透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「7 男はつらいよ 奮闘篇」

2021-06-19 | E 週末には映画を観よう

 寅さんシリーズ第7作「男はつらいよ奮闘篇」を昨晩(18日)観た。

結婚するかもしれないという寅さんからの手紙に生みの親(ミヤコ蝶々)が上京。さくらと一緒に帝国ホテルに母親を訪ねた寅さん。ふたりは客室で再会するも大喧嘩。あまりにもふがいない息子に腹を立てた母親からきつく叱られる寅さんをかばうさくら。

で、例のごとく柴又を去った寅さんは沼津のラーメン屋で花子(榊原るみ)と出会う。花子は集団就職で青森から静岡に来て、工場で働いていたが、どうやらそこを飛び出してきたようだ。花子が青森に帰りたいと思っていると察した寅さんは彼女を帰郷させるべく、交番のおまわりさんとお金を出しあい列車の切符を買い求めて彼女に渡す。その時寅さんは念のために柴又のとらやも教えていた。駅で花子を心配そうに見送る寅さん、構内の階段で振り返る笑顔の花子。印象的なシーンにジーン。

その後、柴又のとらやにやって来た花子と再会した寅さん。彼女の職を柴又に探すも寅さんがあまりにも過保護なためにうまくいかず、結局とらやで働くことになった花子。「とらちゃんの嫁っこになりたい」と言われてその気になって・・・。寅さんの振る舞いは、ほかのマドンナに抱いたような恋愛感情からではなく、花子を護ってやりたいという優しい気持ちからじゃないかなぁ。

ある日とらやに青森は津軽の小学校の福士先生(田中邦衛)がやってきて(先生は花子の面倒を見る保護者のような人)、花子を連れて帰ってしまった。寅さん花子を追って津軽まで出かけ、彼女が小学校で働いている様子を見てひと安心。でも、とらやに自分が「用のない人間になってしまった。」などと書いたハガキを出したものだから大変。心配したさくらが青森まで出かけて行き・・・。エンディングは弘前行きのバスの中で二人が再会するシーン。

マドンナの花子には知的障害があるという設定。今ではNGな用語が出てきたりして気になったが、寅さんの花子に対する優しい振る舞いとますますお兄ちゃん想いになったさくらの泣きたいくらいの優しさに救われた。

寅さんシリーズに共通するテーマは人と人の繋がりの大切さ。寅さんが旅暮らしができるのは柴又に家族が暮らしていていつでも帰ることができるから。


作品の公開は1971年4月、あの頃はまだ茅葺の民家が全国各地に残っていたのだろう。さくらが訪ねたのは津軽、小学校がある場所は海沿いの集落、そこには急勾配の茅葺の民家があった。木製の火の見梯子が立っていないかなと画面に集中したが、立っていなかった、残念。

 


杞憂

2021-06-16 | D 新聞を読んで



 地球を宇宙船に見立てて『宇宙船地球号操縦マニュアル』(*1)を著したバックミンスター・フラー。

フラーの見立てに倣えばぼくたちは宇宙船地球号の搭乗者。この宇宙船の警報ランプがいくつも点灯している、もう何年も何年も前から。警報ランプの点灯に搭乗者たちは気がついてはいるものの、無視し続けてきた。結果、宇宙船地球号は今や修復不可能なほど傷ついている。船体損傷、船内の温度上昇、船内の空気汚染等々。これらのトラブルは全て搭乗者が引き起こしたものだ。



ここで話が飛ぶ。

今朝(16日)の信濃毎日新聞にこの見出しの記事が載っていた。国立国際医療研究センターのチームの研究によると新型コロナウイルスワクチン(記事ではファイザー社のワクチン)が変異株に対して効果が大幅に落ちる恐れがあり、ワクチン接種によって体内にできた免疫を回避する新しい変異株が出現する可能性もあるそうだ。ワクチンの効果を示す指標の一つである「中和活性」の値がアルファ株(イギリス株)とデルタ株(インド株)で1/2程度、ベータ株(南アフリカ株)だと1/3以下になったと記事は伝えている。このようなことはインフルエンザワクチンで既に知られている。

とんでもないウイルスを人類に遭遇させた創造主は人類に対し本気で怒っている。これは人類への最後の警告かもしれない、地球号の警報を無視し続ける人類への。まあ、これはぼくの杞憂だが・・・。


*1 手元にあるこの本の邦題は『宇宙船「地球」号 フラー人類の行方を語る』(ダイヤモンド社1972年)。なお原題は「Operating Manual for Spaceship EARTH」。1977年4月に読んだ。

 


半鐘 太鼓 板木

2021-06-16 | A 火の見櫓っておもしろい

 火曜日は朝カフェ読書。『夜明け前』の第2巻を読む。このくらいの長編になると、読んでいるということに満足感を覚える。

**(前略)非常時の合図として村々には半鐘、太鼓、板木が用意され、それに鉄砲、竹槍、袖がらみ、六尺棒、松明なぞを備え置くという。**(88頁) 江戸末期、治安の乱れは地方にも及び、このような対応も。

この件(くだり)から、火災時だけでなく、非常時の合図としても半鐘を叩いていたことが分かる。半鐘の他に太鼓や板木も叩いたということだが、集落の住民に伝える情報(内容)の違いによって使い分けていたのかもしれない。

東京消防庁のサイトの「消防雑学事典」に、大名火消や町火消の火の見櫓には半鐘や板木が設置されていたが使用制限があり、定火消の火の見櫓に設置されていた太鼓(*1)が叩かれるまで、叩くことが許されていなかった、という内容の説明があるが、半鐘や太鼓、板木の使い分けについては分からない。

これらの使い分けについて調べてみたいが分かるかなぁ・・・。史料(資料)が国立国会図書館にはあるかもしれない。


*1 定火消の火の見櫓にはもちろん半鐘も設置されていた。 

過去ログ



リボソームって何だっけ

2021-06-14 | A あれこれ

 **ウイルスたちは、自らのリボソームをもたない代わりに、細胞性生物の身中に巧みに潜り込むしくみを手に入れ、さらにそのリボソームを利用して、自らに必要なたんぱく質を作り出すしくみを手に入れた。そのしくみこそ、私たち宿主の側から見れば「感染」という現象として具現化しているものである。**(『生物はウイルスが進化させた』武村政春(講談社ブルーバックス2017年 134頁)

今月6日にファイザー社製の新型コロナウイルスワクチンの1回目の接種を受けた。接種したのはメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンで、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)の一部であるスパイクタンパク質(コロナウイルスという名前の由来になっている突起)の設計図(設計図のコピーとすべきかもしれない)となるmRNAを脂質の膜に包んだ製剤。

ぼくの体の細胞内のリボソーム(タンパク質合成装置)は入り込んできたワクチンのmRNAが示す設計図を読み解いて、新型コロナウイルスの一部であるスパイクタンパク質を生産している(生産した?)だろう。設計図を読み間違えるなどというドジはしていないと思う。

細胞の中で生産されたこのスパイクタンパク質は、どうなっているのだろう・・・。ぼくの細胞の表面に出てきてくっついた状態になっているのだろう。いや、免疫細胞につかまって、分解される。

人にとってスパイクタンパク質は異物。もちろんぼくにとっても異物。この異物を認識した免疫システム(*1)がそうして中和抗体をつくり、新型コロナウイルスの細胞内への侵入をブロック、即ち感染を予防するという仕組み。

ワクチン接種からの流れについてこのような理解で間違ってはいないと思う。2回の接種でより確実になるということだろう。

2回目の接種でもぼくの体がトラブルを起こさないことを願うのみ。

mRNAがDNAに悪影響を及ぼすのではないかと危惧するブログ記事なども見るが、大事なDNAは細胞の核の中にあり、しっかりガードされていて、mRNAは入り込むことができない仕組みになっている、と僕は俄か勉強で理解している。そう、DNAはmRNAに手紙を託すけれど、手紙は受け取らない(受け取れない)(*2)。


*1 新型コロナウイルスワクチンを接種することで免疫システムに良からぬ影響を与えるのではないか、具体的には自己免疫疾患を招くのでは、という懸念があるようだ。このことを心配して接種を見合わせる人もいるけれど、接種は自分のためだけでなく、家族、さらに社会のためでもある、と考えてぼくは接種した。

*2 ただし人はこの不可侵な領域にまで入り込んでいるが、新型コロナワクチンとは全く別の話。


鄙里のおいちゃんの理解はこんなところで可としたい。

本稿には間違っているところもあるかもしれません。関心のある方はご自分でお調べ願います。


 


解けない疑問

2021-06-13 | A 火の見櫓っておもしろい





 前稿で取り上げた火の見櫓(1288 松本市和田)の双盤形の半鐘の取り付け高さに関する疑問   

踊り場の床面から40cmくらいの高さのところに双盤形の半鐘を取り付けてあるが、この位置でどうやって叩くのだろう。

この疑問についてS氏(*1)が見解を示してくれた。それは、スズランのような形の一般的な半鐘はピッチャーがオーバーハンドで投げるようなフォームの打ち方をするが、この双盤の場合、アンダーハンドで投げるような打ち方をするというもの。

なるほど、確かに太鼓でも両方の打ち方がある。

だが・・・、写真で分かるが、右手でアンダーハンドスローのような打ち方をしようとすると、梯子が邪魔になるだろうし、ちょうど立つことになりそうな位置に開口がある。S氏から説明されたときは、なるほど!と思ったけれど、どうも違うような気がする。

解けない疑問・・・。


*1 豊科のBWCLのオーナー



1289 火の見櫓のある風景

2021-06-13 | A 火の見櫓っておもしろい


(再、1289 欠番なので番号を付けた) 松本市和田 4脚84型 撮影日2021.06.12

 緑豊かな集落の生活道路沿いに立つ火の見櫓。道が右に曲がっていて先が見通せない。あの先はどうなっているんだろう、と先を見に行くという動機付けになる。



中信地区(松本平)には少ない4角形。櫓の逓減は直線的で見張り台の4隅に隅切りは無く、硬い印象の火の見櫓。見張り台の高さは13メートルくらい。見張り台に半鐘は無く、踊り場に双盤形の半鐘がある。なぜ床面に近いところに付けてあるのか分からない。この位置だと叩きにくいと思うが。消防信号板の写真は以前撮影したもの。


撮影日 この写真のみ2014.03.04 


 


キミの名は?

2021-06-12 | D キミの名は?


撮影日2021.06.12 自宅の窓から

 キミの名前はモズ、だったね。しばらく前に教えてもらったから覚えていたよ。

野鳥の本を見るとキミの特徴をバフ色の眉斑(びはん)と黒い過眼線と説明していた。バフ色って知らない・・・。調べてみたら淡い黄褐色という説明が見つかったよ。なるほど、確かに。キミの眼の周りってなかなか派手なデザインだね。そうでもないのかな。


眉斑:目の上にある眉(まゆ)状に見える線のこと


「1 男はつらいよ」

2021-06-12 | E 週末には映画を観よう

 寅さんシリーズの記念すべき第1作「男はつらいよ」を観た。

家出してから20年ぶりに柴又に帰って来た寅さん。おいちゃんやおばちゃん、妹のさくらと涙の再会を果たす。早速さくらの見合いに同席、だが、寅さんの下品な振舞いで破談に。♪俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ という、この映画の主題歌の通り。 

その後、寅さんはとらやの裏手の共栄印刷(後の朝日印刷)で働く博とさくらの結婚に一役。ふたりはお互いに惹かれ合っていたのだから、結果オーライ。結婚式には博の両親も出席。宴席での父親の挨拶にはジーンときた。父親の挨拶の次、寅さんの挨拶というか振舞いも良かった。

再び旅に出た寅さんは奈良で御前様と娘の冬子に偶然会う。で、美人の冬子(光本幸子)に一目ぼれ。再び柴又に帰って来た寅さん、幼なじみの冬子をオートレースや焼き鳥屋に連れて行ったりと楽しい日々。「寅さんの寺通い」などと言われることに。ある日釣り道具を持って冬子を誘いに行き、冬子に婚約者がいることを知る寅さん。すっかりしょげてしまった寅さんは再び旅に出る。このシリーズのお決まりのパターンの始まり。


 


時は流れた・・・

2021-06-12 | A あれこれ

 

私は信州の片田舎を歩いていた。よく晴れた秋の日の午後のことだった。
既に紅葉が始まっていた。
山際の民家の庭先で小さな子どもが遊んでいるのを見かけた。
「オジちゃん、それなに」
好奇心に満ちた顔でその子が私に訊ねてきた。
「これ? カメラだよ」
「ずいぶんちっちゃいね」
その子が私のカメラを手にして言った。
「そうだ、坊やを撮ってあげよう」
私はカメラを子どもから受け取って、数枚撮った。
笑顔が印象的な子だ、ファインダーを覗きながらそう思った。
「坊や、いくつ」
「ふたつ」
指でVサインをつくって私の方に差し出しながら答えてくれた。
その時だった。家の中からその子を呼ぶ声がした。
私と同じ名前だった。
私はそっとその場を離れた。

辺りには道祖神が何体かあった。高遠の石工が彫ったものだと聞いている。
松本行きのバスの時間が迫っていた。
道祖神や板葺きの民家の写真を撮りながら近くのバス停に向かった。

あれから、何年経つだろう・・・。
坊やの写真はあのとき撮った民家の写真と一緒にプリントして保存してある。
あの子は今どうしているだろう・・・。
たまたま私と同じ名前だったこともあって、ふと思い出すことがある。
古い写真を久しぶりに取り出してみた。


初掲載2006.07.16


「夜明け前」

2021-06-11 | A 読書日記



 朝カフェで藤村の読み応えのある長編『夜明け前』を読む。山の中の木曽路を行き交う旅人は情報伝達人。江戸の出来事が馬籠宿にも伝わる。第一部上巻は江戸末期の歴史の復習でもしているかのよう。今月はこの長編をひたすら読む。


 


「ふみの日」の切手

2021-06-07 | D 切手



 「ふみの日」と記された切手が今日(7日)受け取った封書に貼ってあった。

ええと、ふみの日っていつだっけ・・・。調べた。7月23日だった。

7月は文月、23はふみ、それでふみの日。1979年に制定されたそうだ。

最後に手紙を書いて送ったのはいつのことだったろう・・・。


 


「8 男はつらいよ 寅次郎恋歌」は涙映画

2021-06-06 | E 週末には映画を観よう

 偶然。

今朝(6日)ラジオ深夜便の「時代を創った声」のコーナーに声優・女優の岡本茉利さんが出演していた。岡本さんは寅さんシリーズ第8作の「男はつらいよ 寅次郎恋歌」に出演していて、旅役者の役を演じている。岡本さんは深夜便でこの作品出演に至る経緯も語っていた。ちなみにこの作品に出演したとき岡本さんは高校1年生だったそうだ。偶然にもぼくは昨日この作品のDVDを借りてきていた。

酔っ払いふたりをつれて寅さんがとらやに帰ってくる。おいちゃん(第1作からおいちゃん役だった森川 信さん最後の出演)にこっぴどく叱られるが、さくらがその場をしのぐ。さくらは3人にビールを注ぎ、歌を歌ってくれと言われて、躊躇いながらも「かあさんの歌」を歌う。ここで涙が出た。寅さんはさくらに悲しい思いをさせてばっかり。本当にさくらはお兄ちゃん思い。

博の母親の葬儀の後、独りぼっちになった父親(志村 喬)が信州は安曇野で見かけたという夕暮れ時の家族団らんの様子を寅さんに語る。その話を今度はとらやで話す寅さん。ふたりの語り口がそれぞれ味わい深い。この両場面にも涙。

今回のマドンナは帝釈天の近くで喫茶店を開いた貴子(池内淳子)、女手一つで小学3年生の男の子を育てている。家族を持ちたいと思っている寅さんが挙げた条件に貴子はピッタリ。

いつもマドンナに振られてばっかりの寅さんだが、今回は自ら身を引く・・・。とらやを後にする寅さんの後ろ姿にもなぜか涙。

この作品には泣かされた。ストーリーは書かない。家族について考えさせられる作品とだけ書いておく。山田洋次監督の作品に通底するテーマは家族の絆、それにふるさと。

2歳で満州に渡り、そこで終戦後まで過ごしたという山田監督が想い描き続けた日本のふるさと。寅さんは日本各地を気ままに旅するが、あれは山田監督のふるさと探しの旅でもあるのだ。


 


道祖神の帯代って何?

2021-06-05 | B 石神・石仏



 長野県には道祖神が多い。とりわけ安曇野には多く、道祖神巡りをするために訪れる人も少なくないようだ。上掲の写真は安曇野市豊科に祀られている道祖神の背面(過去ログ)。帯代五両と刻まれている。

帯代について6月4日付のMGプレスに記事が載っていた。「松本まちなか遺産めぐり」という連載記事で紹介されているのは松本市のあがたの森近くに祀られている道祖神。天保十二辛丑年という建立年と共に刻まれた帯代は十五両とのこと。この年、西暦では1841年。ちなみに上掲の豊科の道祖神は天保十四年、記事に紹介されている道祖神の2年後、1843年の建立。

ところでこの帯代だが、昔は「嫁入り」という道祖神ぬすみの風習があって、夜中に道祖神を近隣の村人がぬすんでいく、と言うとよくないが、嫁に欲しくて持ち去ることがあったという。で、帯代というのは、まあ結納金のようなもの。「嫁入り」させるなら、五両の結納金をいただきます、という意味だ(過去ログ再掲)。帯代について同じ内容が新聞記事にも載っている。

帯代って今のお金にしてどのくらいの額になるのだろう、と前から思っていたが、MGプレスの記事には町会長だった方が**2009年、日銀松本支店に問い合わせるなどして天保のころと現代の米価の比較を行い、(中略)「70万円ほど」に相当すると試算した。**とあり、**世の中の仕組みや人々の暮らしが異なる上、貨幣価値も変動するため、こうした比較の当否は難しい面があるが、(後略)**と続く。用心深い記述だが、天保時代の十五両は70万ほどという目安がついた。

一両4万7千円くらいになるが、ざっくり一両5万円と押さえて、豊科の道祖神の帯代は五両だから25万円。同じ豊科には五拾両と、高額な帯代を刻んだものもある(下の写真)。今のお金で250万円。高額な帯代にすることで道祖神ぬすみを防いだのかもしれない。


安曇野市豊科の諏訪松尾神社の境内に祀られている道祖神 帯代五拾両

現在の結納金の額についてネットで調べて、50万~150万が半数という記事が見つかった。


 


「6 男はつらいよ 純情篇」

2021-06-04 | E 週末には映画を観よう

 寅さんシリーズ第6作「男はつらいよ 純情篇」を観た。

赤ん坊を背負った絹代を演じる宮本信子が若い。それもそのはず、「男はつらいよ 純情篇」は1971年1月の公開、50年も前の作品だから。

木枯らし吹く長崎の港で出合った絹代から話を聞いた寅さん、五島列島の福江島にある彼女の実家へ一緒に行くことに。そこで老いた父(森繫久彌)と娘の話を聞いていた寅さん、里心がついてしまって故郷の柴又へ。

とらやに帰ってみると2階に夫と別居中の夕子(若尾文子)が下宿していた。寅さん夕子に一目ぼれ、さあ大変。それに加えて博がタコ社長の朝日印刷から独立することを考えていて・・・、間を取り持つはずの寅さんが引き起こす大騒動。

ラスト、絹代はよりを戻した夫と子どもと一緒に柴又を訪ねてくる。娘、絹代からの近況報告の電話に涙する父親。とらやの人たちの暮らしぶりに感涙の夕子。

博は独立断念、タコ社長一安心。迎えにきた夫と帰っていく夕子・・・。

柴又駅で電車の中から寅さんは見送りのさくらに「故郷ってやつはよ、故郷ってやつはよ」と声をかける。そこでドアが閉まって、その後の言葉がさくらにも観ている者にも聴こえない・・・。

「本当に恋しいもんだよ」という山田洋次監督のメッセージかな。

雨降りの昼下がり、ひとりこの人情物語に涙、涙。「寅さん」はいいなあ。


 


「夜明け前」

2021-06-04 | A 読書日記



 『夜明け前』島崎藤村(新潮文庫1954年 2013年92刷)を再び読み始めた。この長編小説を1994年と2014、5年にかけて読んだことが確認できている。で、今回読むのはたぶん3回目。名作は再読に耐える。

2020年の5月に本をだいぶ処分したが、その際、古い右の4巻を処分した。この長編小説はもう一度読むことになるかもしれないと思い、活字が大きくて読みやすい新しい左の4巻を残していた。ちなみに総ページ数は右の4巻が1332ページに対し、左は1745ページで3割多い。

**藤村の父親をモデルにした主人公、青山半蔵の生涯を時代の大きな流れの中に書き、その一方で江戸から明治へと大きく動いたこの国の歴史そのものを書いている。スケールの大きな小説だと思う。** 2020年の8月にこの長編小説をブログで取り上げた際、このように書いている。これから何日か、この小説を楽しもう。