■ 去年の年末かな、書店で『Y字路はなぜ生まれるのか?』重永 瞬(晶文社)をパラパラと立ち読みして、Y字路がぼくの脳にインプットされてしまったようだ。
33会の旅行で九州に出かけた時、小倉の旦過市場の近くでY字路に遭遇して、写真を撮った(左)。この時は気がつくと同行者がかなり先を歩いて、急いで追いついた。これはもう、Y字路を意識している証拠だ。
そして・・・、昨日(19日)善光寺から長野駅に歩いて戻る時、Y字路に遭遇して、写真を撮った(右 北石堂町)。Yという文字の上半分のV、この角度によって、くさび形の敷地の尖端部分の処理の仕方が違うということは容易に想像がつく。
このような敷地に建物を計画する場合、敷地をできるだけ有効に利用することと、建物を構造的に、そして平面計画的にも成立させるということとがせめぎ合う・・・。単なる空地とか、花壇のような処理ではなくて、出来るだけ先っちょまで攻めて欲しいなあ。たい焼きだって、シッポの先まであんこが詰まっていたほうがうれしいじゃないか。これは、関係ないか。
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東筑摩郡山形村 撮影日:2010.06.12
Y字路に火の見櫓が立っていることもあるが、前述したことの意味は後ろの建物をもっと先まで攻めて、火の見櫓を建てるスペースが無いようにして欲しいということだ。
街歩きをすれば、Y字路に遭遇することも多いだろう。そこを観察すれば、おもしろいだろうな。火の見櫓は地図では探せないけれど、Y字路は探すことができる。道路は地図の最も基本的な情報だから。
これは、沼りそう。既に沼ったかも。まずは何か所か観察することから始めよう。それから『Y字路はなぜ生まれるのか?』を読まなきゃ。
小倉の旦過市場の近くのY字路 2025.01.10(左)と長野の北石堂町のY字路 2025.01.19(右)