■ 松本清張の『砂の器』について、**映画の「砂の器」はストーリーがすっきりしているが原作はごちゃごちゃしていると評されてもいる。**と昨日(3日)の記事に書いた(過去ログ)。
このことが載っている本が分かった。『脚本家・橋本 忍の世界』村井淳志(集英社新書)に**とにかく話がゴチャゴチャで、殺人方法はSFじみていて嘘臭いし、人物描写が類型的で押しつけがましい。ところが橋本 忍の脚本は、そうした原作の問題点をすべて殺ぎ落とし、原作のよい点だけを、極限まで拡大したのだ。**(167頁)とある。原作に手厳しいが、これには橋本 忍の脚本がいかに優れているかを強調したいという意図もあるだろう。確かに僕も原作より映画の方が好きだが。
松本清張は『砂の器』にいくつものトリックというかアイディアを惜しげも無くつぎ込んでいる。カメダ(羽後亀田、亀嵩)、ズーズー弁**「出雲のこんなところに、東北と同じズーズー弁が使われていようとは思われませんでした。」**(166、7頁)、終戦間際の大阪空襲による戸籍焼失とその復活方法(*1)・・・。これらが事実に基づいているところが松本清張のすごいところだし、作品の魅力でもある。上掲本で殺人方法はSFじみていて嘘臭いとされた超音波による殺人も可能なのだろう。清張はきちんと調べて裏を取っているはずだ。小説では今西刑事が都内の大学を訪ね、教授に取材しているが、同じようなことをしたのかもしれない。
これでしばらく清張作品から離れることにする。
*1 『日本の無国籍者』井戸まさえ(岩波新書)にも戦争や災害による戸籍の大量滅失はいつ誰にでも起こりうることが書かれている。