透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「安部公房とわたし」山口果林

2020-01-11 | A 読書日記



 松本市のホテル花月の向かいにある想雲堂には、飲み会の二次会で時々行く。ここは「古本喫茶」で酒も飲める。本に囲まれて飲む酒も良いものだ。昨夜(10日)も新年会の後の二次会でここで飲み、『安部公房とわたし』山口果林(講談社2013)を買い求めた。タイトルを左から「山口果林とわたし」安部公房と読んではいけない。右から、右から。

一次会でほろ酔いになった頃、好みの女性のタイプを訊かれ、私は山口果林の名を挙げていた。映画「砂の器」に出演した時の彼女は魅力的だった(過去ログ)。当時27歳。

今日、この本を読んだ。

**安部公房と私との生活は全く無視され、私は世間から透明人間にされてしまった。**(216頁) 

透明人間にされた山口果林が存在証明のために、自己回復のために綴った自分史。

巻末のプロフィールによると、山口果林は1947年生まれ。ということは72歳か・・・。時は流れる 人は歳をとる


 


「国語教育 混迷する改革」

2020-01-11 | A 読書日記

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 通勤途中に松本市内は渚のスターバックスでコーヒーを飲みながら小一時間読書をする。日常の中に非日常なひと時を取り込もうという目論見で始めた朝カフェ読書、それが今や週2回となって日常生活の一部となった。読む本は隣接するTSUTAYAで買う。この書店のセルフレジにもすっかり慣れた。スタバとTSUTAYA、両店がひとつの店になればいいのにな、と時々思う。

昨日(10日)、新書の新刊『国語教育 混迷する改革』紅野謙介(ちくま新書2020)を買い求めてスタバへ。座る席はいつも同じ、2階の8人掛けの大型テーブルの端。

本の帯に**大学入学共通テスト・新学習指導要領を徹底検証。“戦後最大の教育改革”の構造的欠陥とは。問題は「記述式試験」だけではなかった!**とある。国語力の低下は思考力の低下をも意味する。なぜなら、言葉によって(私たち日本人は日本語によって)ものごとを考えるのだから。

国語力を身につける機会は何も学校での国語教育に限られるわけではない。だが、その大半は高校までの国語教育に依るところが大きい。その改革が混迷しているということに、教育関係者でもない私だが、無関心ではいられない。昨年末に『ことばの教育を問いなおす』を読んだが、その類書だ。この3連休に読みたいが、昨晩買い求めたもう一冊の本(*1)を先に読もうと思う。


*1 もう1冊の本のことは別稿で。