透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

134枚目 写真家の佐藤大史さん

2020-01-13 | C 名刺 今日の1枚

320
134枚目 写真家 佐藤大史さん

 ベルウッドコーヒーラボのオーナー 鈴木さん(過去ログ)はプリンティングディレクターの仕事もしておられることから、写真家との付き合いも多いようで、前稿に書いたカフェトーク終了時に偶々来店しておられた写真家の佐藤大史さんを紹介してくださった。

佐藤さんの名刺の裏面には 北米最高峰のデナリ山(標高 6,190.4m)とグリズリー(!)を撮影した写真がプリントされている。

佐藤さんをネットで検索すると記事がいくつもヒットするが、そこに限られた写真家しかできない極北の自然を撮影した作品が掲載されている。

記事の中に**2015年より アラスカ・カナダなど極北の写真を撮り始める。大自然とそこに生きる生き物たちを撮影し、発信していくことをライフワークとする。**というプロフィール紹介があった。

5月(会期:5月9日~17日)に信毎メディアガーデンで作品展の開催が予定されているとのこと。是非出かけたい。


佐藤さんに写真掲載と氏名公表の了解を得ています。


カフェトーク@BWCL

2020-01-13 | A あれこれ

360
BELL WOOD COFFEE LAB

 豊科のベルウッドコーヒーラボ(BELL WOOD COFFEE LAB)でKさんとカフェトークした。閉店してしまったカフェ バロで最後のトークはいつのことだったか、昨日(12日)は久しぶりのカフェトークだった。

カメラ女子のKさんにこのカフェを紹介したいと思っていた。Kさんはプリンティングディレクターでもあるオーナー 鈴木さん所有の写真集を興味深そうに見ていた。4冊の写真集に収録されている作品は、当然ながら写真家によって作風が全く違う。鈴木さんを交えてしばし写真談義。

4冊を好きな順に並べてもらったが、僕とは写真の好みが全く違う。彼女の簡潔な作品評には説得力がある。なるほど!と思うことしきりだった。



僕の本も持参してきていたKさんは、やはり気配りの人。 求められるままにサインして、2時間半の有意義なカフェトーク(デート?)はお開き。 


 


三九郎と火の見櫓

2020-01-12 | A 火の見櫓っておもしろい


我が鄙里にて 撮影日2020.01.12

 正月の伝統行事の三九郎は以前はそれぞれの地区で行う日が決まっていたが、最近では仕事などを考慮して、休日に行うようになった。市民タイムスの記事によると、この3連休中に松本、塩尻、安曇野の3市と東筑摩郡内の733ヶ所で三九郎が行われるという。

我が鄙里では今日(12日)の午前中に行われた。三九郎の骨組み(櫓)は昔は近くの山から伐り出した(もちろん所有者の許可を得て)唐松の丸太で組んでいたが、少子化の影響で作り手の小学生と保護者が少なくなり、もう何年も前から竹に替わっている。

櫓を組み、松飾りやダルマを集落内の各戸から集めて作る三九郎はてっぺんに大きなダルマを付けるのが大体お決まりのかたち(写真)。

点火した三九郎から空高く煙が立ち昇り、その後三九郎は大きな炎に包まれた。残り火で焼いた餅を食べるとこの一年無病で過ごせるという。

近くの火の見櫓がこの様子を見ていた。


三九郎について(過去ログ


「安部公房とわたし」山口果林

2020-01-11 | A 読書日記



 松本市のホテル花月の向かいにある想雲堂には、飲み会の二次会で時々行く。ここは「古本喫茶」で酒も飲める。本に囲まれて飲む酒も良いものだ。昨夜(10日)も新年会の後の二次会でここで飲み、『安部公房とわたし』山口果林(講談社2013)を買い求めた。タイトルを左から「山口果林とわたし」安部公房と読んではいけない。右から、右から。

一次会でほろ酔いになった頃、好みの女性のタイプを訊かれ、私は山口果林の名を挙げていた。映画「砂の器」に出演した時の彼女は魅力的だった(過去ログ)。当時27歳。

今日、この本を読んだ。

**安部公房と私との生活は全く無視され、私は世間から透明人間にされてしまった。**(216頁) 

透明人間にされた山口果林が存在証明のために、自己回復のために綴った自分史。

巻末のプロフィールによると、山口果林は1947年生まれ。ということは72歳か・・・。時は流れる 人は歳をとる


 


「国語教育 混迷する改革」

2020-01-11 | A 読書日記

360

 通勤途中に松本市内は渚のスターバックスでコーヒーを飲みながら小一時間読書をする。日常の中に非日常なひと時を取り込もうという目論見で始めた朝カフェ読書、それが今や週2回となって日常生活の一部となった。読む本は隣接するTSUTAYAで買う。この書店のセルフレジにもすっかり慣れた。スタバとTSUTAYA、両店がひとつの店になればいいのにな、と時々思う。

昨日(10日)、新書の新刊『国語教育 混迷する改革』紅野謙介(ちくま新書2020)を買い求めてスタバへ。座る席はいつも同じ、2階の8人掛けの大型テーブルの端。

本の帯に**大学入学共通テスト・新学習指導要領を徹底検証。“戦後最大の教育改革”の構造的欠陥とは。問題は「記述式試験」だけではなかった!**とある。国語力の低下は思考力の低下をも意味する。なぜなら、言葉によって(私たち日本人は日本語によって)ものごとを考えるのだから。

国語力を身につける機会は何も学校での国語教育に限られるわけではない。だが、その大半は高校までの国語教育に依るところが大きい。その改革が混迷しているということに、教育関係者でもない私だが、無関心ではいられない。昨年末に『ことばの教育を問いなおす』を読んだが、その類書だ。この3連休に読みたいが、昨晩買い求めたもう一冊の本(*1)を先に読もうと思う。


*1 もう1冊の本のことは別稿で。


朝カフェ読書「火の見櫓暮情」

2020-01-08 | A 読書日記

 ■ 『火の見櫓暮情』内藤昌康(春夏秋冬叢書2008)を朝カフェで再び読み始めた。書名はとびらでは「火の見櫓慕情」となっている。暮と慕、チラシでも両方載っている。どのような使い分けをしているのだろう。普通に考えれば慕情だと思うが。

 

幅広の帯に**豊饒な物語の上に火の見櫓は立っていた。**とあるように、この本では火の見櫓そのものの詳細な紹介はしないで、火の見櫓が立っている集落の様子やそこの人々の暮らしぶりなどを紹介している。地元の人に取材をしないと書けない内容だ。なお、対象域は三河遠州。


(再)浜松市天竜区 撮影日180526

この赤い火の見櫓は『あ、火の見櫓!』で紹介したが(163頁 本には別の写真を載せている)、『火の見櫓暮情』にも取り上げられていて、**光明公民館は役場の跡地で、その正面に火の見櫓が立つ。見張り台には四方に「〇光」マークが取り付けられている。「〇光」は光明村消防団の意味。(中略)旧光明村にはかなりきめ細かく火の見櫓が設置されている。平成十八年春の時点で現存したのもは八基で、中には一キロメートルも離れていない場所に立つものさえある。形状は集落によって若干異なるが、その全てが長身・屋根付きの典型的なもの。(中略)この村がいかに普遍的に防火思想を普及させていたかが窺える。**(191頁)以上のような説明がある。

この本の火の見櫓の説明のしかたを参考にして、火の見櫓のある暮らしを今年は書きたい。





「境界のかたち」

2020-01-07 | A 読書日記

320

 『境界のかたち その建築的構造』保坂陽一郎(講談社サイエンティフィク1984)。30年以上も前に読んだ本の再読。年始に読んだ3冊の本の内の1冊。『境界の日本史』森先一貴・近江俊秀(朝日選書2019)を読んで本書のことを思い出した。

建築の第一義は空間を秩序づける、ということ。どのようにして? 空間に境界をつくることによって。境界はどのような構造・かたちをしているのか。

このことについて具体例を挙げる。キャンプに出かけてテントを張る。テントによって風雨を防ぐ、これが空間を秩序づけるということ。テントは空間につくられた境界の具体例。その構造は布一枚の層。

**境界の構造を考えていく場合、対象がきわめて多岐にわたるので、いくつかのカテゴリーに分けて考える必要がある。本書ではより広い領域から狭い領域へと目を移していくことを考えている。そこにはいくつものレベルがある。ランドスケープのレベル、都市のレベル、建築のレベル、家具のレベルなどである。この中でとくに建築のレベルについてできるだけ詳しく観察していくことが、また本書の趣旨である。**(12頁)

**鎌倉は北・東・西の三方を山で囲まれ、南は相模湾に面している。守るに易く攻めるに難しい要害(ようがい)の地だ。**(『「街道」で読み解く日本史の謎』安藤優一郎(PHP文庫 67頁)正月に読み終えた本からの唐突な引用だが、これがランドスケープのレベルにおける境界の具体例。

地形の特徴を活かして鎌倉という都市的スケールの空間への人の自由な侵入を制限している。これはテントの中に雨が入り込んでこないようにしているのと同じこと。レベルの違いと制御の対象(人と雨)の違いはあるが。

本書ではヨーロッパや日本の空間構成(平面計画)などの具体例をいくつも示しながら、建築的レベルの境界の構造が論じられている。

「境界」つながりで正月早々興味深い本を読んだ。


 


安曇野市三郷北小倉の御柱

2020-01-06 | A あれこれ


安曇野市三郷北小倉の御柱 写真提供Fさん(2枚とも)撮影日2020.01.02

 前稿の通り、松本平各地で正月の伝統行事、御柱が行われている。安曇野市三郷(旧三郷村)の北小倉地区の御柱(過去ログ)は元日の夜明け前に建てる。元旦は菩提寺に新年の挨拶に行くことになっているので、残念ながら御柱建ての様子を見たことはない。

御柱は三九郎(どんど焼き、左義長などの呼称もある)の芯柱となって、燃やされるということは聞いていたが、まだ実際に見たことはない。Fさんが撮ってきてくれた写真で、その様子を初めて見ることができた。御柱のカラフルな御幣は御柱を倒した時に取り外し、お守りとして各戸に配られる。

この頃では北小倉の三九郎は実施日が決まってはいないようで、今年は5日に行われたそうだ。なお北小倉では3ヶ所で御柱の行事が行われてきたが、今年は1ヶ所行われなかったとのこと。伝統行事を絶やすことなく続けていくことには困難が伴う。末永く継続されていくことを願う。


撮影日2020.01.05


 


正月の伝統行事 御柱

2020-01-06 | A 火の見櫓っておもしろい


松本平の各地で続けられている正月の伝統行事、御柱 安曇野市三郷明盛 撮影日2020.01.05

 安曇野市三郷明盛地区の建て御柱に遭遇した。今まで何カ所か御柱を見てきたが(過去ログ)、この御柱を見るのは初めて。ちょうど道路を片側通行止めにして、御柱を建てているところだった。この正月の伝統行事を地域の皆さんが継続していることは素晴らしい。うまいことに後方に最近見たこの火の見櫓のてっぺんが見えている。


もっと直接的な地元住民と火の見櫓との関わり(例えば火の見櫓の脚元や消火ホース格納箱の前の雪かきをしている様子)を捉えることができたらいいな、と思う。このような場面に遭遇する機会はそれ程多くはないとは思うが、今年の課題。それから、今年は積極的に火の見櫓のある風景のスケッチをしたい。


2020-01-05 | A 火の見櫓っておもしろい


(再)松本電鉄上高地線 大庭駅にて 撮影日20200105

 火の見櫓を昨年(2019年)までとは違う捉え方をしたい。テーマは「火の見櫓のある暮らし」。単なる「火の見櫓のある風景」ではなく、生活感のある風景とそこにそっと立つ火の見櫓といったところ。

それを写真でどう表現するか、まだ分からない。とにかく今までとは捉え方を意識的に変えてみよう、ということで撮った写真。大庭駅に向かう人を撮りたかったが、休日ということもあるのだろう、残念ながらイメージしていた写真を撮ることはできなかった。

時刻表を見て08:25着・発の下り電車が間もなく来ることが分かった。で、とっさの判断で撮ったのがこの写真。偶々「なぎざTRAIN」だった。


 


1234 火の見櫓のある風景(再掲)

2020-01-05 | A 火の見櫓っておもしろい

 
1234(番号修正) 冬のフォトアルバム  北安曇郡池田町会染にて 撮影日121227

 ここ数日、信州の鄙里は朝の冷え込みが厳しいです。今朝7時半ころの気温は氷点下12℃!でした。厳寒期(1月末から2月中旬ころ)はもっと冷え込むのでしょうかね。寒いのやだな~

雲ひとつない晴天、北アルプスの山々(左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳)を背景に立つ火の見櫓の凛々しい姿です。


 


1233 松本市笹部の火の見櫓(再掲)

2020-01-05 | A 火の見櫓っておもしろい





1233(番号修正)  撮影日140827

■ 灯台下暗し、松本市内は笹部に火の見櫓が立っていることにいままで気がつかなかった・・・。櫓が上に向かって徐々に細くなってはいない。これはこれで魅力的な形ではあるけれど、なぜこうなっているのか分からない。



屋根の下に半鐘はなく、4方に向けてスピーカーが設置されている。この高さにしてこの簡素な見張り台。



櫓の踊り場に半鐘が吊るしてある。踊り場の手すりは横架材兼用、手すり子はない。中間2段のブレースにアングルが用いられ、その交差部のプレートは円形。これはリング式ターンバックルに形を合わせるというデザイン的な意図によるのかもしれない。このような形を見たのは初めて。



横架材(水平部材)の間隔がバラバラなのはなぜなのか理由が分からないし、脚部の上のブレースの入れ方も理解に苦しむ。ブレースの角度は適切だとすれば、横架材の位置が適切でないのか。

この火の見櫓は最初からこのような形の櫓だったのだろうか・・・。途中で変更があって、このような形になったのかもしれない。でもそんなことが本当にあったのだろうか。

きちんとした整形ではない分、手づくり感が出て味がある櫓、とも言える。不整形の美。再訪してじっくり観察したい。