会津藩出身の軍人、柴五郎の手記を基とした壮絶な記録である。「柴五郎の遺書」と題した第一部は文語調であるが、簡明な文体で現代人にも読み易い。十才の柴五郎は、会津戦争で祖母と母、姉妹が自刃する悲劇に見舞われる。だがこれは悲劇の始まりに過ぎなかった。戦後処分により会津藩は斗南藩に移封される。家名存続が許されたことに藩士たちは歓喜の涙を流すが、現実はそう甘いものではなかった。会津藩六十七万石が、実質七千石の不毛の地に押し込められたのである。藩士たちは貧困と飢えと厳しい寒さに悲惨な生活を余儀なくされる。「挙藩流罪という史上かつてなき極刑にあらざるか」という柴五郎の叫びは悲痛である。私は常々、現代の尺度で百五十年前のことを評価しないよう自戒しているが、その私の目から見ても人道に反した措置だと言わざるを得ない。飢えに苦しむ柴五郎少年が、無理に犬の肉を嚥下するシーンを読んだときは、流石に食欲と言葉を失った。柴五郎は、第二次世界大戦が終了した昭和二十年十二月、軍人として敗戦の責任を感じ、自裁して世を去る。八十七歳であった。明治人らしい気骨を感じる最期であった。
明日から一週間、海外出張ですので、しばらく記事の投稿はお休みとなります。
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