透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

33会旅行 ついでにマンホール蓋

2019-01-14 | B 地面の蓋っておもしろい




撮影日190111(2枚とも)

松江市のマンホール蓋には武家屋敷の長屋門がデザインされている。周囲にMATSUE-CITY OSUIの文字あり。



撮影日190112

旧平田市(出雲市平田町)のマンホール蓋 湖遊館と魚(何だろう)。ひらた湖遊館 自然へ返す思いやり おすい の表記あり。



撮影日190112

旧大社町(出雲市)マンホール蓋には日御崎(ひのみさき)灯台、経島の断崖と町の鳥・ウミネコ、左下にグラスボート。灯台マニアにはたまらない蓋だと思う。



撮影日190113

境港市のマンホール蓋は当然の如く鬼太郎。このデザインは設置エリア限定で他のデザインもあるのかもしれない。


撮影日190113

蓋の中心に境港市の市章「さ」。菊花紋章のようなデザイン。汚水の表記あり。


 
入手日190112 JR安来駅の観光協会の出先窓口で入手した。





 


33会旅行 フォト日記3

2019-01-14 | A あれこれ

1月13日(

水木しげる記念館@境港市



冬、山陰地方にしてこの晴天!

朝早くにホテルの大浴場で温泉に浸かり、朝食を済ませてチェックアウト。歩いて昨日と同じ松江しんじ湖温泉駅へ。駅前広場で9時10分発の境港直行バスに乗り、鳥取県の境港市へ向かう。所要時間は約1時間。

バスの窓外を流れる景色を見ていると、消防倉庫が・・・。その横にコンクリート製の消火ホース乾燥塔が立っていて、半鐘が吊り下げてあるのが見えた。残念ながら写真を撮ることはできなかったが、松江にも火の見櫓(火の見柱)があることが分かった(場所のあたりをつけてストリートビューで捜し、難なく見つけることができた)。


ストリートビューで探した火の見柱 松江市朝酌町


途中、江島大橋(通称ベタ踏み坂)を渡る。

境港に到着する。




境港駅近くの交番にも鬼太郎が立っている。


理髪店にも鬼太郎がいる。


トイレのピクトサインは鬼太郎とねこ娘


ベンチにねずみ男が寝ている。


米子と韓国ソウル、香港との間に定期便が就航している。街なかの案内看板にも韓国語、中国語の表記がある。


水木しげるワールドな境港




公共桝蓋に描かれている鬼太郎、ねこ娘、ねずみ男(他のキャラクターもあり)

境港駅から歩いて10分くらい水木しげるロードを進むと水木しげる記念館に着く。


水木しげる記念館外観





記念館を一通り見て、駅に戻る途中で食事をする。「和泉」はT君が旅行に出かける前に調べておいてくれた店。少し早い時間に入って正解だった。しばらくすると順番待ちのお客さんが出るほどになった。



海鮮丼を食す。新鮮な刺身、すこぶる美味。みんなで「昼間っからビール」。ああ、これが幸せでなくて何であろう・・・。



境港駅前から米子空港までは、ほとんど車が走っていない生活道路を走るマイクロバスで移動する(運賃は一律100円)。予定通り13時半過ぎに空港に着く。


鬼太郎に見送られて2階の搭乗口へ移動する。



ボーディング・ブリッジの壁面に因幡の白うさぎの文字がある。何かの宣伝かな。定刻の14時35分に出発、米子を後にする。


羽田に定刻15分前に無事到着。

空港からバスで帰るという〇さんと別れた後、帰りのあずさのきっぷをみんなに渡す。これで幹事の役目終了。モノレールで浜松町へ、山手線に乗り換えて新宿駅へ。新宿駅で弁当と缶ビールを買う。18時ちょうどのあずさ2号じゃなかった、スーパーあずさ29号で寒い長野に帰る。

参加者の日頃の行いが良いのだろう、3日間とも雨にあうこともなく過ごすことができた。皆気配りのできる大人、今回も大変楽しく、思い出に残る旅行になった。

参加者には感謝する。後は私が撮った写真をプリントして渡すだけ、かな。スマホで写真を撮って、LINEで送るというのはアナログ人間の私には無理。

以上で33会の旅行 フォト日記、終了。後はマンホールの写真をアップするだけ。


 この日の歩数:6279歩


33会旅行 フォト日記2

2019-01-14 | A あれこれ

1月12日(

出雲大社 足立美術館


松江しんじ湖温泉駅 モダンなデザイン



松江しんじ湖温泉駅から一畑電車で出雲大社へ 

私だけ先に7時23分発の電車でこの駅と出雲大社前駅の中間にある雲州平田駅(出雲市平田町)に向かう。雲州平田駅の近くに火の見櫓が立っているはずだ。

雲州平田駅で下車して歩いて現地に向かう。

 

無い、無い、火の見櫓が無い・・・(右はストリートビューの画像)。



近くで見ると、コンクリート基礎に鉄骨造の火の見櫓の痕跡だけが残されていた・・・。1辺が約95cmの正3角形の火の見櫓だったことが分かる。ストリートビューの情報は更新されないのだろうか、以前も茨城県まで出かけたものの撤去されてしまっていたことがあった。近くにいた年配の女性に訊くと2、3年前に消防署が移転され、その時に撤去したとのことだった。

駅の近くをしばらく散策する。民家の瓦屋根の棟が直線ではなくて両側が反っていることに気がついた。直線的な棟もあるが、中にはこの民家同様、反っているものがある。





この屋根棟なら反っていることが分かる。

火の見櫓が撤去されてしまっていたのは残念だったが、このような特徴のある民家を見ることができて良かった(と自分に言い聞かせる)。



一畑電車出雲大社前駅に着く。プラットホームの特徴的な屋根に目が行く。


出雲大社前駅

1930年(昭和5年)開業
1996年(平成8年)登録有形文化財
2009年(平成21年)近代化産業遺産


松の参道を行く旅行参加者


四の銅鳥居越しに出雲大社の拝殿を見る


拝殿 2礼4拍手1礼

民家の瓦屋根の棟のカーブはこの鳥居から来ているのかもしれない、とT君。なるほど。この地方の茅葺きの民家の棟は大きく反っているが、私はそのなごりではないかと思っていた。そしてこの反り付きの棟は朝鮮半島から伝わってきたものではないか、と。この特徴的な形の茅葺の民家が車窓から2、3軒見えたが撮影出来なかった。


スサノウノミコトを祀る素鵞社(そがのやしろ) 




神楽殿


神楽殿の巨大な注連縄(2018年7月に架け替えられたとのこと)

神門通り沿いの食堂で昼食、出雲そばを食す。T君と私は+ビール。食事を済ませて二の鳥居のすぐ近くのスターバックスのところからバスに乗り、JR出雲市駅へ。


和風にデザインされたスターバックス外観

出雲市駅13時31分発特急やくも20号(確か岡山行き)で安来に向かう。



安来と言えば安来節 安来節といえばどじょうすくい。で、安来駅前のロータリーのセンターラインにもどじょうが描かれていた。駅から無料のシャトルバスで足立美術館に向かう(所要時間約20分)。

美術館の展示室の作品はもちろん撮影できないが、庭園の撮影は許可されている。












足立美術館の日本庭園 

旅行社から渡されたチラシの記事によるとアメリカの日本庭園専門誌「The Journal of Japanese Gardening」のランキングで2003年から連続して日本一に選出されているという5万坪の庭園。きちんと手入れされた庭園は鑑賞眼など無い私でも美しいと思う。

展示されている数多くの作品の中で、現代日本画を時間をかけて鑑賞した。

日程表では安来駅を16時28分に出る特急で松江に戻る計画になっていたが、17時54分発の電車に変更した。




駅の小屋組み



松江に戻って、駅前の居酒屋で宴会をする。前の晩の夜更かしのためか、アルコール摂取効果か、10時ころにはベッドにもぐりこんでしまった・・・。


この日の歩数:11647歩
 


33会旅行 フォト日記1

2019-01-14 | A あれこれ

1月11日(金)

羽田から空路 松江へ



 昨年(2018年)の8月、33会の暑気払いで早々と今回の旅行の行き先が決まっていた(過去ログ)。旅行社から受け取った旅行日程表には「ご縁の国しまね 出雲路」と表記されている。

11日朝、塩尻駅に集合。08:09発のスーパーあずさ62号で東京駅に向かう。今回の参加者はちょっと少なくて6人(男性2人、女性4人)。浜松町駅からモノレールで羽田へ。羽田空港第2旅客ターミナル出発ロビーで東京から参加の〇さんと合流。今までは1泊旅行ばかりで、今回初めて2泊の旅行となった。飛行機での移動も初めて。





羽田空港第2旅客ターミナルのサテライトからANAA1087便で米子空港に向かう。



席は窓側 山梨県上空で整った円錐形の富士山が見えた。
やはり富士山はこの国のランドマークだ。



名古屋、琵琶湖から先の上空 この季節の日本海側は曇天の日が多い。



米子空港から松江駅へ直通バスで移動する。

松江駅前の食堂で遅い昼食、海鮮丼を味わう。なかなか美味。
松江市内のホテルにチェックイン。部屋から松江城が見えた。休む間もなく徒歩で松江城に向かう。



石垣に圧倒される。すごい! 

石工が遊び心で花のように石積みをしてあるところがあるとT君。石垣をよく見るとあちこち花のように積んである(ように見えるだけではないと思う)。






1611年(慶長16年)築城の松江城 2015年(平成27年)に国宝に指定された。松本城と比べるとバロックな雰囲気だ。

チケットには**天守は、付櫓を加えた複合天守で高さ30m、外観5層、内部は6階となっており、最上階は望楼式で、下見板張りの壁や狭間、石落しなど実践本位で安定感のある武骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な姿をつたえている。(中略)城主は、堀尾忠晴、京極忠高の後、徳川家康の孫にあたる松平直正が信州松本から移封され、以来、松平氏10代234年間にわたって出雲国を領した。**とある。そう、ここ松山は松本と縁がある都市なのだ。出雲そばも信州から伝わったと聞く。




望楼式天守から望む松江の夕景 

閉門の5時に城を出て、街なかを歩きながら飲み屋を探す。年はじめの週末金曜日、よさそうな店に入るも、どこも宴会(新年会)の予約で満席とのこと。



ようやく見つけた「こまめ」は開店前だったが、中にに入る。細面で鼻梁が通った美人女将がひとりで切り盛りしている小料理屋。

カウンター7席と小上がりのみのこじんまりとした店内。小上がりは6人という人数にピッタリサイズ。スペースが広すぎると落ち着かないものだ。藁すさ入りの左官仕上げの内装、広すぎず明る過ぎず実に心地良い空間。  



気の置けない仲間とじっくり飲むのもよいものだなあ。



店を出る時、女将の名刺をいただく。Sさん。 残念、名刺を持ってこなかった。

この後、もう一軒はしご。その後ホテルに戻り、私の部屋に全員集合、夜更けまで飲む。


 この日の歩数:7403歩