■ ほうば巻で一息。
さて、前稿の続きを。 経済を採って文化を捨てたこの国で(ちょっと表現が過激に過ぎますか)、文化より経済を優先しているこの国で民間の建築を保存することは困難だということには前稿で触れました。
公共建築とて事情に違いはあまり無いような気がしています。文化的な価値があるということが建築の保存について大きな力になるなどとは言えないのが現状でしょう。
学校でさえ文化的な価値などあまり考慮されること無く、いとも簡単に取り壊して新築してしまう・・・。教育環境に文化的価値など不要というのも如何なものかと。
前稿に書いた中谷宇吉郎は古い建物の実験室では学生たちの実験がスムーズに進むと実感していたようで、そのことについて自身の著作で触れているそうです。このようなことがもし実証されれば、自治体の首長も学校の改築について違う結論をあるいは出すかもしれませんが、無理でしょうね。
このブログでは政治的なことには触れないことにしています。公共建築を残す、残さないについて、政治と切り離して述べることは無理だということを承知で試みましたが、やはり難しいです。
途中省略で最後のまとめを簡単に。
ある建築を取り壊すという結論に異を唱えてその方針を変えさせようとするならば、地元住民の声をそのように「つくらなければならない」でしょう。かなり難しいことだとは思いますが・・・。