透明タペストリー

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「境界の日本史」

2020-01-04 | A 読書日記

 箱根駅伝の後は読書に集中できて『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』森先一貴・近江俊秀(朝日選書2019)を読み終えた。

この本には日本列島に引かれた境界線を示す図がいくつも載っている。それがテーマだから当然と言えば当然だが。

縄文時代に時期を越えて認められる地域間の境界線は日本列島を大きく5つの領域に分けている。境界線の内の1本は本州を2つに分ける線で、若狭湾と伊勢湾を結ぶ線(117頁)。

土器からみた弥生前期の地域性では2本の線が列島を3つの領域に分けているが、その内の1本は上記の縄文時代の境界線と重なり、若狭湾と伊勢湾を結ぶ線だ(159頁)。

この列島を東西に分ける境界線は、**七世紀後半になると東西を分ける明確な境界が設けられ、東と西が強く意識されるようになる。その境界が、鈴鹿、不破、愛発(あらち)の三関である。**(260頁)

若狭湾、琵琶湖、伊勢湾を結ぶこの位置が、列島で一番細いところ、「ウェストのようなくびれ」だ。ここに上記のような日本を東西に分ける生活文化的な境界線があったというのはこのような地形と関係しているのだろうか、まあ、無関係ではないと思うがどうだろう。

この境界線上の関ケ原が「天下分け目」の合戦場になったというのも全くの偶然ということでは無く、東西を結ぶ街道の結節点だったことに因る。列島に「くびれ」が無かったら、結節点がここに出来ていなかったのでは。そうすればこの国の歴史が変わっていたかもしれない、きっと変わっていただろう。

『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫2016)に続き、この本を読んで、正月早々突拍子もないことを考えた。