史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「横井小楠」 徳永洋著 新潮新書

2009年05月14日 | 書評
 横井小楠は、藤田東湖、佐久間象山と並ぶ幕末を代表する思想家である。坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、西郷隆盛など、横井小楠の思想に影響を受けた顔ぶれを見れば、小楠の存在の大きさを理解するには十分であろう。坂本龍馬の船中八策や新政府鋼領八策も、由利公正が起草した五箇条の御誓文も、小楠の国是十二条を参考にしたものと考えられる。将にこの本のサブタイトルである「維新の青写真を描いた男」だと言える。
 よくテレビで評論家がしたり顔でコメントしているのを見ると
「そんなにいうならあんたがやれや」
と言いたくなるが、どうやら思想家、評論家と政治家、革明家とは明確な役割分担があるらしい。横井小楠は確かに思想家としては優れていたが、政治家、革明家としては必ずしも成功したとは言い難い。
 若いころの酒席での失敗は数知れず、政事総裁職として活躍する松平春嶽の顧問として期待された大事な時期に、士道忘却事件を起こして一時逼塞を余儀なくされた。また小楠には政敵が多かった。このこと自体は政治に携わる者には珍しいことではない。ただ小楠の場合、少々度が過ぎている。それまで同志であった長岡監物と突然絶交し、遂には故郷熊本にいられなくなってしまう。一説には坂本龍馬とも絶交したという(本書129ページ)。非常に鋭敏な思想家であると同時に、相手を不快にするような人間的欠陥があったのかもしれない。
小楠は明治二年(1869)一月、刺客に襲われ命を落とす。小楠を暗殺したのは頑迷な保守勢力で、小楠がキリスト教を国内に広めようとしている、共和政治の実現と廃帝を唱えているというのがその動機であった(もちろん、根拠のない風説に過ぎないが)。即時処刑すべきという政府要人に対し、犯人の助命減刑を強く主張する勢力があった。強烈な敵対勢力の存在は、先鋭な思想家の宿命であろう。
 著者徳永洋氏は、熊本に生まれ日本銀行に勤務するかたわら、横井小楠に関する資料を収集し長年にわたって小楠の顕彰に関わっている。その熱意と執念には脱帽する。

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