史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

取手

2009年03月06日 | 茨城県
(旧取手宿本陣)


旧取手宿本陣染谷家住宅



 取手には旧本陣の住宅が保存されている。江戸初期、取手宿は水戸街道が整備されると利根川の渡船場に隣接する重要な宿場として発展した。染野家は、代々名主をつとめ貞享四年(1687)には水戸徳川家より本陣を命じられた。現存している住宅は、寛政六年(1794)に焼失した翌年に再建されたものである。


徳川斉昭歌碑

 敷地内に徳川斉昭自筆の歌碑が建てられている。天保十一年(1840)正月、水戸へ帰還途中の徳川斉昭が、利根川を渡る船の中で詠んだものである。

 指て行さほのとりての渡し舟おもふ方へはとくつきにけり

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牛久

2009年03月06日 | 茨城県
(牛久宿)


牛久宿

 牛久は、水戸街道の宿場町として繁栄した街である。水戸街道は、ほぼ現在の国道6号線と重なるが、日露戦争の忠魂碑がある交差点から分岐する旧道を進むと、かつての宿場町に至る。今はまったく街道の面影は失われているが、黒塀と立派な門構えの飯島家が目を引く。門前には「明治天皇行在所」の石碑がある。明治十七年(1884)明治天皇が牛久に行幸し、近衛砲兵大隊による演習を天覧したことを記念した石碑である。


飯島家


明治天皇牛久行在所

 牛久宿には、天狗党も宿泊した記録が残っている。

(牛久陣屋跡)
 河童の碑がある付近には、江戸時代牛久藩陣屋があった。牛久は、譜代大名山口家一万石の藩地であった。幕末の藩主は、山口弘達。戊辰戦争に際して、官軍と旧幕府軍の間で混乱を来たしたが、最終的に新政府の方針に従った。


河童の碑

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