史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

虎ノ門 Ⅲ

2011年10月08日 | 東京都
(工部大学校址)


工部大学校址碑

 虎ノ門交差点の北西角、現在霞ヶ関コモンゲートの一帯は、江戸時代には延岡藩邸があった。維新後、工業分野における人材育成を目的として工学校が開設された。明治十年(1877)には工部大学校と改称された。工部大学校では、土木・機械・造家などの学科が、外国から招聘された教師によって教授された。工部大学校は、その後東京大学工学部に発展している。工部大学校が移転した後、この地は帝室博物館、東京女学館、さらに会計検査院に引き継がれたが、さすがに当時の面影は残っていない。


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霞が関

2011年10月08日 | 東京都
(弁護士会館)


大岡越前守忠相屋敷跡

 日比谷公園の西側、霞門の交差点付近には弁護士会館があるが、ここはかつて大岡家の上屋敷のあった場所である。有名な大岡越前守忠相は、八代将軍吉宗に重く用いられ、二十年以上にわたって南町奉行職にあった。大岡忠相は四千石の加増を受けて、三河西大平藩主となって大名に列した。石高はわずか一万石という小大名であったが、忠相を初代として幕末の忠敬まで七代にわたって続いた。

(法務省)


米沢藩上杉家江戸藩邸跡

 桜田門の交差点の東南の角に米沢藩上杉家江戸藩邸跡のモニュメントが置かれている。上杉家の上屋敷址である。


法務省旧本館

 このモニュメントの背後は法務省旧本館である。この建物は旧司法省の庁舎として明治二十八年(1895)に完成したもので、空襲によってレンガ壁を残して全焼したが、改修工事を経て昭和二十五年(1950)より法務省本館として利用されることになった。平成六年(1994)には重要文化財に指定されている。

(外務省)


陸奥宗光像

 外務省には不平等条約の改正に尽くした陸奥宗光の銅像が建っている。
 外務省門前の警備員にこの銅像の写真を撮影したいというと、外務省の許可を得てもらわないと中には入れない。外だったら撮影しても良いというので、柵越しに写真を撮った。


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追浜

2011年10月08日 | 神奈川県
(追浜官修墓地)


追浜官修墓地

 京急の追浜駅からバスに揺られること約十分。深浦バス邸で下車して追浜随道へ向かう。隋道の入り口前の急な階段を昇ると追浜官修墓地がある。
 西南戦争では多数の負傷者が発生した。明治政府は、戦傷者を後送するために和歌山丸と東海丸を派遣した。その帰航中に船内でコレラが発生し、両船は急遽長浦港に寄港した。そこに仮の避病舎を建てて診療にあたったが、十月二十一日以降、毎日のように死者が続いた。これらの遺体は黒崎海岸で火葬され、そのうち遺族不明の四十八名がこの地で埋葬された。
 墓地は雑草が生い茂り、そのため墓碑は読み取ることが困難なものもある。戦死者の慰霊のためにも、貴重な史跡の保存のためにも手入れをしっかり行ってもらいたいものである。


顕彰碑

北村包直の撰文。野口力の書。隷書体の碑名を解読できず。

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