(大山史前学研究所跡)
大山史前学研究所跡
表参道駅から徒歩五分。緑地公園に大きな説明板が建てられている。戦前、この地に大山柏が主催する大山史前学研究所があった。大山柏は、大山巌の次男。母は山川捨松である。柏が誕生したとき、巌が柏崎に駐在していたため、「柏」と名付けられた。長男大山高が早世したことにより、大山公爵家を継いだ。大山柏は軍人の道を歩み、大正十二年(1923)には、近代戦史研究のためヨーロッパに留学し、合わせて考古学を修めた。帰国した大山柏は、自宅内に史前研究室を開設した。遺蹟の調査研究、雑誌の刊行、出土品の展示、約一万冊に及ぶ蔵書の閲覧等、現在の国公立研究所にも劣らない機能を有した。昭和二十年(1945)五月の空襲により焼失したため、大山柏は西那須の別荘に移り住んだ。
大山柏は考古学が専門であったが、一方で戊辰戦争の研究に没頭し、その集大成として「戊辰戦役史」を書き上げた。本書は戊辰戦争研究のバイブル的存在である。私も手に入れたいと古書店を漁っているが、古書でも高価なものでなかなか購入できないでいる。

大山史前学研究所跡
表参道駅から徒歩五分。緑地公園に大きな説明板が建てられている。戦前、この地に大山柏が主催する大山史前学研究所があった。大山柏は、大山巌の次男。母は山川捨松である。柏が誕生したとき、巌が柏崎に駐在していたため、「柏」と名付けられた。長男大山高が早世したことにより、大山公爵家を継いだ。大山柏は軍人の道を歩み、大正十二年(1923)には、近代戦史研究のためヨーロッパに留学し、合わせて考古学を修めた。帰国した大山柏は、自宅内に史前研究室を開設した。遺蹟の調査研究、雑誌の刊行、出土品の展示、約一万冊に及ぶ蔵書の閲覧等、現在の国公立研究所にも劣らない機能を有した。昭和二十年(1945)五月の空襲により焼失したため、大山柏は西那須の別荘に移り住んだ。
大山柏は考古学が専門であったが、一方で戊辰戦争の研究に没頭し、その集大成として「戊辰戦役史」を書き上げた。本書は戊辰戦争研究のバイブル的存在である。私も手に入れたいと古書店を漁っているが、古書でも高価なものでなかなか購入できないでいる。