(熱那神社)
大学三年生になる長女が野辺山(長野県南牧村)の天文観測所の特別公開に行きたいと言い出したため、あきる野市の病院に行って痛風の薬を処方してもらった後、その足で野辺山に向かった。夏休みの週末はいつものことであるが、この日も小仏トンネルまで渋滞が激しく、結局野辺山観測所まで三時間近くかかってしまった。長女をそこで降ろして、北杜市に引き返す。
前回北杜市を訪ねたときに探しきれなかった大芝宗十郎の顕彰碑と墓の場所を、たかね図書館で調査するのが今回の目的である。
だが、残念なことに地元の図書館であるにも関わらず、大芝宗十郎の名前すら発見することができない。「高根町史」に大芝宗十郎のことが解説されているのを見付けるのがやっとであった。そこに大芝宗十郎の顕彰碑が、村山西割1714の熱那神社(あつなじんじゃ)にあると記載されていた。早速、熱那神社を訪ねた。

熱那神社
勤皇殉難大芝宗十郎先生碑
このあと、熱那神社に近い共同墓地で大芝宗十郎の墓を探した。田舎にはよくあることだが、墓地には大芝家の墓がいくつも存在している。その一つひとつの墓標や俗名、没年などを確認していったが、遂に宗十郎の墓を特定することはできなかった。この墓地のどこかに宗十郎が眠っているものと信じたい。
大学三年生になる長女が野辺山(長野県南牧村)の天文観測所の特別公開に行きたいと言い出したため、あきる野市の病院に行って痛風の薬を処方してもらった後、その足で野辺山に向かった。夏休みの週末はいつものことであるが、この日も小仏トンネルまで渋滞が激しく、結局野辺山観測所まで三時間近くかかってしまった。長女をそこで降ろして、北杜市に引き返す。
前回北杜市を訪ねたときに探しきれなかった大芝宗十郎の顕彰碑と墓の場所を、たかね図書館で調査するのが今回の目的である。
だが、残念なことに地元の図書館であるにも関わらず、大芝宗十郎の名前すら発見することができない。「高根町史」に大芝宗十郎のことが解説されているのを見付けるのがやっとであった。そこに大芝宗十郎の顕彰碑が、村山西割1714の熱那神社(あつなじんじゃ)にあると記載されていた。早速、熱那神社を訪ねた。

熱那神社

勤皇殉難大芝宗十郎先生碑
このあと、熱那神社に近い共同墓地で大芝宗十郎の墓を探した。田舎にはよくあることだが、墓地には大芝家の墓がいくつも存在している。その一つひとつの墓標や俗名、没年などを確認していったが、遂に宗十郎の墓を特定することはできなかった。この墓地のどこかに宗十郎が眠っているものと信じたい。