透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

キミの名は?

2017-06-12 | D キミの名は?


撮影日170411 

■ 久しぶりの野鳥観察。休日の朝5時過ぎに自宅の窓から見える柿の木の枝に大きな野鳥がとまっていた。窓を開けても飛び去る気配がなかった。

キミの名は? キジバトだと思うけれど、違うかな・・・。野鳥図鑑で調べて頚側のうろこ状の斑紋が特徴だと知った。この写真には写っていないけれど・・・。


 


831 木曽町日義の火の見櫓

2017-06-12 | A 火の見櫓っておもしろい


831 木曽町日義 木曽町役場日義支所の近く 撮影日170610

■ 
ラチス柱はこの火の見櫓用としてつくられたのではなく、梁材を転用したのではないかと思われるが本当のところは分からない。転倒防止用のステー(つっかい棒)をあてがい、正面側に梯子と床面を取り付けて火の見櫓として整えたというところか。

既に何回も書いたことだが、半鐘の上に切妻の小屋根を架けているのは、地元の人たちの半鐘をいたわり、大切に思う気持ちの表われで、好ましい。


 

 


木曽町(旧日義村)のマンホール蓋

2017-06-12 | B 地面の蓋っておもしろい


419 木曽町日義 撮影日170610



◎ 日義という村名は朝日将軍木曽義仲に由来するとのこと(*)。蓋の笹りんどうは義仲の家紋とも言われている。


 義仲は木曽山中(旧日義村宮ノ越)で育ち、そこから挙兵したというのが通説となっているが、これに異を唱えた学者がいた。重野安繹(しげのやすつぐ)という明治時代の歴史家がその人。

明治27年に松本中学(現松本深志高校)で「義仲松本成長説」の講演をしている。

義仲を匿った中原兼遠(義仲の乳母の夫)は信濃国の権守であったために信濃国府のあった松本で信濃国中の政務を執っていたはずで、義仲は兼遠のいた松本、今井兼平の居住する今井村(松本市今井)、樋口兼光が居住する樋口村(調べてみると現在の辰野町樋口のようだ)の間で26、7歳のころまで成長したというのが講演の要旨。今井兼平と樋口兼光は共に中原兼遠の子どもといわれ、義仲四天王とされている。


830 木曽町新開の元火の見櫓

2017-06-12 | A 火の見櫓っておもしろい


830 木曽町新開の元火の見櫓 撮影日170610 

 半鐘が撤去されており、火の見櫓としての機能を失っている。だから厳密には火の見櫓ではなく、「元」火の見櫓だが、私は同等に扱っている。櫓の中間に消防信号板が残っているから、かつては火の見櫓だったということが分かる。前稿の火の見櫓と基本的には同じ構造。櫓の横に梯子を掛けていることが前稿の写真より分かりやすい。







木曽町(旧木曽福島町)のマンホール蓋

2017-06-11 | B 地面の蓋っておもしろい


624   木曽町(旧木曽福島町)のマンホール蓋 撮影日170610



 幾何学的なパターンは人によって見えるものが違う。

私には円を8分割する縦・横・斜め8本の直線がそれぞれ水という漢字を縦に3つ繋いでいるように見える。その間の各部分はとんがり山に見える。木曽の山と川をモチーフにしたデザインと解せるのではないかと思う。

上に木曽福島町のローマ字表記、下に下水道の英語表記がある。



 


826 王滝村の火の見櫓

2017-06-11 | A 火の見櫓っておもしろい


826 王滝村 役場・JA木曽王滝支所近く 撮影日170610

 こんなところになぜ火の見櫓?と思ってしまう。この火の見櫓を建てた頃とは周辺の環境が変わってしまったのであろう。



見張り台の床の一部を欠きこんで、そこに梯子を架けるという方法がこの火の見櫓でも採られている。



脚元に蔓性植物が繁茂している。廃墟ならぬ廃櫓。このような姿を見るのは辛く悲しい。


 


825 大桑村須原の火の見櫓

2017-06-11 | A 火の見櫓っておもしろい



須原は中山道の宿場だった


825 木曽郡大桑村須原 撮影日170610

街道添いに連なる平入、切妻屋根の家々。昔は杮(こけら)葺きの石置き屋根だった。鋼板で葺き替えられている。緩勾配だから瓦葺きでは雨仕舞い上支障をきたすおそれがある。

*****

街並みを俯瞰するような場所に火の見櫓が立っている。見張り台にモーターサイレンが設置され、半鐘は床から吊り下げてある。始めからここに吊り下げてあったのではなく、移し変えたと考えられる。サイレンを設置するために屋根を撤去し、柱を切断して架台に改修してしまったとしたら、残念。屋根付きの火の見櫓だったらよかったのに・・・。







見張り台を下から見上げる。4角形の櫓に8角形の見張り台。

この火の見櫓は中央西線のすぐ近くに立っている。以前、特急しなので名古屋に向かう時、車窓から見えたのはこの火の見櫓に違いない。


 


824 南木曽町吾妻の火の見櫓

2017-06-11 | A 火の見櫓っておもしろい


824 南木曽町吾妻 撮影日170610 変わった姿・形の火の見櫓

 鋼管柱3本、3角形の櫓。3つの垂直構面のうち、2面に山形鋼の交叉ブレースを入れ、残り1面を丸鋼(鋼管?)の梯子桟にしている。櫓の頂部に水平に渡した部材(梁・腕木)の両端に半鐘と消火ホースを引き上げるための滑車を吊るしてある。片流れの鋼板は位置的に屋根、ということになるが、半鐘の上になるように取り付けてあるわけでもなく、設置意図は分からない。半鐘を叩くための平らな足場はないが、落下防止カゴを設けて安全上の配慮をしてある。









露出柱脚。ベースプレートと鋼管との接合部を2枚のリブプレートで補強している。2本のアンカーボルトでコンクリート基礎に固定している。