(旧取手宿本陣)
旧取手宿本陣染谷家住宅
取手には旧本陣の住宅が保存されている。江戸初期、取手宿は水戸街道が整備されると利根川の渡船場に隣接する重要な宿場として発展した。染野家は、代々名主をつとめ貞享四年(1687)には水戸徳川家より本陣を命じられた。現存している住宅は、寛政六年(1794)に焼失した翌年に再建されたものである。
徳川斉昭歌碑
敷地内に徳川斉昭自筆の歌碑が建てられている。天保十一年(1840)正月、水戸へ帰還途中の徳川斉昭が、利根川を渡る船の中で詠んだものである。
指て行さほのとりての渡し舟おもふ方へはとくつきにけり
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旧取手宿本陣染谷家住宅
取手には旧本陣の住宅が保存されている。江戸初期、取手宿は水戸街道が整備されると利根川の渡船場に隣接する重要な宿場として発展した。染野家は、代々名主をつとめ貞享四年(1687)には水戸徳川家より本陣を命じられた。現存している住宅は、寛政六年(1794)に焼失した翌年に再建されたものである。
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徳川斉昭歌碑
敷地内に徳川斉昭自筆の歌碑が建てられている。天保十一年(1840)正月、水戸へ帰還途中の徳川斉昭が、利根川を渡る船の中で詠んだものである。
指て行さほのとりての渡し舟おもふ方へはとくつきにけり