透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

今回も建築の保存について少しだけ考える の巻です。

2008-06-10 | A あれこれ

前稿からの続き。

 保存するか否か、民間の建築についてはオーナーの意向で決まることは明らかで、そこに住民の要望が反映される余地など皆無に等しいと思います。もちろん例外もあるとは思いますが。事実ギャラリートークで参加者の質問に対して村野藤吾研究会の森さんはそのように明言していました。

文化的な価値があると社会的に認知されている公共建築も「残す」か「残さない」かは住民の意向によって決められているかのようにみえても実は案外極少数の人たちによって決められているのではないか、そう思います。

その際キーマンが個人的にその建築に愛着を感じているかどうか、建築は文化だという見識を持っているかどうかがその判断を決するのではないかと思うのですが、明確な根拠を示すことができるわけではありません。

住民はその結論の駄目押しにうまく利用されているに過ぎないのではないか(言葉が適切でないかも知れませんが)・・・。 おっと話があぶない方向に進みそうです。

 朝のラジオ番組「日本全国8時です」の火曜日のゲストは詩人の荒川洋治さんです。今日(6月10日)は時の記念日、ということで「建物と時の流れ」というテーマで話が進みました。「雪は天から送られた手紙」という言葉で有名な科学者、中谷宇吉郎氏を取り上げ、氏が古い建物には記憶する力があり、知識が染み込んでいるということを書いていると紹介していました。科学者とは思えないような文学的な表現ですが。

古い建物が発する何とも言い難い独特の雰囲気はそこに歴史が記憶されているからなんだと合点が行きました。

今回も途中ですがこの辺で。 


建築の保存について少しだけ考える の巻(修正稿)

2008-06-10 | A あれこれ

 前稿で村野藤吾の晩年の作品である八ヶ岳美術館で開催された長谷川尭さんの講演とギャラリートーク(実質的には天井のカーテン工事を担当した保科功さんの体験談)について書きました。

ギャラリートーク終了後の質疑応答で既にいくつかの村野作品が取り壊されてしまっていて保存はなかなか難しいということが話題になりました。例えば松寿荘(民間会社のゲストハウス)は竣工が1979年ですが既に2003年に取り壊されています。経済的な理由だと聞いています。更地にして売却されたそうで、土地を取得した不動産会社によるマンション建設の計画があるそうです。また村野さんの出身大学、早稲田大学の文学部校舎も解体が決定しているとか(既に解体工事が始まっているとも聞きますが)。

八ヶ岳美術館は地元原村出身の彫刻家、清水多嘉示の作品の寄贈を受けて計画された村立の美術館です。この美術館を村民は誇りにしているとは言え将来取り壊される可能性が皆無だとは断言できません。芸術的な価値が高いと評価されている絵画でしたら退色したことなどを理由に処分されることなど考えられませんが、建築は絵画や彫刻などのような純粋芸術ではなく基本的に人の生命と財産を守るという使命を負うているわけですから、それが保障できないという事態になった時、選択肢として解体もあり得るからです。文化勲章受賞者の村野さんの作品とて例外でないということを既にいくつかの作品が解体されてしまったという事実が示しています。

建築を経済活動(経済活動に限りません、建築の機能に応じて文化活動であったり教育活動であったりもしますが)の単なる「手段」と捉えることが一般的なこの国の実情からすれば、建築の保存など、何それ?どうして?ということなのでしょう。

もちろんこの国にも建築の文化的な価値を認めて積極的に保存している自治体もあるそうで、しばらく前に取り上げた「函館の弥生小学校の保存」について書いているyayoizakaさんのブログにはその例として東京都中央区が紹介されています。関東大震災後の復興事業として建設された復興小学校が前述の判断によって積極的に残され今でも使われているそうです。同様の例は民間企業にもあります。要は建築の捉え方、認識の問題だろうと思います。


以下削除しました。稿を改めて続きを書く予定です。