透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

うれしい知らせが届いた

2020-07-24 | H 「あ、火の見櫓!」



 今日は朝から所用で外出していた。夕方自宅に帰ると郵便受けに封書が入っていた。何だろうと思うまでもなく、大きく中身が表示されていた。やった、これはうれしい知らせだ。



上掲の見出しの書類が同封されていた。NPO法人 日本自費出版ネットワーク事務局からのお知らせで、私が「日本自費出版文化賞」に応募していた『あ、火の見櫓!』が第一次審査、第二次審査を通過して、入選候補作品に選出されたとのこと。なお、私は小説部門、詩歌部門、研究・評論部門など7部門中、地域文化部門に応募していた。

9月に行われる最終選考会で「部門賞」各部門1点 「特別賞」各部門1点 「大賞」1点 が選考されるそうだ。三賞選出などは望むべくもない。この三賞に入らなかった入選候補作品は「入選」になるそうだ。これは今日のグッドニュースだ。


 


「再びコロナ感染拡大」に考える

2020-07-24 | D 新聞を読んで

 やはり経済を回しつつコロナ感染拡大を防ぐということは難しいようだ。このふたつの社会的命題には相反する条件が伴う。だからバランスポイントをどこに見いだすかが課題だが・・・。政府は予定通り観光支援事業「Go To トラベル」を始めた。その一方で東京都の小池知事は「この4連休はできるだけ外出を控えて欲しい」と外出自粛を訴えている。両者、訴えることが違うことには当然政治的な思惑の違いもあると思うが、この辺りのことには全く疎いので触れない。

コロナ禍の影響を受けている産業は多種あるが、政府はまず観光産業救済のキャンペーンを打った。いまや観光は日本の基幹産業だ。日本は観光立国だといえなくもないだろう。それが海外からの観光客が途絶え、国内旅行も極端に減少したとなっては観光業が立ち行かなくなることは自明のこと。観光は人の移動によって成り立つ産業なのだから、移動自粛ではどうしようもない。

旅行に出かけて観光産業に携わる人たちを救ってください、と市井に目線を据えた訴えかどうか分からない。ここで地方の観光地のホテル・旅館をつぶしてしまっては、日本の経済が成り立たなくなるという高所からの目線による大局的な判断かもしれない。たぶん後者の政治的決断だろう。で、「夏休み」が始まるこの時期を逃すわけにはいかないとの判断から「Go To トラベル」を開始したのだろう。

市民に観光産業を守るという大局的な意識があるのかどうか、たぶん毎年利用している旅館を助けたいという個人的なつながりに基づく感情からだろう、いやただ単に旅行がしたいということかもしれないが、この連休は観光目的の人の移動も多そうだ。その一方でコロナ感染リスクがあるから旅行は控えるとか、たとえ旅行費用が補助されようと、旅行に出かける経済的な余裕なんてない、という人も多いだろう。

メディアは緊急事態宣言が解除されてからは感染拡大抑制より経済活動回復、という流れに沿った報道をしてきた。**毎年多くの観光客で賑わうのに、今年はまだこんなに空いています**といったコメントはもっと出かけてくださいというメッセージだ。


信濃毎日新聞7月24日付朝刊第1面の記事の見出し

ところが、この数日でメディアの論調に少し変化が出てきた。新聞の見出しにもコロナ感染拡大を防がないとまずい、という新聞社の見解が見て取れる。その一方で経済立て直し・・・。悩ましい課題だ。それがそのまま見出しになっている。


同紙第30面の記事の見出し

「不要不急の外出は控える」不要不急かどうか、判断を少し甘くして行動する。個人的にはこんなところか。それと「マスク着用と手洗い」。だが、暑い夏のマスクは正直きつい。

♪ どうすりゃいいのさ この私 ・・・


 


「「いき」の構造」九鬼周造

2020-07-24 | H ぼくはこんな本を読んできた

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 ブログのカバーを火の見櫓のある風景のスケッチに替えた。夏だから寒色系の色が良いだろうと思った。カバーのすぐ下に来る写真もこの本のような同系色が合う。

さて、「ぼくはこんな本を読んできた」だが、今回は『「いき」の構造』九鬼周造(岩波文庫2011年第52刷発行)

『「いき」の構造』という本があるということは前々から知ってはいたが、なぜか読む機会がなかった。ぼくがこの本を読んだのは2011年10月。ただし岩波文庫ではなく、講談社学術文庫で。その時に書いたブログの記事を再掲する。



「いき」とは何か・・・。九鬼周造は深く思索し、周到に論考する。

**運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向かって悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。(160頁)**

広い意味での文化論。芸術論として読むこともできるし、人生論として読むこともできる。恋愛論として読むこともできるだろう。それほどボリュームがあるわけではないから、読むのにそれ程時間を要しない。再読してみたい1冊。


メモ:第5章「いき」の芸術的表現 では建築についてもかなり具体的に論考している。