幕末・明治期は、鎖国から開国に転換した時代であり、我が国における写真時代の始まりを告げる時代でもあった。ことに開港地である長崎は、ベアトやボードインといった外国人の写真家、あるいは上野彦馬という我が国写真史のパイオニアというべき人物が盛んに撮影したため、多くの写真が残ることになった。その大半は現在、長崎大学付属図書館のコレクションとなっており、古写真データベースとしてインターネット上でも公開されている(幕末・明治期古写真メタデータ・データベース)。
この本でもたくさんの写真が紹介されている。とりわけ興味をひいたのが、人物写真である。その多くは、有名人というよりは市井の人々がモデルである。共通しているのは彼らの知的さ、精悍さ、重厚さである。むろんこの時代の人々はカメラに向かって笑顔でピースサインというポーズを取らない。一様に表情は硬い。これにはわけがあって、この時代の撮影にはシャッタースピードが遅いため、モデルは長い時間、同じ姿勢、同じ表情である必要があった。長い時間笑顔を固定するのは難しいので、自ずと表情は硬いものとならざるを得なかったのである。
その点を割り引いても、この時代の人は、現代の日本人と比べて遥かに知的で精悍に見える。もう一つの理由は、百五十年前の日本は食生活も慎ましく、肥満体の人がほとんどいなかったこともあるだろう。翻って今日の日本人はあまりにブヨブヨで、精神にまで余分な贅肉で覆われてしまったような印象を受ける。
古写真に写るご先祖様の写真を見ることは、自分の若かりし頃の写真を見て、「あの頃は自分もスマートだった。あの頃の自分に戻りたい」と痛惜の念にとらわれるのと似ている。たまに古写真を見て、反省するのも必要だろう。かくいう私も二十代の頃と比べると十㎏以上体重が増えてしまった。何とかしなくちゃと思うが、なかなか何ともならない。
この本でもたくさんの写真が紹介されている。とりわけ興味をひいたのが、人物写真である。その多くは、有名人というよりは市井の人々がモデルである。共通しているのは彼らの知的さ、精悍さ、重厚さである。むろんこの時代の人々はカメラに向かって笑顔でピースサインというポーズを取らない。一様に表情は硬い。これにはわけがあって、この時代の撮影にはシャッタースピードが遅いため、モデルは長い時間、同じ姿勢、同じ表情である必要があった。長い時間笑顔を固定するのは難しいので、自ずと表情は硬いものとならざるを得なかったのである。
その点を割り引いても、この時代の人は、現代の日本人と比べて遥かに知的で精悍に見える。もう一つの理由は、百五十年前の日本は食生活も慎ましく、肥満体の人がほとんどいなかったこともあるだろう。翻って今日の日本人はあまりにブヨブヨで、精神にまで余分な贅肉で覆われてしまったような印象を受ける。
古写真に写るご先祖様の写真を見ることは、自分の若かりし頃の写真を見て、「あの頃は自分もスマートだった。あの頃の自分に戻りたい」と痛惜の念にとらわれるのと似ている。たまに古写真を見て、反省するのも必要だろう。かくいう私も二十代の頃と比べると十㎏以上体重が増えてしまった。何とかしなくちゃと思うが、なかなか何ともならない。