透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「水が消えた大河で」を読む

2024-09-12 | A 読書日記


 手元にあるリーフレットに**「信州しおじり  本の寺子屋」は、2012(平成24)年7月29日(日)に開講しました。**とある。これまでに何回か本の寺子屋の講演を聴いているが、今年度の講演会では、6月16日に作家・山本一力さんの「生き方雑記帳」、8月4日に東京大学教授・加藤陽子さんの「超長寿社会の平和と戦争を考えるために」と題された講演を聴き、更に9月8日に行われた朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さんの「日本という国家の幻影を追って」を聴いた。

三浦さんは講演で開高 健ノンフィクション賞を受賞した『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』と新潮ドキュメント賞と山本美香記念国際ジャーナリスト賞を受賞した『太陽の子  日本がアフリカに置き去りにした秘密』に登場する人物などの写真をスクリーンに映しながら、日本という国家の素顔について熱く語った。他に『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』も触れていた。

おかしいことはおかしい。そのことをどこかに忖度することなくきちっと伝える姿勢に感動すら覚えた。講演会には遠く山形県からの参加者もいて、びっくりした。

フィクションは人生を変える力を持ち、ノンフィクションは社会を変える力を持っている。 

日中戦争の最中に満州国に設立された建国大学。1970,80年代にこの国がアフリカで行っていた資源開発が頓挫して、日本人とコンゴ人女性との間に生まれた子どもたちが現地に取り残された・・・。どちらのことも全く知らなかった。それからJR東日本が信濃川の中流域ににある宮中ダムで当初から改ざんプログラムを設置していて、長年不正に大量の水を抜き取っていた「事件」のことも知らなかった。信濃川にほとんど水が流れていない流域があったなんて・・・。信濃川は日本海に向かって滔々と流れているものと講演を聴くまで思っていた。

講演終了後に会場で『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社文庫2017年)を買い求めた。講演を聴いて、読みたいと思ったので。それから『水が消えた大河で ルポJR東日本・信濃川不正取水事件』(集英社文庫2019年)も読みたい、いや直ちに読まなくてはならないと思ったが会場には無かったので、ネット注文した(普段は書店で注文している)。一昨日(10日)届いたので早速読んだ。そこにはJR東日本によって行われていた信じられないような不正が詳細に綴られていた。加えて生態系への深刻な影響も。

信濃川の中流域には東京電力とJR東日本の取水ダムと発電所がそれぞれ別々にあって(東京電力:西大滝ダム 長野県飯山市 JR東日本:宮中ダム 新潟県十日町市)、ダムで取水された水は発電所までの間に落差をかせぐために延々と地下トンネルを流れる。そのため、その間、両者合わせて63.5kmは信濃川にはごく少量の水しか流れない。

**清流魚であるヤマメは二〇℃を超えるとエサを食べない。冷水性のカジカやアユは二五℃以上では生きていけない。**(31頁) 信濃川を流れる水量が上記の理由で極端に減り、流速も遅くなって水温が上昇、**魚が死に、流域周辺の井戸が枯れ、人びとが心の拠り所としてきた雄大な大河の風景が姿を消した。**(33頁)という。

このような事態を招いた東日本の不正を三浦さんは多くの関係者に取材をして厳しく追及していく・・・。

**「あなた方は毎秒三一七トンの水を抜いていおて、わずか毎秒七トンの放流ですよ。信濃川は石河原になって死んでいる。JR東日本の売り上げは二兆七二七〇億円。そんな独占的な優良企業が十日町の命の水をさらに不当に取っているなんて、まさしく屍に鞭を打つ、吸血鬼のような行為ですよ」**(175,6頁)
**「信濃川を涸らしておいてどこが地球に優しいんだ」**(176頁)

不正が明るみに出て、JR東日本が行なった信濃川中流域で暮らす人びとへの説明会で、次々と批判の声が上がる。

**謝罪をしている人間の面前でヤジと罵声を投げつけるという、見ていても胃が締め付けられるような苦々しい住人説明会は、終わってみれば、JR東日本にとって極めて都合のいい「セレモニー」だった。住民の前で幹部が謝罪こそしたものの、説明資料すら用意されず、補償も次の話し合いの場も提示されない説明会にあっては、彼らが口々に発する「誠意」という言葉も完全に宙に浮いていた。**(180頁)

三浦さんは状況を理性的に見据えて判断する。次に『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』を読みたいところだが、他にも読みたい本があるし、安部公房の作品を読むのはノルマだし・・・。



2024.09.11付信濃毎日新聞第二社会面

今度はJR貨物か・・・


 

 


「経済学者たちの日米開戦」を読む

2024-09-10 | A 読書日記

320


 『経済学者たちの日米開戦 秋丸機関「まぼろしの報告書」の謎を解く』牧野邦昭(新潮選書2018年5月25日発行、2021年12月25日13刷)を読んだ。塩尻のえんぱーくで8月4日に行われた加藤陽子東大教授の講演「超長寿時代の平和と戦争を考えるために ―全ての世代の立場から―」で紹介された本。

**「なぜ日本の指導者たちは、正確な情報に接する機会があったのに、アメリカ、イギリスと戦争することを選んでしまったのか」について考察したい。**(6頁) 本書の魅力は課題(解き明かすべき謎)が明確に設定され、その課題(謎)を分かりやすい論理の展開によって解き明かしていくこと。そう、この本にはよく出来た推理小説のような謎解きの面白さがある。

謎解きの過程で著者は数多くの史料を丹念に読み込む。名探偵が解けない謎をさらりと解いてしまうのとは訳が違う。巻末に掲載されている史料のリストは実に26頁に及ぶ(ただし引用頁まで示しているため、複数回掲載されている同一史料もある)。

課題(謎)は第五章の「なぜ開戦の決定が行われたのか」において、行動経済学のプロスペクト理論と社会心理学の集団意思決定の集団極化の理論という現代の経済学などの知見によって解き明かされる。

プロスペクト理論の説明で著者は次のような解りやすい例を示している。
(a)確実に3,000円支払わなければならない。
(b)8割の確率で4,000円支払わなければならないが、2割の確率で1円も支払わなくてもよい。

このような場合には多くの人が(b)を選ぶという(ある調査では92%が(b)を選択したそうだ)。(b)の期待値は-3,200円で(a)の-3,000円より損失は大きいのに。このことについて、**人間は損失を被る場合にはリスク愛好的(追及的)な行動を取るのである。**と、著者。

このようなことが太平洋戦争開戦前にも起きていたのだ・・・。

(A)開戦しない  2,3年後には確実に国力を失い、戦わずして屈服(ジリ貧)
(B)  非常に高い確率で致命的な敗北を招く(ドカ貧) 非常に低い確率でイギリスの屈服によるアメリカの交戦意欲喪失、日本にとって有利な講話に応じる。

上の例で(b)を選ぶように(B)  を選択した。で、この選択には.、個人が意思決定を行うよりも結論が極端になるという集団意思決定の集団極化の理論が働いていたと著者は説く。

**つまりもともと個人の状態でもプロスペクト理論によってリスクの高い選択が行われやすい状態の中で、そうした人々が集団で意思決定をすれば、リスキーシフトが起きて極めて低い確率の可能性に賭けて開戦という選択肢が選ばれてしまうのである。**(160頁)

謎解きの面白さがある、と紹介しておきながらその中身を具体的に書き過ぎた。

本書を近現代史に関心がある方にはもちろん、ない方にもおすすめしたい。


 


「城の日本史」を読む

2024-09-01 | A 読書日記

 『城の日本史』内藤  昌  編著(講談社学術文庫 2011年8月10日第1刷発行、2020年9月23日第4刷発行)を読み終えた。やはり今まで知らなかったことを知ることは楽しい。

既に書いたように本書は次のような構成になっている。

第一章 城郭の歴史 ― その変遷の系譜
第二章 城郭の構成 ― その総体の計画
第三章 城郭の要素 ― その部分の意味
第四章 日本名城譜 ― その興亡の図像

第四章には全国各地の29城が取り上げられているが、国宝である松本城ももちろん取り上げられ、特徴などが解説されている。その中で、松本城の形式が梯郭+環郭式平城となっている。本書を読む前に形式を示すこの用語を目にしても、どういうものなのか全く分からなかっただろう。

城郭の縄張は「梯郭式」「連郭式」「環郭式」「渦郭式」にタイプ分けされるが(第二章で解説されている)、松本城は「梯郭式」と「環郭式」の複合タイプとのこと。このことが解り易く描かれた絵図が『松本城・城下町絵図集』松本市教育委員会(2016年)に載っている(過去ログ)。


信濃国松本城図(戸田氏時代)北を上にして載せた。

本丸をコの字形の二ノ丸(*1)が囲み(上図)、更にその外側を三ノ丸が二ノ丸と同じコの字形で囲む形式を梯郭(ていかく)式、本丸を中心に二ノ丸、三ノ丸が共にロの字形で囲む形式を環郭(かんかく)式という。

上図で解る通り、松本城の場合は本丸を囲む二ノ丸が梯郭式、三ノ丸(松本城では台形を逆さにした形をしている)が環郭式となっている。このような複合形式を梯郭+環郭式というとのことだ。 

『松本城・城下町絵図集』を買い求めたのは2016年5月だが、その時は何の知識も無く、ただ漫然とこのような絵図を見ているだけだった。やはり知らないことは見えない。


国宝 松本城 撮影日190117

絵図には本丸を囲む内堀、その外側の外堀、さらにその外側の総堀が描かれている。だが、現在は外堀の西側、それから南側の半分くらいが埋め立てられ、また総堀は大半が埋め立てらている。だから、梯郭+環郭式という形式であることは現状からは分からない。


松本市立博物館常設展示室の松本城下のジオラマ 撮影日2023.10.25

本書を読んでいれば松本城下のジオラマも上の絵図に描かれていることが解るように、総堀を全て入れて南側から撮っただろうに・・・。

本書を読んで知識を得たから城の見方も変わるかもしれない。来年1月に小倉城を見るのが楽しみになった。旅行直前に復習しなければ・・・。


*1 『城の日本史』では二丸と表記されている。


「城の日本史」内藤 昌

2024-08-30 | A 読書日記

360
『城の日本史』内藤  昌  編著(講談社学術文庫2011年8月10日第1刷、2020年9月23日第4刷)を読み始めた。お城大好き、という訳ではないけれど、興味が全く無いわけではない。松本には国宝松本城があるし。

この本を何年も前に読んでいれば、33会の旅行で今年(2024年)1月に行った松山城や同じく33会で2019年に行った松江城の見方が違っただろうに・・・。来年1月には33会の旅行で小倉城に行くから、その時は今までとは違う見方ができるだろう。

しばらく前に本書のことを知り、行きつけの書店で注文していた。文庫本で1617円(税込)は高いけれど、その分中身が濃い。この本の構成は明快だ。総論から各論、そして事例紹介。このことが目次に表れている。

第一章 城郭の歴史 ― その変遷の系譜
第二章 城郭の構成 ― その総体の計画
第三章 城郭の要素 ― その部分の意味
第四章 日本名城譜 ― その興亡の図像

第一章「城郭と歴史」の中に「城」の訓読みの「シロ」は「シリ(領)」の古い名詞形と推定されているという説明がある(47頁)。で、この領は**「領有して他人に立ち入らせない一定の区域」を示すわけで、たとえば、苗を育てるところを「苗代」(『播磨風土記』)といい、矢を射るための場所を「矢代」(『出雲風土記』、(後略)**(47頁)と説明は続く。「シロ」の源意は「領域を区切る」ことだという。

そうか、城と代はもともと同義なのか。ということは・・・、綴じ代、のり代の「代」もある用途のために決められた(区切られた)エリアのことなんだ、と合点がいく。なるほど! 

知らないことを知ることは嬉しい、というか楽しい。いくつになっても知的好奇心は失いたくないものだ。

第二章「城郭の構成」は城郭の配置計画、平面計画に関する論述。例えば郭の縄張は「梯郭式」「連郭式」「環郭式」「渦郭式」というようにタイプ分けされ、それぞれについての説明がなされている。

第三章「城郭の要素」は城郭の構成要素、例えば天守台や櫓、堀、塁などに関する詳しい説明。

第四章「日本名城譜」は全国各地の29城を取り上げて、城の歴史や、特徴などの解説。

しばらくは本書を楽しみたい。


 


「嫉妬と階級の『源氏物語』」を読む

2024-08-28 | A 読書日記


『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫2002年)
『源氏物語の教え もし紫式部があなたの家庭教師だったら』(ちくまプリマ―新書2018年)
『やばい源氏物語』(ポプラ新書2023年)

 源氏物語について書かれた本はできるだけ読もうと思っている。大塚ひかりさんにも源氏本が何冊かあるが、これまでに3冊読んでいる。先日書店で目にした『嫉妬と階級の『源氏物語』』(新潮選書2023年)を買い求めて読んだ。


『嫉妬と階級の『源氏物語』』 なるほど、確かに『源氏物語』の長大な物語は「嫉妬」で始まる。光源氏の生母・桐壺更衣は身分が低いけれど帝の寵愛を受ける。そのために上位の女性たちから嫉妬され、陰湿ないじめもされて、病に臥して亡くなってしまう・・・。

『源氏物語』には多くのヒロインが登場するけれど、「嫉妬」という言葉からまず浮かぶのは六条御息所。身分も高く、美人で教養もあるのに、光源氏の正式な妻にはなれず、嫉妬から生き霊となって夕顔を変死させてしまうし、正妻の葵の上も取り殺してしまう。大塚さんは他の嫉妬例をいくつも挙げている。因みに六条御息所は女性に人気があるようだ。また、夕顔は男性に人気のあるヒロインとのこと(確か瀬戸内寂聴さんの本に出ていたと思う)。

本書を読むと「嫉妬」は『源氏物語』を読み解くのに実に有効な切り口だということがよく分かる。

以前書いた記事から引く。**『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫)の解説文に小谷野 敦(比較文学者)さんは**その解釈には専門家のなかにも一目置いている人たちがいる。**(292頁)と書き、さらに**『源氏物語』などおそらく全文を諳んじているはずだし(後略)**(292頁)とまで書いている。**

大塚さんは『源氏物語』を中学生の時に読んでいたということだし、個人全訳もしている(ちくま文庫全6巻)から、長大な物語を細部まできちんと把握しているだろう。だからこそ、縦横無尽な論考ができるのだ。

大塚さんは本書の「おわりに」で、浮舟を取り上げて、次のように書いている。

**時に作家は、登場人物に自己を仮託しながらも、その登場人物が作家の思想を超えて、思いも寄らぬ境地に達することがあるものだ。その境地に達したのが、最後のヒロイン浮舟ではないか。**(242頁)

**誰の身代わりでもない自身の人生を、心もとない足取りながらも歩もうとする様は、今に生きる私にとっては、不思議なすがすがしさと開放感を覚える。**(243頁)

自分だけは自分を見捨てるべきではない。大塚さんが紫式部メッセージだとするこの言葉、覚えておきたい。

国文学者で平安文学、中でも「源氏物語」と「枕草子」が専門だという三田村雅子さんは、NHKの100分de名著「源氏物語」の解説で物語最後のヒロイン浮舟が好きだと言っていた。浮舟には紫式部の願いが投影されているとも。そう、浮舟は紫式部が望んだもう一つの人生を歩んだ女性だった。


 


「無関係な死・時の崖」を読む

2024-08-25 | A 読書日記

 今年2024年は安部公房生誕100年。『芸術新潮』は3月号で安部公房の特集を組んだ。「わたしたちには安部公房が必要だ」と題して。今年は安部公房を読もう!と思い、3月から手元にある新潮文庫を読み始めた(現在手元にある新潮文庫は新たに買い求めたものを含めて23冊)。


『無関係な死・時の崖』(新潮文庫1974年)を読み終えた。今からちょうど50年前に読んだ文庫。

この文庫には短編10編が収録されているが、安部公房がいかに発想力・構想力が優れていたか、よく分かる。印象に残ったのは表題作の「無関係な死」、それから「人魚伝」と主人公が建築士の「賭」。

「無関係な死」
ある日、アパートの自分の部屋に死体が置かれていた男が、あれこれ考える。**犯人が、計画的に彼の部屋をねらったのか、それとも行き当たりばったりに、彼の部屋がえらばれたのか、その点はまだよく分からない。**(178頁)

男は死体を他の部屋に運ぶことにする。自分とは無関係な死とするために。

**そうだ、彼の部屋にこの死体を持ち込んで来たものだって、案外同じように誰かから押しつけられた組だったのではあるまいか。死体は、アパートの中を、ぐるぐるたらい廻しになっているのかもしれないのだ。**(182,3頁)

部屋には男の無罪を証明してくれるような証拠があった。男がそのことに気がついたのは、その証拠を消してしまった後だった・・・。推理小説として、おもしろい。


「人魚伝」
沈没船の中で出会った人魚に恋した男が、彼女を連れて帰り同棲生活を一年以上続けるという話。

**なにしろ彼女の下半身は魚なのだ。下腹部に、産卵用とおぼしき穴はあいていたが、そんな穴なら、耳にだって、鼻にだってあいている。**(234頁)**ぼくたちの性は、眼と唇の接触をつうじて、満たされていたようなものだった。**(234頁)

この辺りまでは大人のファンタジー(かな?)といった趣だが、この後はホラーな展開になる。


「賭」
**「しかしですねえ、この社長室は、三階にあるわけですな。そして十七号室は、二階なんですからね。」
「そうですか・・・・・二階と三階の部屋を隣りあわせにするのは、相当にむつかしい技術でしょうな。」**(101頁)

宣伝事業をしている社屋の設計を担当している主人公が、依頼主の仕事の実情を知るために、その会社を訪ねる。会社で見聞きした不思議なというか、風変わりなできごと・・・。

**こうした風変りな体験が、依頼主の注文を理解するうえで、すこぶる有意義な、みのり豊かなものであったことは、あらためて説明するまでもないだろう。おかげで私は、三階の部屋が、六階の部屋と壁を接していようと、また階段を降りて上階に達することになっていようと、すこしも意に介さないまでになっていた。仮に、天井と床とを逆さにしなければならないような羽目におかれたとしても、たぶん平然として応じていたに相違ない。**(136頁)

三次元的な空間では実現できない。そこで設計を担当する主人公が採った方法・・・。これはSF、それも50年も前の。

推理小説、ホラー小説、そしてSF小説。10編も収録されている傾向の異なる作品たちが、冒頭に書いたように安部公房が発想力・構想力に優れた作家であることの証左だろう。短編集の魅力はこういうところにもある。

この文庫のカバーには**未知の小説世界を構築せんとする著者が、長編「砂の女」「他人の顔」と並行して書き上げた野心作10編を収録する。**と書かれている。

やはり安部公房は凄い作家だったと思う。文庫本の大半を処分した時、再読するなら安部公房と思って、夏目漱石、北 杜夫の文庫と共に残しておいたが、正解だった。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。8月24日現在15冊読了。残り8冊、9月から月2冊。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


 


浅田次郎の「長く高い壁」を読む

2024-08-17 | A 読書日記

 浅田次郎の『長く高い壁』(角川書店2018年、図書館本)を読んだ。(以下、ミステリー小説のネタばらしにはならないように配慮したつもりですが・・・。)


昭和11年(1936年)2.26事件、昭和12年(1937年)盧溝橋事件、日中戦争勃発。

昭和13年秋、日中戦争下の張飛嶺(万里の長城)。大隊主力が前線に出た後、張飛嶺守備隊として残ったのは小隊30人、その第一分隊10人全員が死亡する。戦死か? 従軍作家の小柳逸馬が検閲班長の川津中尉と共に北京から現場に向かい、10人怪死の真相を解き明かす。

ミステリー仕立てのストーリーの大要はこの通りだが、この小説は単なる謎解きの娯楽作品ではない。作者・浅田次郎がこの小説で書きたかったことは、作品の中に見出せる。当然のことではあるが。

**探偵小説を好んで書くのは、そうした人間の本性を堂々と開陳できるからだ。読者にしたところで、何も人殺しを面白がっているわけではあるまい。他人を恨み、妬(ねた)み、嫉(そね)み、あげくには殺してしまう人間の怖ろしさ ―― むろんおのれのうちにも確実に存在する魔性を、小説の世界に垣間見ている。**(259頁)

**君は今、苦悩している。戦場に正義はあるのか、と。敵という名の人の命を奪い、またみずからもいつ殺されるかわからない戦場に、殺人を事件とするだけの正義がはたしてあるのか、と。**(267頁)

**どれほど腹が立とうと、当たりどころがない。だから得体の知れぬ泥のような怒りが、胸の中に澱り嵩んでゆく。(後略)**(270頁)

**正義感に燃えたのではない。義侠心でもない。我慢のならぬ理不尽がとうとう腹の中で膨らみ切って、反吐のようにせり上がってきたのだった。**(272頁)

従軍作家は事件の真相を明らかにする。だが「嗚呼忠烈 張飛嶺守備隊の最期」と題する報告レポートには真相とは異なることが書かれていた・・・。

浅田次郎は上手い。文中に織り込まれている中国語も難しい単語も効果的だ。こういうラストの構成は他に知らない。なかなか好い。

読了後、ふと松本清張なら終盤をどんな展開にしただろうなと思った。代表作の『砂の器』や『ゼロの焦点』のようにタイムスパンの長い小説にしたのではないか。事件後、何年も先のことが描かれる。

松本清張のようには構想できないけれど・・・。小柳逸馬には当時5歳のひとり娘がいた。時は流れ、太平洋戦争後、昭和32年。年頃になった娘にはフィアンセの新聞記者がいた(好きな作品の『球形の荒野』の主人公のフィアンセも新聞記者だった)。

病に伏せた父親が最期に二人に明かした手記の存在。葬儀を済ませ、二人が開封した手記には「張飛嶺守備隊最期の真相」という見出しが付けられていた・・・。


 


「老化と寿命の謎」を読む

2024-08-14 | A 読書日記


■ 信濃毎日新聞の科学面に2023年1月から2024年4月まで連載された記事「老化と寿命の謎を探る」を基に書籍化された『老化と寿命の謎』飯島裕一(講談社現代新書2024年)を読んだ。ぼくはこの新聞連載記事を毎回読んでいて、本になればいいな、と思っていた。

この本は次の3章で構成されている。
第1章  寿命をめぐって
第2章  なぜ老いるのか
第3章  健康長寿への道  ―  加齢関連疾患とつきあう

第1章  寿命をめぐってでは寿命400年とされるニシオンデンザメや寿命30年のハダカデバネズミなどの長寿動物を取り上げて、寿命を左右する代謝量について解説している。

この中で、なぜ大人になると子どもの時より1日が短く感じるのか、という疑問にも答えている。
代謝量の変化で説明がつきそうだとして、**体温が共通しているヒト同士の代謝量の比較は、体重の違いだけで割り出される。渡辺教授(筆者注:渡辺佑基 総合研究大学院大学統合進化科学研究センター教授 32頁)は、「25キロの子どもと65キロの大人を比較すると、時間の濃度は子どものほうが1.3倍も濃い。大人の1日24時間に換算すれば、子どもの1日は31時間で、7時間も余分にあることになる」と説明した。**(35頁)

哺乳類では世代時間も寿命も、体重の4分の1乗に比例して増える(34頁)という説明から上記のことを計算してみると、時間濃度≒1.2697倍となった(計算違いをしていなければ)。

第2章  なぜ老いるのかでは老化のメカニズムに関する最先端の研究を紹介している。専門的で難しい内容だが、新聞連載中も興味深く読んでいた。残念なことに新聞記事ではカラーだった説明図が本ではモノクロ(白黒)になっている。

自然免疫:好中球 マクロファージ 樹状細胞 ナチュラルキラー細胞
獲得免疫:ヘルパーT細胞 キラーT細胞 制御性T細胞 B細胞
ミトコンドリア、サイトカイン、アポトーシス、オートファジー、ルビコン、エピゲノム・・・

例示したような専門用語は、例えば今年の1月に読んだ『免疫「超」入門』吉村昭彦(講談社ブルーバックス2023年)にも出てきたと思うが、その意味は既に忘れているが、ヒトの体の加齢に伴って自然免疫も獲得免疫も働きが低下するということ、いや免疫機能だけでなくあらゆる機能が低下するということはさすがに知っている。

実に用心深くできている免疫システムの解説を読んでいて、コロナワクチンって免疫システムを混乱させるんじゃないのかなと思った。必要な免疫反応をしなかったり、過剰に反応したり(サイトカインストーム)。『免疫「超」入門』を読んだ時も同じ様に思ったけれど。手足口病などのウイルス性疾患が流行しているのはそのせいじゃないのかな、などと考えてしまう・・・。

第3章  健康長寿への道  ―  加齢関連疾患とつきあうでは、加齢とともに老いる体に表れる様々な病状の解説と、それらと如何につき合うかが論じられている。




2024年1月22日付信濃毎日新聞科学面(9面)より

上掲した新聞記事には「睡眠時間  年齢とともに短く」「無理に寝なくてもいい」という見出しで睡眠時間やその質が加齢に伴って変化することについて書かれている。ぼくはこの記事を読んで、そうなんだと安心感を覚えた。それで記事を取っておいたが、この本でも第3章の17節「眠りをそれほど必要としていない高齢者」に掲載されている。新聞連載時と同じ構成ということが判る。

本書の最後(第3章  第24節)の見出しは「人生の実りの秋(とき)を豊かに過ごすために」。これは高齢の読者へのエールだろう。


 


「水中都市・デンドロカカリヤ」を読む

2024-08-13 | A 読書日記


 安部公房の短編集『水中都市・デンドロカカリヤ』(新潮文庫1973年発行、1993年25刷)再読。1993年に読んだのであれば31年ぶりの再読ということになる。

表題作の『水中都市』についてカバー裏面の本書紹介文から引く。**ある日突然現れた父親と名のる男が、奇怪な魚に生れ変り、それまで何の変哲も無かった街が水中の世界に変ってゆく(後略)** 

安部公房の代表作『箱男』が映画化され、今月(8月)23日に公開される。もし、この『水中都市』も映画化されれば、描かれているあるシーンの映像は直視できないと思う。そのくらいホラー。

上の紹介文は次のように結ばれている。**人間存在の不安感を浮び上がらせた初期短編11編を収録。そう、既に書いたけれど、人間が存在することとはどういうことなのかという問いかけ、これは安部公房がずっと問い続けたテーマだった。

収録作品では『手』が印象に残った。主人公のおれはどんな人物なのか、と思って読み進めると、かつて伝書鳩だったということが判る。飼い主は鳩班の兵隊だった。戦争が終って、その鳩は見世物小屋でマジックに使われ、その後、はく製になる。そして「平和の鳩」というブロンズ像になり、それから秘密工場に運ばれて溶解され、別の工場に運ばれて様々なものに加工され、一部はピストルの弾になる。おれをつめ込んだピストルが狙ったのは・・・。展開の意外性。

『プルートーのわな』はブラックなイソップ、という感じ。ねことねずみの物語。あまり安部公房的ではないとおもうけれど、おもしろい。

『闖入者』はある日突然、一人暮らしの男の部屋に見知らぬ家族がやってきて、あたかも自分たちの部屋であるかのように居座り続ける。男を小国、家族を大国に、あるいは家族を日本に置き換えれば、侵略戦争の理不尽さを描いた作品とも取れるかもしれない。いや、暗喩的な表現だと解さない方が良いのかもしれない。ドナルド・キーンが解説で**説明できないところにこそ安部文学の魅力が籠っているのである。**(268頁)と書いているように。


手元にある安部公房の作品リスト

新潮文庫23冊 (文庫発行順 戯曲作品は手元にない。2024年3月以降に再読した作品を赤色表示する。*印の5作品は絶版)

今年(2024年)中に読み終えるという計画でスタートした安部公房作品再読。8月12日現在14冊読了。残り9冊。月2冊のペースで年内に読了できる。


『他人の顔』1968年12月
『壁』1969年5月
『けものたちは故郷をめざす』1970年5月
『飢餓同盟』1970年9月
『第四間氷期』1970年11月

『水中都市・デンドロカカリヤ』1973年7月
『無関係な死・時の壁』1974年5月
『R62号の発明・鉛の卵』1974年8月
『石の眼』1975年1月*
『終りし道の標べに』1975年8月*

『人間そっくり』1976年4月
『夢の逃亡』1977年10月*
『燃えつきた地図』1980年1月
『砂の女』1981年2月
『箱男』1982年10月

『密会』1983年5月
『笑う月』1984年7月
『カーブの向う・ユープケッチャ』1988年12月*
『方舟さくら丸』1990年10月
『死に急ぐ鯨たち』1991年1月*

『カンガルー・ノート』1995年2月
『飛ぶ男』2024年3月
『(霊媒の話より)題未定 安部公房初期短編集』2024年4月


「帰郷」を読む

2024-08-06 | A 読書日記


 浅田次郎の『帰郷』(集英社2016年 図書館本)を読んだ。

太平洋戦争で激しい戦闘が繰り広げられた沖縄戦で生き残った指揮官と戦死した部下の遺族の往復書簡をめぐる実話『ずっと、ずっと帰りを待っていました』浜田哲二・浜田律子(新潮社2024年)を読んでいたので、図書館でこの本が目に入ったのかもしれない。

表題作の「帰郷」ほか5編を収める小説集。印象に残ったのは「帰郷」だった。終戦直後の新宿で復員したばかりの古越庄一は体を売って日々を食い凌ぐ女に声をかける。マリアという通り名のその女は綾子。

**「金ならこの通り持っているが、あんたを買うつもりはないんだ」
(中略)
「どこかで、俺の話を聞いてくれないか」**(11頁)

連れ込み旅館の一室で庄一は綾子に出兵から復員直後までの出来事を語る。庄一の出身地が信州松本ということ、そして綾子も信州だったことが、この物語にぼくを引き込んだ。

復員して神戸港から名古屋へ。そして中央線に乗り継ぎ、松本駅に着いた庄一は義兄(二番目の姉の亭主)の三郎に声をかけられる。

**「なあ、庄ちゃ。聞き分けてくれねえか」
ぴったりと俺に体を寄せ、うなだれた頭を合わせるようにして、三郎さんは言った。
「僕と出くわしたのは、偶然なんかじゃねえぞ。きっと、諏訪の大神様の思し召しだ。だでせ、庄ちゃ。ここは何も言わねえで始発の汽車に乗れってこっさ。どっかに落ち着いたら、松本高校の気付けで便りをほしい」
三郎さんは懐を探って、ありったけの金を俺の掌に握らせた。(後略)**(42頁)

庄一は西太平洋のテニアン島で戦死を遂げたと戦死広報が伝えた。庄一の家では葬式を出し、墓石も建てた。妻の糸子は庄一の弟の精二と再婚していた。庄一のふたりの娘・夏子と雪子は精二の子になり、**「あんなあ、庄ちゃ。糸子さんの腹の中には、精ちゃの子がいるずら」**(44頁)と三郎は庄一に伝える。

**「夏子も精ちゃをおとうさんと呼んでるずら。雪子ははなから、精ちゃを父親だと信じてるがね。糸子さんも了簡してる。な、庄ちゃ。僕は誰の肩を持ってるわけじゃねえでせ、庄ちゃも了簡しとくれや」**(44頁)

生きて帰ってきて、松本駅で義兄に説得される庄一。**(前略)糸子をねぎらい、夏子を膝に抱き、まだ見ぬ雪子に頬ずりをしたかった。**(44頁) 

ああ、これを戦争の悲劇と言わずして何と言う。三郎に説得され、新宿に出てきた庄一は綾子に声をかけたのだった。

宿の一室で綾子に一通り話をしてから、庄一は言う。

**「あんたに頼みがある」
(中略)
「俺と一緒に、生きてくれないか」**(48頁)

もうだいぶ前のことだが、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)を読んで、涙小説だと書いた(過去ログ)。表題作の「帰郷」も涙小説、切なくて何回も涙があふれた。

この先、庄一と綾子はどう生きて行くのだろう。ふたりが歩む人生物語を読みたかった。短編なのは残念。





望楼型 層塔型

2024-08-03 | A 読書日記

 


 『松本城のすべて 世界遺産登録を目指して』(信濃毎日新聞社2022年)に掲載されている麓 和善・名古屋工業大学名誉教授の特別寄稿「日本城郭史上における松本城天守の価値」を読んだ。以下、私の理解し得た内容を記す。

天守には「望楼型」と「層塔型」のふたつの様式がある。
望楼型は低層の櫓の上に、小さな望楼状の建物を載せた形式。
層塔型は何層にも重なった塔のように、各層の逓減率が一定の形式。
1579年竣工の安土城天守から1638年再建の江戸城天守に至るまでの約60年間に天守は望楼型から層塔型へと発達したという。

木造架構技術にも「井楼式通柱構法」と「互入式通柱構法」のふたつの架構方法がある。
井楼式は2階分の通柱を配し、その上に梁を井桁に組み、これを構造単位として重ねて天守を組み上げる構法。
互入式は各階交互に通柱を配し、天守を一体的に組み上げる構法。
※ 柱の平面的な位置、梁との位置関係の条件の記述を省略している。

大雑把に捉えれば望楼型の天守には井楼式通柱構法が、層塔型の天守には互入通柱構法が対応しているというが、スパッと対応付けられるものでもないようだ。


松江城(築城:1611年 国宝指定:2015年)撮影日2019.01.11(33会の旅行)

松江城天守は4重5階で1,2重が同規模で、2重目の大きな入母屋屋根の上に小さな3,4重目が載る望楼型だが、架構は互入通柱構法。


松本城(築城:1593,4年 国宝指定:1952年)撮影日2019.01.17

松本城天守は5重6階で1,2重がほぼ同規模だが、松江城とは異なり2重目に大きな入母屋屋根はなく、2重目から5重目の逓減率がほぼ一定ということが写真で分かる。だが、架構は井楼式通柱構法。

このことについて、著者の麓さんは**望楼型の架構形式をとりながらも、外観は先駆的に層塔型の様式を実現した天守、言い換えれば技術的には望楼型の時代に、外観意匠のみ層塔型としたと見るのが正しい。**(257頁)と解説している。

なるほど。  なぜ、そんなことをしたのだろう・・・。

麓さんはその理由を次のように説いている。**松本城天守は、豊臣政権による徳川家康への牽制・威嚇という戦略的意味が込められ、いまだ技術的には望楼型の時代に、5重の天守としての威容を誇示するために、外観意匠のみ層塔型として作られた。**(260頁)

なるほどねぇ。

今度、松本城を見学する機会があったら、井楼式通柱構法だということを確認しよう。


 


だれが日本を養うのか?

2024-07-24 | A 読書日記


『食料危機の未来年表 そして日本人が飢える日』高橋五郎(朝日新書2023年)を読み終えて、ふと昔読んだ本のタイトルが浮かんだ。その本を自室の書棚から取り出してきた。『だれが中国を養うのか?』レスター・R・ブラウン(ダイヤモンド社)という本で、巻末に発行年が1995年と記されている。30年近く前に読んだ本だ。このタイトルに倣って、記事のタイトルを「だれが日本を養うのか?」とした。


『だれが中国を養うのか?』の章及び節の見出しはそのまま日本に当てはまる。「縮小する耕地」「限界にぶつかる土地生産性」「拡大する穀物不足」「穀物を求める競争」「食料不足の時代が始まる」・・・

スーパーマーケットで買い物する時、産地を確認すると多くが外国産だ。魚、肉、大豆製品、小麦製品・・・。日本は食料を自国で賄うことができず、輸入に頼っていることはみんな知っている。国産にこだわろうとすると品数は少なく、高価だ。

『食料危機の未来年表』を読むと、サブタイトルの「日本人が飢える日」が決してあり得ないことではないのだなと思う。序章に掲載されている未来の飢餓年表によると、2020年の世界の飢餓状態人口は17億3,800万人(世界の人口78億500万人)となっている。実に世界人口のおよそ22.3%、5人に1人が飢餓状態にあることになる。そして2100年には5人に2人が飢餓状態になることが予測され、同表に示されている(世界の飢餓状態人口43億2千万人/世界の人口103億6千万人)。

著者が示すカロリーベース食料自給率は18%で、農水省が示す38%を下回っている。どちらのデータを採るにせよ、日本は食料自給率が低いことに変わりはない。著者の試算による各国の食料自給率(カロリーベース自給率(全穀物・全畜産物)2020年)を見ると、日本は128位(182国中)となっていて、「隠れ飢餓」状態にあると指摘している。

著者は**危機感を煽るようなことは避け、真に国民が知るべきことはなにかということについて、原点に立ち返って考えてみることにしたのである。**(67頁)と記しているが、本書読むと、「日本の現状、まずいなぁ」と思う。

農水省のホームページに載っている食料・農業・農村基本法の第2条には国民が最低限度必要とする食料は、凶作、輸入の途絶等の不測の要因により国内における需給が相当の期間著しくひっ迫し、又はひっ迫するおそれがある場合においても、国民生活の安定及び国民経済の円滑な運営に著しい支障を生じないよう、供給の確保が図られなければならない。とあるんだけどなぁ(太文字化は私がした)。

国際社会が協力してこの問題に取り組まなければならないのに、戦闘機の共同開発なんかしている場合か。


 


「ずっと、ずっと帰りを待っていました」

2024-07-18 | A 読書日記

360
『ずっと、ずっと帰りを待っていました  「沖縄戦」指揮官と遺族の往復書簡』浜田哲二・浜田律子(新潮社2024年)を読んだ。

本書の著者のふたりは元朝日新聞のカメラマンと元読売新聞の記者の夫婦。沖縄本島で戦没者の遺骨や遺留品を収集、身元を特定して遺族に返還する活動にボランティアで取り組んでいる。

**米軍の戦史にも、「ありったけの地獄を集めた」と刻まれる沖縄戦**(12頁)では20万人以上が犠牲となったと言われている。若き指揮官・伊東孝一大隊長は沖縄戦から奇跡的に生還するも、率いていた部下1,000人の9割は戦死していた。終戦の翌年(昭和21年)、伊東はおよそ600通の詫び状を遺族に送る。直後、伊東の元には356通もの返信が届く。伊東はその手紙を70年もの間、保管していた。

浜田夫婦が伊東孝一と面会したのは2016年3月。この時、95歳だった伊東は、**手紙は誰にも見せるつもりはない。私が最期を迎えた時、棺に入れて焼いてくれるよう遺言を残してある。**(8頁)と浜田哲二に伝える。だが、あることを理由に(ここでは書かない)伊東はその後、356通の手紙を浜田夫婦に託す。手紙を世に出して、沖縄戦の真実をより多くの人に伝えて欲しいという願いを込めて。

手紙を世に出すためには差出人(戦死した兵士の妻や父親、母親)の遺族の了承を得なければならない。困難を極める遺族探し・・・。**遺族の死去や転居、地名変更や自治体の消滅など**(11頁)70年の時という高い壁。行政に問い合わせても個人情報保護を理由に回答を拒まれる。それでも2024年2月の時点で手紙の四分の一を遺族に返還することができたという。

本書では25通の手紙が取り上げられている。各々について、伊東孝一の手記や復員した兵士、戦没者やその家族の手紙や証言、その他の記録などを参照して構成された兵士の最期の姿がまず描かれる。続いてその戦没者の遺族探しの様子や出兵前の家族との暮らしの様子などが描かれた後、詫び状を受け取った家族の伊東に宛てた手紙が紹介されている。手紙に書かれているのは伊東大隊長への感謝、困窮する暮らし、父親を知らない幼子を育てる苦労、世間の冷たい視線・・・。

本書の目次には手紙の中の言葉が使われている。
「軍人として死に場所を得た事、限りなき名誉と存じます」
「肉一切れも残さず飛び散ってしまったのですか」
「今は淋しく一人残され、自親もなく子供もなければ金もなく」
「本当は後を追いたい心で一杯なのでございます」
「御貴書により、あきらめがつきました」
「息子の帰りを、一日千秋の思いで待って居りました」
  ・・・・・
どの手紙を読んでも涙が流れる。

そして手紙を親族(子どもや甥・姪ら)に直接手渡した時の様子が描かれる。再婚した母親への不信感が解かれる息子、泣き崩れる妹・・・。それを読んで涙、涙・・・。

1945年(昭和20年)8月の終戦からまもなく79年経つ。だが、太平洋戦争はまだ終わってはいないのだな、と本書を読み終えて思った。

 *****

「新しい戦前になるんじゃないですかね」 

**昨年の暮れ(2022年12月28日)に放送されたTV番組「徹子の部屋」でゲストのタモリは黒柳徹子さんの「2023年はどんな年になるでしょう」という問いに、このように答えた。「新しい戦前」か・・・、私もこの番組を見ていて、なるほど戦後が終って、再び戦争へと向かうような状況になってしまったな、と思った。**(2023年9月12日の記事)

 *****

本書を多くの人に読んでいただきたいと切に願っています。


文中敬称略


海の日に

2024-07-15 | A 読書日記

 今日、7月15日は海の日。海から登る朝日、あるいは海に沈む夕日の印象的な写真が撮れたらいいけれど、ここは海無し県長野だから、ちょっと写真撮ってくる、というわけにはいかない。海釣りの趣味もないし。

廻りを山に囲まれた環境で育つのと、眼前に広がる海を日々目にして育つのとでは志が違ってくるだろうな、と思う。やはり龍馬は後者の環境が生んだのだと思う。廻りを山に囲まれた環境だと、あの山の向うはどうなっているんだろう・・・って思う子もいるだろうが、そこまで見えない世界を広げることができるのかどうか・・・。内側に向かう内省的な人間が育つのだろう。で、海無し県長野から岩波茂雄や古田 晁(筑摩書房の創業者)、小尾俊人(みすず書房の創業者)ら出版人が生まれ育った・・・。これ本当かな、眉唾な珍説をでっちあげちゃったかな。


何かタイトルに海の文字が入る小説やエッセイがないかな、それも文庫・・・。直ちに浮かぶのはやはり『老人と海』だが、自室の書棚にはない。高校生の時に読んだのかな。


2007年に村上春樹の長編小説を集中的に読んだ。今年安部公房を集中的に読んでいるのと同じように。その中に『海辺のカフカ』上下があった。だが今、手元にあるのは『羊をめぐる冒険』上下(講談社文庫)のみ。過去ログ


北 杜夫の『どくとるマンボウ航海記』も忘れちゃいけない。

 
安岡章太郎の『海辺の光景』もある。


南木佳士には『海へ』というエッセイだったかな、がある。南木佳士のこれらの作品も今は書棚にはない。

読んだことがある作品で直ちに浮かぶのはこんなところかなぁ。


フランスの作家・ヴェルコールの『海の沈黙・星への歩み』岩波文庫があった。10代の時に読んだ短編。内容は忘れてしまったけれどタイトルは覚えていた。

帯に**ナチス占領下、深い沈黙を強いられた〝自由の国フランス〟で人間の尊厳を守り自由のために生命を賭けた市民の姿に肉薄する抵抗文学**とある。『海の沈黙』はテレビ番組で紹介され、読んでみようと思ったことを覚えている。書棚から取り出して写真を撮った。


冬の海。五能線に乗って、酒(ビールじゃなくて日本酒)をちびちび飲みながら冬の日本海を見てみたいなあ・・・。人生って寂しいなぁとかなんとか想いながら・・・。


「散華 上下」を読む(加筆)

2024-07-15 | A 読書日記


■ 『散華 紫式部の生涯 上 下』杉本苑子(中央公論社1991年 図書館本)を読んだ。

上下巻各8章、約830頁の長編。副題が「紫式部の生涯」となっている通り、紫式部と後年呼ばれることになる小市が7歳の時から始まる物語には52歳で生涯を閉じるまでの45年間が描かれている。

悲しいかな僕はこの長編を「物語」として読むのに必要な登場人物の名前や人間関係を記憶する能力、短期記憶力が衰えている。老いは容赦ない・・・。掲載されているいくつもの系図を頼りに、あるいはあれこれノートにメモしながら記憶力を補い、何とか読み終えた、というのが本当のところ。

と、断った上で、この小説の圧巻は下巻の「宇治十帖」だと言いたい。「宇治十帖」は杉本苑子さんの「源氏物語論」だ。紫式部は本編をどう自己評価したのか、なぜ続編とも位置付けられる「宇治十帖」を書いたのかについて論じている。

以下、そのように思う箇所を長くなるけれど何か所か引用したい(引用ばかりで気が引けるけれど・・・)。

**宮廷生活の華やぎに身を置き、物語の作り手として賛嘆の声にとりまかれる日常であればあるほど、そこから遊離し、暗い、孤独な淵の底へ、一個の石となって果てしなく沈んでゆく自分を感じる。
そして、そのような心の在り方を透(とお)して、改めて自作を読み返してみると、光源氏はあまりのも理想の人、美と栄光の権化でありすぎた。**(下巻319頁) 
このような反省を小市(紫式部)にさせて、その理由を内省的な性格に生まれついたことに因ると杉本さんは書いている。

**(このままでよいのか? 物語のどこに、わたしがいる? わたし自身の本当の声は、どこに聞こえる?)**(下巻321頁 太文字化は私)
**別人の作とすら思えるほど、しかし『宇治十帖』から受ける印象は前作とは異なっていた。**(下巻327頁)
杉本さんはこのように書き、続けて具体的にどう違うのか、指摘している。
**文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」ということだろう。(中略)小市の――紫式部の『源氏物語』ではなく、その読み手自身の『源氏物語』なのである。(中略)数知れぬ読者の、主観や個性に合せ、その側におりて行って多様な注文に応じきることなど、しょせん一人の書き手にできることはない。することでもない。
では、どうすればよいか。答えはただ一つ、作者は自分のためにのみ書き、自分の好みにのみ、合せるほかないのだ。すべての読者が、おもしろくないと横を向いてしまっても仕方がない。自分が「よし」と思うその気持ちに合せて書く以外に、拠りどころははない。**(下巻333頁) 
このような指摘は言うまでもなく、同じ書き手としての杉本さんの文学論でもあるだろう。

以上のように書かれている「宇治十帖」を読んで、同じようなことを書いたな、と次の記事を思い出した。

**『源氏物語』全五十四帖のうち、最後の十帖が「宇治十帖」で、ここに最後のヒロイン・浮舟が登場する。柴井さんの見解によれば、浮舟はこの長大な物語の主人公、また三田村さんは浮舟に紫式部の願いが投影されていると指摘している。この「宇治十帖」については紫式部ではなく別人が書いたのではないか、という説が昔からあるという。ぼくもこの説を唱える本を読んだ。だが、ぼくはただ単に願望として、紫式部がしがらみを解き、書きたいことを書きたいように書いた結果だと解したい。**(拙ブログ2024.05.14の記事から引用した。文中の太文字化は本稿でした)

やはり、そうですよね杉本さん。

1月に始まった大河ドラマ「光る君へ」も前半が終わったが、まひろ(紫式部)はまだ「源氏物語」を書き始めていない。『散華』でも上巻ではまだ小市は書き始めない。貴族社会の次のような現実を冷徹な目で観察している。
**表面、優雅な日常の裏で、血で血を洗う苛烈な闘争がくり返されてきたのは、勝者の側に立つ者と、敗者の側に押しやられる者との明暗が、あまりといえば際だつからであった。追い風を受けていったん上昇気運に乗れば、栄華の極みにまでのぼりつめ、その逆だと乞食すれすれの境遇にも堕ちかねない。明と暗、栄光と没落の図式が極端に別れるところに、この時代の貴族社会の、むごたらしい現実が露呈していた。**(下巻330頁)

小市が次第に書いてみようかなという気持ちになっていく様も描かれている。

貴族社会における恋の不条理さを言う小市に向かって、叔母(父親の為時の妹)の周防は言う。**「難のない人間はいず、不条理や不公平を伴わない愛もない。それが現実ならば、せめて物語の中ででも、理想の男性像を求めるしかないわね。小市さん、書いてみたら?」**(上巻420頁)
おそらく小市もこの様な気持で書き始めたのだろうが、次第に光源氏が自分の気持ちと乖離していき、結果として続編「宇治十帖」を書くことになったということだ。

**幾度となく読み返し、一字一字、引き写していくうちに、文字の背後にひそむ底力のごときものに小市は触発され、わしづかみにされて、
(書いてみたい! わたしも!)
激しい願望の虜となった。
(あの人に書けるなら、わたしにだって・・・・・)
でも、それは単なる比較でも競争心でもなかった。『枕草子』を凌ごうなどという気はまったくない。清少納言と張り合うつもりも、微塵もなかった。**(下巻159頁) 
そうかなぁ・・・。

**「和泉式部は情の人、清少は感性の人、そしてわたしは・・・・・」理の人とでも位置づけて、書きつづけるほかないと小市は思う。**(下巻275頁)
和泉式部、清少納言(よく分からないけれど清少納言を清少としている箇所がある)そして紫式部。平安の女流作家3人に対する杉本さんの寸評ということになる。なるほど、これは覚えておきたい。

文芸作品の読まれ方は、「百人読者がいれば、百通りある」と書いてあった。だからこんな読み方をしても構わないだろう・・・。

**「ながいこと本当にごくろうさまでしたね紫式部。わたくしたちばかりでなく、源氏物語ははるか後の代まで生きつづけ、たくさんの人々に読まれつづけていくことでしょう。物語の命、その力に較べたら、一ッときを支配する権力など、儚いものですね」**(下巻334頁)
これは杉本さんが彰子中宮に語らせた労りの言葉。


大河ドラマ「光る君へ」は恋愛ドラマだと思うけれど、『散華』にはあまりそのような雰囲気は感じない。ともに紫式部の生涯を描いているけれど、テイストはかなり違う。