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■「看板建築」、今から30年くらい前に建築史家・藤森照信さんよって命名された。その定義は必ずしも明確ではないように思うが、手元の資料「看板建築考 様式を越えて」横手義洋(10+1 NO.44 特集藤森照信/INAX出版に収録されている論考)には木造商店の表側をついたてのようにつくりそこに面白い装飾をつけた住居併用商店建築と説明されている。
私は①の写真(060408銀座にて撮影)のような銅板一文字(亀甲張りや菱張りなどもその仲間)張り又は②のようなモルタル装飾仕上げのフラットなファサードの木造商店建築だと勝手に解釈している。但し狭義には銅板仕上げに限定したい。そして所在地は東京に限定。
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先に挙げた資料で横手さんは**一般に観察される看板建築は藤森の観察眼をはるかに越えてC級以下のものにまで展開し、その発見される地域も銀座や日本橋をとりまくドーナツ状地帯のさらに外縁、さらに、地方都市にも広がってゆく。(中略)名称の認知度が上がるにしたがい拡大解釈され、命名者藤森の手から巣立ってゆく。**と指摘している。
③は松本市内で昨日(080617)撮った写真。手前の白い建築は「白鳥写真館」、この建築が修復・再生されることを報じた地元の新聞(タウン情報071222)には**「看板建築」と呼ばれる内部は木造、外壁はコンクリートという造り。**などと意味不明な説明がなされている。
私が狭義に捉えている外壁が銅板張りの看板建築は今や絶滅危惧建築だ。保護する手立てはないものだろうか・・・。