透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

棟石の民家

2019-01-20 | A あれこれ

 33会で松江旅行をしたことは既に書いた。旅行中、瓦屋根の棟の両端が反っている民家があちこちにあることに気がつき、このブログにも載せた。また瓦屋根の棟に石が使われている民家があることにも気がついていた。




松江で宿泊したホテルの部屋の窓から撮った写真 撮影2019年1月

蔵の瓦屋根の棟に石が使われている。ネットで調べてみると使われている石は地元の松江市宍道町来待地区で産出される凝灰質砂岩の来待石のようだ。




松江の民家 撮影2019年1月

松江市内でこんな立派な民家(このような建築を民家と呼んでいいものかどうか)も見かけた。やはり棟が石でつくられていて神社の鳥居のように反っている。

昔は物流エリアが限定的だから民家の建設は地産地消だ。以下、昔撮った写真を載せる。


茅野の民家 鉄平石一文字葺きの屋根 撮影1979年5月 40年前の写真 月日の経つのは早い。


新島の民家 抗火石の屋根と塀 撮影1980年7月


対馬の民家 砂岩の屋根 撮影1981年9月


 

 


松本城天守へのアプローチ動線

2019-01-20 | A あれこれ


国宝 松本城 撮影日190117



■ 松本城の公園(上図で現在地と赤文字で示されている場所)には①の図が掲示されている。この図を見ると観光客にも人気の女鳥羽川沿いの縄手通り辺りはかつて松本城天守を3重に囲む堀の一番外側の総堀(図中紫色の線で輪郭が表示されている)だったことが分かる。ちなみにこの図の城にアプローチする大名小路は現在の大名町通り。




松本城(松本市)のホームページに示されている案内図(動線を加筆した)

③の図で分かるように現在は外堀の南側・西側が埋め立てられている。

観光客は黄色い線で示した動線で黒門から本丸庭園、天守へとアプローチするが、元々は朱色の線で示した太鼓門から外堀の内側に入る動線だった。このことを太鼓門の近くに設置されている②の図は示している。黄色い動線と朱色の動線とでは当然のことながらシークエンス(連続的に展開する場面の様子)が全く違い、城全体の空間構成の印象も全く違う。

 

③の図の印の位置から黄色い動線を見る。




太鼓門 撮影日190119

③の図で朱色で示す動線、太鼓門からのアプローチの様子。動線は長くなるが、こちらが天守への本来のアプローチ。

ところで松本市は外堀の復元計画を進める予定だったが、掘削予定の場所の土壌の汚染(自然由来の汚染だそうだ)が確認されたため、堀の掘削復元をしないで、堀の範囲を平面的に表示する平面整備に変更することを決定した。土壌汚染の処理に要する多額の費用は法的にその土地の持ち主であった個人の負担になるとのことだ。

平面整備なら現在の黄色の動線はそのままになるのだろうが、本来の朱色の動線に限定してしまったらどうだろうと私は思うのだが・・・。

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松本市内の古書店で100円で買い求めた3枚続きの絵はがき(明治18年の旧制松本中学の開校式の絵図)


上掲の絵はがきに描かれている橋の写真   松本深志高校創立140周年企画展(2016年)


外堀に橋を架けてショートカット動線(黄色の動線)を確保していた時代もあった。