同じ仕様の単行本があることが分かった。欲しいな。


『密会』安部公房(新潮文庫1983年5月25日発行、1999年5月20日20刷)を読んだ。

『密会』の単行本は箱入だが、その箱に安部公房の文章が載っている(写真②)。**地獄への旅行案内を書いてみた。**が、その書き出し。

ある日の未明に突然やって来た救急車によって妻を連れ去られた男。男が妻を捜してたどり着いたのは病院だった。その病院は迷路のような空間で、構造がどうなっているのか、把握できない。そこで男が目にしたのは性的な快楽を求める男、女。変態的な光景・・・。安部公房的色情地獄。

低俗なポルノ小説と純文学との間に張り渡されたロープを安部公房は見事に渡り切った。

手元にある新潮文庫の安部公房作品を月2冊読むというノルマを達成するために、読み急いだ。23冊読み終えたら『砂の女』『箱男』『密会』をまた読み直したい。


『箱男』は**救急車のサイレンが聞こえてきた。** という一文で終わる。『密会』はある男の妻が救急車で連れ去られるところから始まるが、解説によるとそれは『箱男』の救急車らしい。


新潮文庫23冊 (戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。10月31日現在18冊読了。

新潮文庫に収録されている安部公房作品( 発行順)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月 ※1 

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月

黒文字表記の作品は5冊。次はどれを読もうかな・・・。


※1 『死に急ぐ鯨たち』は「もぐら日記」を加えて2024年8月に復刊された。


「日ソ戦争 帝国日本最後の戦い」を読む

2024-10-30 | A 読書日記


 私の読まずに死ねるか本『源氏物語(現代語訳)』を2022年に読むことができた。 他にこのような本は特にないので、これからは現代史それも第二次世界大戦の関連本を読もうと思っている。第二次世界大戦について学ぶことの意義は大きいと思うから。

先日『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』麻田雅文(中公新書2024年)を読んだ。奥付に2024年4月25日初版、2024年8月10日6版とあるから、よく読まれているのだろう。

日露戦争ではなくて、日ソ戦争? 

日ソ戦争の説明が本書のカバー折り返しにある。**日ソ戦争とは、1945年8月8日から9月上旬まで満州・朝鮮半島・南樺太・千島列島で行われた第2次世界大戦最後の全面戦争である。**(第二次世界大戦と表記することが一般的ではないかと思われるが、この文章では第2次世界大戦になっている)

千島列島が戦場だったということすら知らなかった・・・。

**一九四五年八月八日、ソ連は日本へ戦線布告した。
なぜ、ソ連は第二次世界大戦の終りになって参戦したのか。
日本はなぜこの直前まで、ソ連に期待して外交を続けていたのか。
玉音放送が流れた八月一五日以降も、なぜ日ソ両軍は戦い続けたのか。**(ⅰ)

著者の麻田雅文さんは「はじめに」でこのように本書で論ずるテーマを示し、続けて**一九四五年夏にソ連と繰り広げた戦争について、日本ではいまだに正式な名称すらない。**と指摘、本書では「日ソ戦争」としたいと書いている。

短期間だったのに、日ソ戦争の両軍兵士は、ソ連軍がおよそ185万人、日本軍も100万人を超えたという。

本書の帯から引く。**本書は新史料を駆使し、米国のソ連への参戦要請から各地での戦闘の実態、終戦までの全貌を描く。** 新史料。なるほど、巻末の参考文献リストにはロシア語の公刊史料が2ページに亘って掲載されている。

「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」 2022年の暮れに「徹子の部屋」に出演したタモリは徹子さんの「2023年はどんな年になるでしょう」という問いに、このように答えた。ぼくは偶々この番組を見ていた。「新しい戦前」ということばは的確に日本の現在の状況を表現している。

敵基地攻撃能力(反撃能力)保有。戦争ができない国、戦争をしない国だった日本は、今や戦争ができる国、戦争をする国に変わってしまった・・・。 


 


「奪還」を読む

2024-10-29 | A 読書日記

 歴史には疎いと何回も書いた。高校時代の同級生IT君はここ何年も日本史に関する本を読んでいて、古代史から近現代史まで実に詳しい。彼のように日本の通史を詳しく学ぶのは無理だとしても、せめて昭和史、その中でも第二次世界大戦の関連本を読もうとしばらく前から思っている。そのように思い始めると新聞の書評欄でも、新刊本の広告でも第二次世界大戦の関連本が目に入るようになるから不思議だ。


『奪還 日本人難民6万人を救った男』城内康伸(新潮社2024年)を読んだ。本書のことを知ったのは朝日新聞の読書面だった。

本書の「はじめに」によると、終戦時、北朝鮮地域に約25万人の日本人が住んでおり、終戦前後に満州から約7万人の避難民がなだれ込んだという。

終戦直後、進駐したソ連軍によって北緯38度線が封鎖され、北朝鮮に閉じ込められた「避難民」たちの生活が次のように描かれている。

**栄養失調と劣悪な環境下での集団生活。冬が近づくにつれて発疹チフスなどの感染症が猖獗(しょうけつ)を極めた。咸興(かんこう)では同年(*1)八月から翌年春にかけ約六千三百人が死亡した。**(4頁) *1 1945年(私が付けた注)

このような状況下、北朝鮮から集団帰国を実現させた人物がいた。松村義士男という一民間人だ。松村はソ連軍、北朝鮮当局などを相手に、個人(協力者はいたが)で交渉し、38度線以南に避難民を送りこむ工作を続けた。その周到にして大胆な行動に驚かされた。

終戦直後に北朝鮮に取り残された日本人を身を賭して帰還させた人物がいたことを本書で知った。どの時代にも凄い人はいるものだな、と改めて思う。本書の著者・城内康伸さんは多くの資料を基にその一部始終を描いている。

難局を打開し、自らも帰国した松村義士男。その後の人生の詳細は全く不明・・・。


 


「41人の嵐」を読む

2024-10-27 | A 読書日記

  
 宇宙で、高山で、海で、我が身が命に係わる危機的な状況に陥った時、何が生死を分けるのか・・・。

同類本(*1)を並べた自室の書棚の写真を載せたが、それらを読んで知ったことは生死を分かつのは、運と備わっている生命力であることは言うまでもないが、強靭な精神力を以ってなされる冷静な判断と行動だということ。

『41人の嵐 台風10号と両俣小屋全登山者生還の記録』桂木 優(ヤマケイ文庫2024年)を読んだ。

カバー裏面の本書紹介文から引く。

**南アルプス・北岳にある両俣小屋。その小屋番による大型台風襲来からの生還記。1982(昭和57)年、全国に95人もの死者・行方不明者という被害をもたらした大型台風10号。台風は若き登山者たちが集まった両俣小屋にも襲いかかり、小屋は土石による崩壊の危機に直面する。(後略)**

小屋番の星美和子(著者の桂木  優)さんのリーダシップ、偶々小屋で一緒になった大学生らの各パーティの共助と書くと、なんだかあたり前のことが当たり前になされたという印象を与えてしまいそうだ。しかし危機的な状況下で、冷静に判断し、冷静に行動するということは難しいと思う。

『41人の嵐』には、容赦なく降り続く雨、鉄砲水の襲来、押し寄せてきた土石で1階が埋まる両俣小屋の様子、小屋をあきらめて北沢峠の長衛荘を目指して、横川岳(2478m),仙丈ケ岳(3033m!)を越えていく登山者たちの様子が描かれる。

**最後の急登で三重短大の女の子が倒れてしまった。顔は青ざめているが唇はまだ赤い。仲間たちが衣服を緩め手足をマッサージする。(中略)彼女は、申し訳ないという風に気丈にも立ち上がろうとするが、すぐ倒れ込んでしまう。**(177頁)
**愛知学院大の平子君が、彼女が背負っていたザックを背負った。**(177頁)
**みんなはよろよろしながらも一歩一歩稜線を登ってゆく。靴下だけで歩いている松岡さんも必死で足場を求めている。よつんばいになって登っている人もいる。風は衰えをみせず吹きまくる。**(189頁)
**「ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ」**(191頁)

書いていて涙が出る・・・。

最後の一文の引用は控えたい。

一読をおすすめします。


*1 右側に並ぶのは書名から分かる通り、旅行記。


「笑う月」安部公房

2024-10-20 | A 読書日記

360
 『笑う月』(新潮文庫1984年7月25日発行、1993年2月15日15刷)を読み終えた。

このところ、あれこれすることがあり、「読書日記」に読んだ本のことをポストできずにいた。しばらくこの状況は変わらないと思う。安部公房の作品については、読了本のリスト化だけはしておきたい。10月に読んだ本は月末のブックレビューで取り上げることにする。


新潮文庫23冊 (戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。10月20日現在17冊読了。残り6冊。

新潮文庫に収録されている安部公房作品( 発行順)

『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


 


新潮文庫の安部公房あと7冊

2024-10-01 | A 読書日記

『R62号の発明・鉛の卵』をようやく読み終えた。

手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。9月30日現在16冊読了。あと3か月で残り7冊か・・・。このところ何かと忙しくて、本を読む時間がないなどと言い訳してはいけない。刊行順だと次は『燃えつきた地図』だが、先に『笑う月』を読むことにしよう。『砂の女』は2020年の12月に読んでいるから今回は読まなくてもいいかな・・・。


買ったまま積読状態の本6冊を優先すべきかなぁ・・・。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


 


新しくオープンしたスタバで朝カフェ読書

2024-09-28 | A 読書日記


 スターバックス松本なぎさライフサイト店の顔見知りの店員さんのひとり、Hさんが最近(2024.08.27)オープンした松本笹部店に移動したことを知った。昨日(27日)の朝、笹部店に行ってみた。Hさんがわざわざカウンターから出て来て、私の名を呼び、にこやかに迎えてくれた。 

ホットのショートをマグカップで、と注文する必要はもちろんなかった。

*****

この数日、忙しくて、本を読む時間が取れていなかった。毎日少なくとも1時間は本を読もうと思っているのに・・・。持参した『R62号の発明・鉛の卵』安部公房(新潮文庫1974年発行、1993年24刷)を小一時間読んだ。新しい店舗はやはり気持ちが良い。

自室に安部公房の作品が新潮文庫で23冊ある。既に15冊読んだ。残り8冊を月2冊をノルマにして年内4か月で読み終えようと考えているが、今月はこの『R62号の発明・鉛の卵』1冊しか読めそうにない。

『R62号の発明・鉛の卵』には安部公房の初期の短編が12編収録されている。うち8編を読み終えた。表題作の「R62号の発明」はカバー裏面の紹介文に**会社を首にされ、生きたまま自分の「死体」を売ってロボットにされてしまった機械技師が、人間を酷使する機械を発明して人間に復讐する**とある。

人間社会の危うい未来予想のようだ。この作品は1953年に発表されているが、今日的な問題の提起ではないか。人間の一部がロボットなのか、ロボットの一部が人間なのか・・・。ロボットをAIに置き換えてもよい。

**僕たち、生きているか死んでいるのかのどちらかに割切ってしまう常識論に、こだわりすぎていたと思うんです**(10頁)という登場人物の発言を唐突に引用したが、医学部出身の安部公房らしい自問、そして読者への問いかけだと思う。

自己の存在を規定するものは何か、それを手放すとどうなる・・・。安部公房が読者に問うているテーマは今日的だ、と『箱男』の読後に書いたが(2024.06.29)、「R62号の発明」の読後の感想も同じだ。

「盲腸」は羊の盲腸を移植された男が藁(わら)だけの食事をとる話。それは食料危機のために世界の人口の90パーセントが慢性的な栄養失調状態に陥っているという状況解消のための実験的な試み。ここでも次のような台詞を男に言わせる。**「私はこの腹の中にうえられた羊の盲腸と、まだしっくりやれるところまではいっていないのです。分かりますか、先生、思想のことを言っているんですよ。羊の盲腸をくっつけた私と、くっつける前の私と、いったいどっちが本当の自分なんだ。(後略)}**(128頁 下線は私が引いた)

人間の存在を根拠づけるのもは何か、人間は何を以って存在していると言うことができるのか・・・。人間の存在の条件とは? 安部公房はこの哲学的で根源的な問いについて思索し続けた作家だったと、『箱』の読後に書いたが(2024.05.29)、「盲腸」からもこのような安部公房評は変わらない。

12編すべて読了後に改めて書きたい。


 


「日本列島はすごい」伊藤 孝

2024-09-13 | A 読書日記


『日本列島はすごい』伊藤  孝(中公新書2024年)を読み始めた。

この本の序章に産業技術総合研究所(産総研)の地質調査総合センターが運営する「地質図Navi」が紹介されていた(8頁)。ネットで検索してアクセスしてみた。地図情報に落とし込まれた様々な情報が公開されているすごいサイトだ。

読み進むとこの地質図Naviの海面上昇シミュレーションを使って海面を約プラス70mした時とマイナス123mした時の日本列島の姿が掲載されていた(29頁)。これは地球上のすべての氷床の氷が溶けたとき、海面が約70m上昇すると言われていることと、2万年前の最終氷期の最寒期には海面が123m低下していたとされることにより決められた数値。

この海面上昇シミュレーションを使って試してみた。現在より水位が25m上昇したら、どうなるだろう・・・。25mという数値に特に意味はない。ただなんとなく。海面が25m上昇すると、房総半島が切れて島になる。関東平野がかなり水没する。北海道も二つに分かれてしまう。佐渡も二つになる。


地質調査総合センターウェブサイトの「地質図Navi」の海面上昇シミュレーションによる試行図

この本に過去2万年間の海水準の変動グラフが載っている(27頁)。そのグラフから約2万年前から約7000年前にかけて、100m以上海水面が上昇したこと、それ以降はほとんど一定で非常に安定していることがわかる。もし、25m上昇すれば東京は海上都市となる。いや、これはSFの世界。でもその場合、交通、情報、エネルギー、上下水などのインフラはどうするんだろう・・・。技術的に解決することができるのだろうか。やはり首都機能移転かな、標高の高い松本に。


 


「水が消えた大河で」を読む

2024-09-12 | A 読書日記


 手元にあるリーフレットに**「信州しおじり  本の寺子屋」は、2012(平成24)年7月29日(日)に開講しました。**とある。これまでに何回か本の寺子屋の講演を聴いているが、今年度の講演会では、6月16日に作家・山本一力さんの「生き方雑記帳」、8月4日に東京大学教授・加藤陽子さんの「超長寿社会の平和と戦争を考えるために」と題された講演を聴き、更に9月8日に行われた朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さんの「日本という国家の幻影を追って」を聴いた。

三浦さんは講演で開高 健ノンフィクション賞を受賞した『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』と新潮ドキュメント賞と山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した『太陽の子  日本がアフリカに置き去りにした秘密』に登場する人物などの写真をスクリーンに映しながら、日本という国家の素顔について熱く語った。他に『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』も触れていた。

おかしいことはおかしい。そのことをどこかに忖度することなくきちっと伝える姿勢に感動すら覚えた。講演会には遠く山形県からの参加者もいて、びっくりした。

フィクションは人生を変える力を持ち、ノンフィクションは社会を変える力を持っている。 

日中戦争の最中に満州国に設立された建国大学。1970,80年代にこの国がアフリカで行っていた資源開発が頓挫して、日本人とコンゴ人女性との間に生まれた子どもたちが現地に取り残された・・・。どちらのことも全く知らなかった。それからJR東日本が信濃川の中流域ににある宮中ダムで当初から改ざんプログラムを設置していて、長年不正に大量の水を抜き取っていた「事件」のことも知らなかった。信濃川にほとんど水が流れていない流域があったなんて・・・。信濃川は日本海に向かって滔々と流れているものと講演を聴くまで思っていた。

講演終了後に会場で『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社文庫2017年)を買い求めた。講演を聴いて、読みたいと思ったので。それから『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』(集英社文庫2019年)も読みたい、いや直ちに読まなくてはならないと思ったが会場には無かったので、ネット注文した(普段は書店で注文している)。一昨日(10日)届いたので早速読んだ。そこにはJR東日本によって行われていた信じられないような不正が詳細に綴られていた。加えて生態系への深刻な影響も。

信濃川の中流域には東京電力とJR東日本の取水ダムと発電所がそれぞれ別々にあって(東京電力:西大滝ダム 長野県飯山市 JR東日本:宮中ダム 新潟県十日町市)、ダムで取水された水は発電所までの間に落差をかせぐために延々と地下トンネルを流れる。そのため、その間、両者合わせて63.5kmは信濃川にはごく少量の水しか流れない。

**清流魚であるヤマメは二〇℃を超えるとエサを食べない。冷水性のカジカやアユは二五℃以上では生きていけない。**(31頁) 信濃川を流れる水量が上記の理由で極端に減り、流速も遅くなって水温が上昇、**魚が死に、流域周辺の井戸が枯れ、人びとが心の拠り所としてきた雄大な大河の風景が姿を消した。**(33頁)という。

このような事態を招いた東日本の不正を三浦さんは多くの関係者に取材をして厳しく追及していく・・・。

**「あなた方は毎秒三一七トンの水を抜いていおて、わずか毎秒七トンの放流ですよ。信濃川は石河原になって死んでいる。JR東日本の売り上げは二兆七二七〇億円。そんな独占的な優良企業が十日町の命の水をさらに不当に取っているなんて、まさしく屍に鞭を打つ、吸血鬼のような行為ですよ」**(175,6頁)
**「信濃川を涸らしておいてどこが地球に優しいんだ」**(176頁)

不正が明るみに出て、JR東日本が行なった信濃川中流域で暮らす人びとへの説明会で、次々と批判の声が上がる。

**謝罪をしている人間の面前でヤジと罵声を投げつけるという、見ていても胃が締め付けられるような苦々しい住人説明会は、終わってみれば、JR東日本にとって極めて都合のいい「セレモニー」だった。住民の前で幹部が謝罪こそしたものの、説明資料すら用意されず、補償も次の話し合いの場も提示されない説明会にあっては、彼らが口々に発する「誠意」という言葉も完全に宙に浮いていた。**(180頁)

三浦さんは状況を理性的に見据えて判断する。次に『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』を読みたいところだが、他にも読みたい本があるし、安部公房の作品を読むのはノルマだし・・・。



2024.09.11付信濃毎日新聞第二社会面

今度はJR貨物か・・・


 

 


「経済学者たちの日米開戦」を読む

2024-09-10 | A 読書日記

320


 『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「まぼろしの報告書」の謎を解く』牧野邦昭(新潮選書2018年5月25日発行、2021年12月25日13刷)を読んだ。塩尻のえんぱーくで8月4日に行われた加藤陽子東大教授の講演「超長寿時代の平和と戦争を考えるために ―全ての世代の立場から―」で紹介された本。

**「なぜ日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、アメリカ、イギリスと戦争することを選んでしまったのか」について考察したい。**(6頁) 本書の魅力は課題(解き明かすべき謎)が明確に設定され、その課題(謎)を分かりやすい論理の展開によって解き明かしていくこと。そう、この本にはよく出来た推理小説のような謎解きの面白さがある。

謎解きの過程で著者は数多くの史料を丹念に読み込む。名探偵が解けない謎をさらりと解いてしまうのとは訳が違う。巻末に掲載されている史料のリストは実に26頁に及ぶ(ただし引用頁まで示しているため、複数回掲載されている同一史料もある)。

課題(謎)は第五章の「なぜ開戦の決定が行われたのか」において、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学の集団意思決定の集団極化の理論という現代の経済学などの知見によって解き明かされる。

プロスペクト理論の説明で著者は次のような解りやすい例を示している。
(a)確実に3,000円支払わなければならない。
(b)8割の確率で4,000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。

このような場合には多くの人が(b)を選ぶという(ある調査では92%が(b)を選択したそうだ)。(b)の期待値は-3,200円で(a)の-3,000円より損失は大きいのに。このことについて、**人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動を取るのである。**と、著者。

このようなことが太平洋戦争開戦前にも起きていたのだ・・・。

(A)開戦しない  2,3年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服(ジリ貧)
(B)  非常に高い確率で致命的な敗北を招く(ドカ貧) 非常に低い確率でイギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、日本にとって有利な講話に応じる。

上の例で(b)を選ぶように(B)  を選択した。で、この選択には.、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になるという集団意思決定の集団極化の理論が働いていたと著者は説く。

**つまりもともと個人の状態でもプロスペクト理論によってリスクの高い選択が行われやすい状態の中で、そうした人々が集団で意思決定をすれば、リスキーシフトが起きて極めて低い確率の可能性に賭けて開戦という選択肢が選ばれてしまうのである。**(160頁)

謎解きの面白さがある、と紹介しておきながらその中身を具体的に書き過ぎた。

本書を近現代史に関心がある方にはもちろん、ない方にもおすすめしたい。


 


「城の日本史」を読む

2024-09-01 | A 読書日記

 『城の日本史』内藤  昌  編著(講談社学術文庫 2011年8月10日第1刷発行、2020年9月23日第4刷発行)を読み終えた。やはり今まで知らなかったことを知ることは楽しい。

既に書いたように本書は次のような構成になっている。

第一章 城郭の歴史 ― その変遷の系譜
第二章 城郭の構成 ― その総体の計画
第三章 城郭の要素 ― その部分の意味
第四章 日本名城譜 ― その興亡の図像

第四章には全国各地の29城が取り上げられているが、国宝である松本城ももちろん取り上げられ、特徴などが解説されている。その中で、松本城の形式が梯郭+環郭式平城となっている。本書を読む前に形式を示すこの用語を目にしても、どういうものなのか全く分からなかっただろう。

城郭の縄張は「梯郭式」「連郭式」「環郭式」「渦郭式」にタイプ分けされるが(第二章で解説されている)、松本城は「梯郭式」と「環郭式」の複合タイプとのこと。このことが解り易く描かれた絵図が『松本城・城下町絵図集』松本市教育委員会(2016年)に載っている(過去ログ)。


信濃国松本城図(戸田氏時代)北を上にして載せた。

本丸をコの字形の二ノ丸(*1)が囲み(上図)、更にその外側を三ノ丸が二ノ丸と同じコの字形で囲む形式を梯郭(ていかく)式、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が共にロの字形で囲む形式を環郭(かんかく)式という。

上図で解る通り、松本城の場合は本丸を囲む二ノ丸が梯郭式、三ノ丸(松本城では台形を逆さにした形をしている)が環郭式となっている。このような複合形式を梯郭+環郭式というとのことだ。 

『松本城・城下町絵図集』を買い求めたのは2016年5月だが、その時は何の知識も無く、ただ漫然とこのような絵図を見ているだけだった。やはり知らないことは見えない。


国宝 松本城 撮影日190117

絵図には本丸を囲む内堀、その外側の外堀、さらにその外側の総堀が描かれている。だが、現在は外堀の西側、それから南側の半分くらいが埋め立てられ、また総堀は大半が埋め立てらている。だから、梯郭+環郭式という形式であることは現状からは分からない。


松本市立博物館常設展示室の松本城下のジオラマ 撮影日2023.10.25

本書を読んでいれば松本城下のジオラマも上の絵図に描かれていることが解るように、総堀を全て入れて南側から撮っただろうに・・・。

本書を読んで知識を得たから城の見方も変わるかもしれない。来年1月に小倉城を見るのが楽しみになった。旅行直前に復習しなければ・・・。


*1 『城の日本史』では二丸と表記されている。


「城の日本史」内藤 昌

2024-08-30 | A 読書日記

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『城の日本史』内藤  昌  編著(講談社学術文庫2011年8月10日第1刷、2020年9月23日第4刷)を読み始めた。お城大好き、という訳ではないけれど、興味が全く無いわけではない。松本には国宝松本城があるし。

この本を何年も前に読んでいれば、33会の旅行で今年(2024年)1月に行った松山城や同じく33会で2019年に行った松江城の見方が違っただろうに・・・。来年1月には33会の旅行で小倉城に行くから、その時は今までとは違う見方ができるだろう。

しばらく前に本書のことを知り、行きつけの書店で注文していた。文庫本で1617円(税込)は高いけれど、その分中身が濃い。この本の構成は明快だ。総論から各論、そして事例紹介。このことが目次に表れている。

第一章 城郭の歴史 ― その変遷の系譜
第二章 城郭の構成 ― その総体の計画
第三章 城郭の要素 ― その部分の意味
第四章 日本名城譜 ― その興亡の図像

第一章「城郭と歴史」の中に「城」の訓読みの「シロ」は「シリ(領)」の古い名詞形と推定されているという説明がある(47頁)。で、この領は**「領有して他人に立ち入らせない一定の区域」を示すわけで、たとえば、苗を育てるところを「苗代」(『播磨風土記』)といい、矢を射るための場所を「矢代」(『出雲風土記』、(後略)**(47頁)と説明は続く。「シロ」の源意は「領域を区切る」ことだという。

そうか、城と代はもともと同義なのか。ということは・・・、綴じ代、のり代の「代」もある用途のために決められた(区切られた)エリアのことなんだ、と合点がいく。なるほど! 

知らないことを知ることは嬉しい、というか楽しい。いくつになっても知的好奇心は失いたくないものだ。

第二章「城郭の構成」は城郭の配置計画、平面計画に関する論述。例えば郭の縄張は「梯郭式」「連郭式」「環郭式」「渦郭式」というようにタイプ分けされ、それぞれについての説明がなされている。

第三章「城郭の要素」は城郭の構成要素、例えば天守台や櫓、堀、塁などに関する詳しい説明。

第四章「日本名城譜」は全国各地の29城を取り上げて、城の歴史や、特徴などの解説。

しばらくは本書を楽しみたい。


 


「嫉妬と階級の『源氏物語』」を読む

2024-08-28 | A 読書日記


『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫2002年)
『源氏物語の教え もし紫式部があなたの家庭教師だったら』(ちくまプリマ―新書2018年)
『やばい源氏物語』(ポプラ新書2023年)

 源氏物語について書かれた本はできるだけ読もうと思っている。大塚ひかりさんにも源氏本が何冊かあるが、これまでに3冊読んでいる。先日書店で目にした『嫉妬と階級の『源氏物語』』(新潮選書2023年)を買い求めて読んだ。


『嫉妬と階級の『源氏物語』』 なるほど、確かに『源氏物語』の長大な物語は「嫉妬」で始まる。光源氏の生母・桐壺更衣は身分が低いけれど帝の寵愛を受ける。そのために上位の女性たちから嫉妬され、陰湿ないじめもされて、病に臥して亡くなってしまう・・・。

『源氏物語』には多くのヒロインが登場するけれど、「嫉妬」という言葉からまず浮かぶのは六条御息所。身分も高く、美人で教養もあるのに、光源氏の正式な妻にはなれず、嫉妬から生き霊となって夕顔を変死させてしまうし、正妻の葵の上も取り殺してしまう。大塚さんは他の嫉妬例をいくつも挙げている。因みに六条御息所は女性に人気があるようだ。また、夕顔は男性に人気のあるヒロインとのこと(確か瀬戸内寂聴さんの本に出ていたと思う)。

本書を読むと「嫉妬」は『源氏物語』を読み解くのに実に有効な切り口だということがよく分かる。

以前書いた記事から引く。**『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫)の解説文に小谷野 敦(比較文学者)さんは**その解釈には専門家のなかにも一目置いている人たちがいる。**(292頁)と書き、さらに**『源氏物語』などおそらく全文を諳んじているはずだし(後略)**(292頁)とまで書いている。**

大塚さんは『源氏物語』を中学生の時に読んでいたということだし、個人全訳もしている(ちくま文庫全6巻)から、長大な物語を細部まできちんと把握しているだろう。だからこそ、縦横無尽な論考ができるのだ。

大塚さんは本書の「おわりに」で、浮舟を取り上げて、次のように書いている。

**時に作家は、登場人物に自己を仮託しながらも、その登場人物が作家の思想を超えて、思いも寄らぬ境地に達することがあるものだ。その境地に達したのが、最後のヒロイン浮舟ではないか。**(242頁)

**誰の身代わりでもない自身の人生を、心もとない足取りながらも歩もうとする様は、今に生きる私にとっては、不思議なすがすがしさと開放感を覚える。**(243頁)

自分だけは自分を見捨てるべきではない。大塚さんが紫式部メッセージだとするこの言葉、覚えておきたい。

国文学者で平安文学、中でも「源氏物語」と「枕草子」が専門だという三田村雅子さんは、NHKの100分de名著「源氏物語」の解説で物語最後のヒロイン浮舟が好きだと言っていた。浮舟には紫式部の願いが投影されているとも。そう、浮舟は紫式部が望んだもう一つの人生を歩んだ女性だった。


 


「無関係な死・時の崖」を読む

2024-08-25 | A 読書日記

 今年2024年は安部公房生誕100年。『芸術新潮』は3月号で安部公房の特集を組んだ。「わたしたちには安部公房が必要だ」と題して。今年は安部公房を読もう!と思い、3月から手元にある新潮文庫を読み始めた(現在手元にある新潮文庫は新たに買い求めたものを含めて23冊)。


『無関係な死・時の崖』(新潮文庫1974年)を読み終えた。今からちょうど50年前に読んだ文庫。

この文庫には短編10編が収録されているが、安部公房がいかに発想力・構想力が優れていたか、よく分かる。印象に残ったのは表題作の「無関係な死」、それから「人魚伝」と主人公が建築士の「賭」。

「無関係な死」
ある日、アパートの自分の部屋に死体が置かれていた男が、あれこれ考える。**犯人が、計画的に彼の部屋をねらったのか、それとも行き当たりばったりに、彼の部屋がえらばれたのか、その点はまだよく分からない。**(178頁)

男は死体を他の部屋に運ぶことにする。自分とは無関係な死とするために。

**そうだ、彼の部屋にこの死体を持ち込んで来たものだって、案外同じように誰かから押しつけられた組だったのではあるまいか。死体は、アパートの中を、ぐるぐるたらい廻しになっているのかもしれないのだ。**(182,3頁)

部屋には男の無罪を証明してくれるような証拠があった。男がそのことに気がついたのは、その証拠を消してしまった後だった・・・。推理小説として、おもしろい。


「人魚伝」
沈没船の中で出会った人魚に恋した男が、彼女を連れて帰り同棲生活を一年以上続けるという話。

**なにしろ彼女の下半身は魚なのだ。下腹部に、産卵用とおぼしき穴はあいていたが、そんな穴なら、耳にだって、鼻にだってあいている。**(234頁)**ぼくたちの性は、眼と唇の接触をつうじて、満たされていたようなものだった。**(234頁)

この辺りまでは大人のファンタジー(かな?)といった趣だが、この後はホラーな展開になる。


「賭」
**「しかしですねえ、この社長室は、三階にあるわけですな。そして十七号室は、二階なんですからね。」
「そうですか・・・・・二階と三階の部屋を隣りあわせにするのは、相当にむつかしい技術でしょうな。」**(101頁)

宣伝事業をしている社屋の設計を担当している主人公が、依頼主の仕事の実情を知るために、その会社を訪ねる。会社で見聞きした不思議なというか、風変わりなできごと・・・。

**こうした風変りな体験が、依頼主の注文を理解するうえで、すこぶる有意義な、みのり豊かなものであったことは、あらためて説明するまでもないだろう。おかげで私は、三階の部屋が、六階の部屋と壁を接していようと、また階段を降りて上階に達することになっていようと、すこしも意に介さないまでになっていた。仮に、天井と床とを逆さにしなければならないような羽目におかれたとしても、たぶん平然として応じていたに相違ない。**(136頁)

三次元的な空間では実現できない。そこで設計を担当する主人公が採った方法・・・。これはSF、それも50年も前の。

推理小説、ホラー小説、そしてSF小説。10編も収録されている傾向の異なる作品たちが、冒頭に書いたように安部公房が発想力・構想力に優れた作家であることの証左だろう。短編集の魅力はこういうところにもある。

この文庫のカバーには**未知の小説世界を構築せんとする著者が、長編「砂の女」「他人の顔」と並行して書き上げた野心作10編を収録する。**と書かれている。

やはり安部公房は凄い作家だったと思う。文庫本の大半を処分した時、再読するなら安部公房と思って、夏目漱石、北 杜夫の文庫と共に残しておいたが、正解だった。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。8月24日現在15冊読了。残り8冊、9月から月2冊。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月