史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「旧幕新撰組の結城無二三」 結城禮一郎著 中公文庫

2010年06月27日 | 書評
父が子供たちに「おぢい様」のことを語るという形式で、「おぢい様」こと結城無二三の生涯を描いた書である。大正十三年(1924)に『お前達のおぢい様』という副題を付して発刊された本書は、昭和五十一年(1976)に中公文庫から刊行された後、長らく絶版となっていたが、今般復刊されたものである。
結城無二三は、弘化二年(1844)に山梨に生まれた。実家は医師の家系で、家業を継ぐために江戸に出て書生となったが、時の流行である尊攘思想にかぶれ、大橋順蔵の門下に入り、同時に幕府の講武所で砲術を学んだ。元治元年(1864)京都に出て見廻組に参加し、水戸藩の天狗党の乱の最期を見届けた。その後、本書によると新選組に入隊したことになっているが、不思議なことにこの時期の新選組の名簿に無二三の名前を見出すことはできない。甲陽鎮撫隊に参加して甲州まで出征しているのは間違いなさそうであるが、入隊の時期については、記憶違いがあるのかもしれない。
見廻組に籍を置いていた関係で、今井信郎とも親交があった。ある日、今井が無ニ三のもとを訪ねてきた。無二三は筆者禮一郎に対し、「この人が坂本龍馬を斬った人だ。参考のためによく聴いておくがいい」といった。今井は「お話しすることほどのことではありません」と固辞したが、禮一郎は聴き出した話を新聞に公表した。「もとより新聞の続き物として書いたのだから事実も多少修飾」したと告白している。これが発端となって、その後現代に至るまで龍馬暗殺論争は続いている。要らぬ脚色をしなければ、この論争もここまで拡大しなかったかもしれない。
維新後、無二三はキリスト教に入信し宣教活動をしたり、菓子屋や養鶏に手を出したり、波乱に富んだ人生を送った。明治四十五年(1912)胃癌により永眠。六十八歳であった。

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