上海出張のために空港に向かう途中、この本を書店で手に入れて、往復の機内で読み通した。
「はじめに」で著者が西郷隆盛のことを定義しているが、いきなりそこに違和感を覚えた。
――― 西郷隆盛といえば今日の読者がまず思い出すのは「征韓論」のことであろう。
さらに、「軍部独裁と侵略戦争の元祖」などとレッテルを貼ろうとするが、多少でも西郷隆盛の生涯を勉強した者であれば、今やそのような先入観を持った人は少ないのではないか。歴史の論文の特徴として、通説があり、それを覆すような論説があるのが通常であるが、そもそもその提示される通説が違和感のあるものであると、その先を読もうという意欲が削がれてしまう。
もう一つ違和感があったのが、この部分。
――― 西郷隆盛に傾倒する本書の筆者にとっては、西郷流刑の張本人である島津久光の幕政改革に興奮している勝海舟という人物も、あまり好きになれない。(第三章「西郷の復権」P.77)
小説家の随想ならともかく学者先生の書く文章で、「好き嫌い」で論じることが許されるのだろうか。「好き」な人物がとった行動は常に正しく、「嫌い」な人物の行為は批判的に見ると言う態度は、公正とは言えないように思う。
本書によれば、西郷隆盛は慶應三年(1867)の段階で国民会議の必要性を熱心に説いていた。また、元治元年(1864)の時点で二院制の議会の導入を悟ったとしているが、同じ議会制といっても現代の議会をイメージしては間違ってしまう。ここは注意して読む必要があろう。
西南戦争勃発の場面について、著者は
――― 一月二十九日夜半、桐野ら急進派が陸軍砲兵属廠を襲い、残っていた小銃や弾薬を押収したのである。
とするが、火薬庫襲撃事件の背後に桐野利秋がいたという指摘は初めて聞いた。根拠を知りたいと思った。
「はじめに」で著者が西郷隆盛のことを定義しているが、いきなりそこに違和感を覚えた。
――― 西郷隆盛といえば今日の読者がまず思い出すのは「征韓論」のことであろう。
さらに、「軍部独裁と侵略戦争の元祖」などとレッテルを貼ろうとするが、多少でも西郷隆盛の生涯を勉強した者であれば、今やそのような先入観を持った人は少ないのではないか。歴史の論文の特徴として、通説があり、それを覆すような論説があるのが通常であるが、そもそもその提示される通説が違和感のあるものであると、その先を読もうという意欲が削がれてしまう。
もう一つ違和感があったのが、この部分。
――― 西郷隆盛に傾倒する本書の筆者にとっては、西郷流刑の張本人である島津久光の幕政改革に興奮している勝海舟という人物も、あまり好きになれない。(第三章「西郷の復権」P.77)
小説家の随想ならともかく学者先生の書く文章で、「好き嫌い」で論じることが許されるのだろうか。「好き」な人物がとった行動は常に正しく、「嫌い」な人物の行為は批判的に見ると言う態度は、公正とは言えないように思う。
本書によれば、西郷隆盛は慶應三年(1867)の段階で国民会議の必要性を熱心に説いていた。また、元治元年(1864)の時点で二院制の議会の導入を悟ったとしているが、同じ議会制といっても現代の議会をイメージしては間違ってしまう。ここは注意して読む必要があろう。
西南戦争勃発の場面について、著者は
――― 一月二十九日夜半、桐野ら急進派が陸軍砲兵属廠を襲い、残っていた小銃や弾薬を押収したのである。
とするが、火薬庫襲撃事件の背後に桐野利秋がいたという指摘は初めて聞いた。根拠を知りたいと思った。